第23話 雨とメイド服

「うわっ、すごい降ってるな……」


 放課後、帰宅するために昇降口を出た愛斗あいとの視線の先には、どんよりと曇った空と大粒の雨が広がっていた。


 天気予報のお姉さんの予想がズバリ当たったようだ。流石、的中率が90%を超えているだけの事はある。

 と、そんなことを考えている間に、外の雨脚が強くなり始めていた。


「えっと……」


 黒羽が言ってくれたおかげで、忘れずに入れておいた折りたたみ傘をカバンから取り出す。筈だったのだが、


(……あれ?)


 そこで、ふと嫌な予感がした愛斗はすぐにカバンの中を確認した。

 財布に筆箱、ノートと教科書。いつもと変わらないメンツが揃っていたのだけど、肝心の傘がどこにも見渡らない。


(……これは、あれだな。やっちまったやつだな……)


 愛斗はカバンに向けていた顔を外に向けた。


 傘のことを、黒羽に言っておきながら……。


「はぁ……」


 自然と口からため息がこぼれる。


 ……仕方ないか。


 と心の中で呟くと、持っていたカバンのファスナーを閉めた。


「――ええぇい、ままよ!」


 愛斗は、降りしきる雨の中に飛び込んでいったのだった。




 それから、三十分後。


「うそ……」


 城野舞香じょうのまいかは、小さな声で呟きながらガックリと肩を落とす。


 場所は、学園の職員用玄関。仕事を終えて帰宅しようと職員用玄関を出たら、外では激しい雨が降っていたのだ。


「もぉ、今日に限って傘持ってきてないのに……」


 昨日は、また沙織とリモート飲み会を夜遅くまでしていたこともあって、朝から時間の余裕が無かったのだ。そのせいで、今日の天気予報の確認ができなかったのだった。


 はぁ……。


 口の中からため息がこぼれる。


(どうしようかな……。見た感じ、すぐ止むようには見えないし……)


 視線の先に広がるのは、大粒の雨によってできた自然のカーテン。


 ………………。


 それから、少し逡巡しゅんじゅんした後、ゆっくりと顔を前に向けた。


 こうなった以上、ずぶ濡れになる前提で行くしかない。


「……よし」


 そして覚悟を決めると、持っていたカバンを頭の上にやって、雨の中に飛び込んだ。


 しかし、カバンが傘代わりになる筈もなく……。


(何なのよ、この雨……!)


 雨の中を全力で走っていたおかげか、雨で濡れた服が体に張り付く不快感はあまり気にならなかった。だが、このままでは風邪を引いてしまうかもしれないので、それだけは絶対に避けたいところだ。


 そんなこんなで、ザァァァと降りしきる雨に打たれながら急いで校門を出た。その時、


「――城野せんせー!」


 突然、自分の名前を呼ばれて、舞香は足を止めた。


 ――今のは……。


 どこか聞き覚えの声だったので、声のした方に視線を向けると、そこには一つの傘に入る二人の少女の姿があった。

 一人は、今の声の主である黒羽くろはだ。最近は、数日前の保健室での一件以来、舞香は会っていなかった。


 そして、舞香の瞳は黒羽の隣にいる少女へと向けられる。


(……あの子は、誰かしら……?)


 初めて見た少女が誰なのか気になっていると、二人がこちらの方にやって来た。


「! どうしたんですか、先生!? ずぶ濡れだよ!」


 慌てた顔の黒羽は、ただでさえギリギリの傘の中に無理やりスペースを作って、舞香を入れた。


「え? ああ、実は今日、傘を持ってくるのを忘れてね」

「あ、それ私と同じだ」

「……ということは、式神さんも?」

「えへへへ……」


 と言って黒羽はちょっぴり苦笑いで頷いた。


「――ところで、えっと……あなたは……」


 さっきから気になっていた隣の少女に尋ねてみると、


「はじめまして、式神菜乃と言います」


 そう言って、少女はペコりと頭を下げた。


 なんて礼儀のいい……ん? 今、式神って言ったよね?


「もしかして……」

「えへへ。菜乃は、私の妹なんです」


 ……やっぱり。どうりで苗字が一緒だったわけだ。


「へぇー。式神さんの妹さんなんだ」


 と言った舞香を菜乃はじーっと見ていた。


 えっと……あ、そういえば。


 ここで、舞香は菜乃にまだ自己紹介をしていないことに気付く。


「こっちの自己紹介がまだだったわね。私は城野舞香じょうのまいか。あなたが通っている学園の養護教諭をしているの。よろしくね」

「……よろしくお願いします」


 すると、さっきと同じ様にペコりと頭を下げた。


 ?


 頭の中にクエスチョンマークが次々と浮かんでいったが、今はそんな時間はなかった。舞香は雨宿りをさせてもらいながら、カバンからスマホを取り出す。電車がこの土砂降りの雨で遅延しているかもしれないと思ったからだ。


 スマホの画面を点けてから、乗換案内のアプリを開く。


「えーっと……」


 開いてすぐに電車が遅延していないかを調べた。


 すると、


「……えっ!?」

「どうしたんですか、先生?」


 驚いた声を上げた舞香の様子が気になったのか、黒羽は声をかけた。すると、舞香は手に持っていたスマホの画面を黒羽に見せた。


「……電車、止まっちゃってるみたい……」

「え? あ、ほんとだぁ」

「はぁ、どうしようかな……」


 このままでは、最悪、家まで歩いて帰らないといけない可能性が出てきてしまった。


「はぁ……ってどうしたの、式神さん?」


 舞香が尋ねると、黒羽は『う~ん』と唸りながら何か考え事を始めた。そして、


「……あ、そうだ!」


 突然大きな声を上げた黒羽は、ニコッと笑みを浮かべた。そして、何か楽しそうな表情で舞香を見る。


「ねぇねぇ、せんせー。すぐに帰れないなら、雨が止むまで私たちの家で雨宿りしてってよ♪」

「え?」


 何を言うかと思ったが、それは舞香にとってとてもいい案だった。雨宿りさせてもらえれば、濡れている服を乾かすことができる。


 ――それに……。


 ふと舞香の頭の中で、一人の少年の顔が浮かぶ。


「……それじゃあ、お言葉に甘えようかな」


 舞香の返事を聞いて、満面の笑みを浮かべる黒羽。

 こうして、雨宿りをさせてもらうため、二人の住むマンションに向かったのだった。



 ――――――――――。



「……この人が、お兄ちゃんの……」

 黒羽と楽しそうに会話をする舞香を見つめながら、菜乃はポツリと呟くのだった――。




 場所は変わって、私は今、二人が住む部屋の脱衣所にいた。


「っくしゅんっ!」


 雨で濡れて体が冷えたのか、思わずくしゃみが出た。その時、チラッと鏡に自分の姿が映った。


「……びちょびちょ……」


 それもそのはず、今、舞香が着ている白シャツと黒のタイトスカートは、雨が染み込んでいて、特にシャツに関しては、中に着ている黒の下着の色が透けて見えてしまっていた。


 ………………。


(な、なんだか、エロい……じゃなくて!!)


 急に恥ずかしくなった舞香は、濡れた服と下着を脱いで乾燥機にかけた。

 今からしておけば、シャワーを浴び終えるまでに下着くらいはかわくだろう。


 そう思い、舞香は浴室に入ったのだった。




「んんっ~♪ 気持ちよかったー」


 舞香は、元気に満ちた明るい声を上げながら、浴室を出た。


 棚に置いてあったタオルで体を拭いていから、式神さんが用意してくれた白のTシャツと青のショートパンツに着替えた。

 ちなみに、服のサイズが少し小さかったことは、ここだけの話だ。


 そんなことを考えながら着替え終えた私は、タオルを肩にかけてリビングに向かった。


 廊下を進んで奥にあるリビングの扉を開けて中に入る。


「式神さん。シャワーを貸してくれて、ありがとー」


 キッチンに居た式神さんにお礼の一言を伝える。


「あ、先生。今、紅茶入れてるからソファーに座って待っていてください」

「それなら、私も手伝うけど」

「えへへ。大丈夫です!」

「あ、そうなのね……」


 こんなに強く言われてしまったら、お言葉に甘えた方がいいだろう。


 そう思い、リビングソファーの方に視線を向けると、そこには、ソファーの上で寛いでいる“菜乃ちゃん”がいた。


 私が式神さんの妹さんを下の名前で呼ぶようになった理由は、二人とも同じ苗字なので、呼び分けるために考えたものだった。


「隣、座ってもいいかな?」


 と尋ねると、


「……」


 菜乃ちゃんは、私の方を見てコクンと頷いた。


 これは、いいってことなのかな?


 という結論にいたった私は、緊張感が漂うソファーに腰を下ろした。


「………………」

「………………」


 ソファーに座ったのはいいが、お互い無言のまま時間だけが過ぎていった。


 ここで私は、ふと思った。


 もしかして、私、菜乃ちゃんに避けられているのでは……と。


 実際のところは、まだ分からない。単純に、会ってまだ一時間くらいしか経っていないからということも考えられる。


(うーん……)


 考えれば考えるほど、答えが見えてこない。

 その時、キッチンから式神さんが紅茶を持ってきてくれた。


「先生、どうぞ」

「あ、ありがとう、式神さん。いただくわね――!?」


 紅茶を受け取ろうとした私は、目の前の光景に思わずぽかんとしてしまった。


「? どうしたんですか、先生?」


 式神さんは、不思議な顔で首を傾げた。その仕草がとても可愛いと思ったけど、今はそれどころではない。


「……式神さん、その服は……」

「え、これのことですか? ただのメイド服ですけど」

「め……メイド服……?」

「? はい、そうです」

「…………」


 え、え、メイド服? もしかして、コスプレをするのが趣味なのかな?


 紅茶を受け取った後も、舞香はメイド服を観察するようにじっと見ていた。


「はい、菜乃」

「……ありがと」


 すると、私がじーっと見ていることに気付いていない式神さんは、隣にいる菜乃ちゃんに紅茶を渡した。


 その様子が、まさにメイドそのもののような流れる動きだったので、つい見惚れてしまう。


「メイド服……ねぇ」


 と二人に聞こえないように呟くと、改めてメイド服に注目する。


 それにしても……かわいい~!


 実物を見るのは、高校の時にやったメイド喫茶以来だったので、ついテンションが上がっていた。すると、


「?」


 私が見ていたことに気付いたのか、お互いに目が合った。


「……」

「……あっ!」

「!?」


 突然、式神さんが大きな声をあげた。私がその声に思わずビクッとしていると、どうやら隣にいた菜乃ちゃんも、今の声に驚いてビクッとしていたようだ。


「きゅっ、急にそんな大きな声出して、どうしたの?」


 私が尋ねると、予想外の言葉が返ってきた。


「ねぇ、先生。メイド服、着てみませんか?」


「…………はい?」




「………………」


 私は、恥ずかしい気持ちを抑えながら、リビングの扉を開けた。


「わぁ、先生可愛いー!」


 無邪気な笑みでこちらを見る式神さん。


 うぅ~……恥ずかしい……。


 舞香は恥ずかしさのあまり、頬をトマトのように真っ赤に染めた。

 それもそのはず、今の舞香は、メイド姿を纏ったメイドになっていたからだ。


「そ、そうかな……。なら、いいけど」


 まさか、この歳になってまたメイド服を着ることになるなんて……。


 私が着ているのは、白いフリフリのエプロンと黒のロングスカートが特徴のクラシカルタイプのメイド服だった。

 高校の時に着たメイド服に少し似ていたけど、今着ているメイド服の方が肌触りがとてもよかった。


 それにしても、こんな質のいいメイド服を持ってるのは、どうしてだろう……?


 ふと頭の中に浮かんだ疑問の答えを考えていると、


「あ、菜乃」


 リビングの扉が開くと、メイド服に着替えた菜乃ちゃんが入って来た。


「……」


 かわいい……。


 この時、一瞬、菜乃ちゃんと目が合ったのだけど、すぐに目を逸らされてしまった。


 え……えぇ?


「それじゃあ、もう時間だし行こうー♪」


 と元気な声で言った式神さんは、菜乃ちゃんを連れてリビングを出て行った。


「……って、二人とも、どこに行くの!?」


 私は、慌てて二人の後を追った。

 玄関に向かったので、どうやら外に出るようだ。


 ……え、待って、外に出るの? この恰好のままで?


 と考えを巡らせている間に、二人は玄関で靴を履き始めていた。ちなみに、私は用意してもらったストラップシューズを履いた。


 そして、外に出た私たちが向かった先は、意外にも隣の部屋だった。


「?」


 頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。


 その時、式神さんはポケットから鍵を取り出すと、当たり前のようにそれを使って扉を開けた。


「あー君。ただいまー」

「ただいま」


 ――ただいま?


「それって、どういう――」

「――二人ともおかえりー。結構雨強かったけど大丈夫……」


 そう言ってリビングから出てきたのは、私がよく知る人物――。



「先生……」



 そこには、三國君がいた。

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