第22話 食堂とメイド

 保健室での一件から数日が経った日の朝。


 いつも通り三人で朝食を食べていると、リビングのテレビから今日の天気予報が紹介されていた。


『午後から広い範囲で――』


 天気予報のお姉さん曰く、今日は昼過ぎからすごい雨が降るとのことだ。


「結構雨が降るみたいだな」

「そうだねー。今日はもう洗濯物は中で干すしかないかな」


 こんがりきつね色のトーストを食べながら、黒羽くろはは言った。

 まぁ、黒羽の言う通り、その方が無難だろう。


 そんな他愛もない話をしていると、


「……!! もうこんな時間!」


 リビングの時計を見て目を丸くする黒羽。

 それから黒羽は、コップに入った牛乳を一気に飲み干すと、急いで食器の片付け始めた。


 そういえば、今日の日直は黒羽だったっけ。


 当の本人は、キッチンで皿とコップをサッと洗い終えると、急いでダイニングに戻って来た。


「それじゃあ、先に行くね。二人とも、傘は忘れないように!」


 そう言い残し、ソファーに置いていたカバンを持つと、黒羽は扉へと向かう。


「わかったよ」「……」


 俺が返事をしたと同時に、ここまで一言も発していなかった菜乃なのがコクリと頷いた。


「ふふっ。行ってきまーす」

「行ってらっしゃーい」

「……行ってらっしゃい」


 菜乃の様子を見て笑みを浮かべると、黒羽はリビングを後にした。


 ――――――――。


 黒羽が出て行った後のリビングは、自然と静かになる。


「…………」

「…………」


 トーストをかじる音と牛乳の飲む音だけが、リビングに響く。

 いつもなら、この二人だけというシチュエーションを楽しむのが菜乃だ。


 自分の可愛いところ、そして弱い部分を見せることによって男を虜にする。これを属に小悪魔と呼ぶ。


 そんな菜乃が、今日に関しては、俺と初めて会った時のような冷たい雰囲気を漂わせていた。


 ここ数日間、この状況が続いていたので、俺はずっと気になっていた。

 しかし、今日まで何が原因なのかを聞けずにいたのだった。


 ――まぁ、取り敢えず、ここは……。


 俺は気まずい空気を振り払うように、残っていたトーストを一気に口に運んだ。


「ごちそうさまでした!」


 それから、黒羽と同様、キッチンで食器を洗い終えると、横にある水切りかごに置いた。それから愛斗は、ソファーに置いていたカバンを手に持った。


 リビングの時計に視線を向けると、いつもより少し早い時間だった。


 ……俺も行くとするか。


 すでに登校するための準備は済んでいたので、わざわざ家で待機する理由がなかったのだ。


「あのさ、菜乃。後のことは頼めるか?」

「……うん」


 菜乃はコクンと頷くだけで、俺と目を合わせてくれない。


 ………………。


 まぁ、菜乃の事だからあまり心配し過ぎるのもよくないだろう。

 

「……行ってきまーす」


 と呟いてから、俺は玄関へと向かった。




 四時限目が終わり、俺と琢磨は、教室を出て食堂に向かっていた。


 いつもは購買で済ませているのだけど、今日は琢磨の要望で食堂に決まった。


「愛斗は、今日は何にするんだ?」

「う~ん……そうだな……」


 廊下を進みながら、今日は何を食べようかと考えた。


「……まぁ、無難に特製ラーメンかな」

「お、いいねぇ。ここの食堂のラーメン美味うまいもんなぁ」


 俺が通っている上ヶ崎うえがさき学園は、食堂のメニューにかなり力を入れている。その中で特に学生に人気なのが、上ヶ崎特製の醬油ラーメンだ。聞いた話によると、学園長が大のラーメン好きで、スープ、麺、具、その全ての監修を自ら手掛けたらしい。


 さらに聞いて驚いた事とすれば、ラーメンの値段が安い事だ。絶対作る面でコストが掛かっている筈なのに、一人暮らしの学生の事を考えて踏み切ったらしい。

 おかげで、普通の店なら千円近くするラーメンが、ここなら三百円で食べられる。


 ――学園長、マジ神。


 そんなことを考えていると、目的地の食堂にやって来た。


「相変わらず、多いな……」


 琢磨は疲れたような顔で食堂を見渡す。

 食堂は高等部と中等部の両方の学生が使うので、かなり広い。そのため、席は多く用意されているけど、今、そのほとんどの席が埋まっていた。


「取り敢えず、先に席を――」

「――おぉーい!」

「ん?」


 どこからか大きな声が聞こえた。その声は、聞き慣れた声色で――。


「あー君! こっちだよ、こっちー!」

「! 黒羽」


 声の主である黒羽は、笑顔でこっちに手を振っている。

 だが、ここが食堂という事もあって、周りの学生の視線が黒羽と俺に向けられた。


 ………………。


 周りの視線に耐えきれなくなった俺は、小さく手を振ってから券売機の列に並んだ。それから、恥ずかしい気持ちを抱えながら食券を買うと、さっきこちらに手を振っていた黒羽のいる席に向かった。


 すると、そこには、テーブルに向かい合って座っている菜乃の姿があった。てっきり、友達と一緒かと思っていたけど、どうやらそれは違っていたようだ。


「先に行ってるぞー」


 そう言って琢磨は、食券を持ってカウンターへと向かった。


「ああ」


 返事をしてからテーブルに視線を戻すと、菜乃は気付くなり、ぷいっとそっぽを向いた。


 これが、他の人がいる時のモードだという事はよくわかっている。

 まぁ、その分、二人きりの時になると嘘のように甘々になるけど。


「それにしても珍しいな。二人っきりなんて」


 黒羽が友達と一緒に食堂でごはんを食べている姿は見たことがあるけど、菜乃と二人っきりで食堂にいるところを見たのは、意外と初めてだった。

 単純に、菜乃が教室で食べているから会わないだけなのかもしれない。


「えへへ。たまには一緒に食堂で食べたいなって思って、私が誘ったの♪」

「へぇー」

「ねぇねぇ、あー君。ここのテーブル席ならまだ空いてるし、一緒に食べようよ」


 黒羽が言った案は、席探しで困っていた俺と琢磨にとって、とてもありがたかった。


「え、いいのか?」

「うん! 人が多い方がごはんも美味しいし」


 そう言って、黒羽は満面の笑みを浮かべた。

 兎にも角にも、席を確保できたことに安心した俺は、食券を持ってカウンターに向かった。


 ちなみに、菜乃は俺がその場を離れるまで、顔を逸らしていたのだった。




 それから、俺と琢磨は料理の乗ったトレーをテーブルに置いて、黒羽たちの隣で向かい合って座った。

 俺の隣に座っている黒羽は、もう昼食を食べ始めていた。


「おっ、黒羽はチキン南蛮にしたのか」


 と言っていたら、黒羽はたっぷりのタルタルソースが乗ったチキン南蛮の一切れを口に運んだ。


 美味しそうに頬張るその姿を見て、ついほっこりする。


「あー君は、ラーメンにしたんだね」

「ああ。ここの特製ラーメンはマジで美味いからなぁ。一口食ったらビックリするぞ」


 すると、今の言葉を聞いて気になったのか、黒羽は興味津々な目でラーメンを見た。


 醬油の香ばしい香りがする透き通ったスープに中太縮れ麺、インパクト抜群のチャーシューと細かく切られた長ネギ、そしてラーメンに欠かせない半熟煮卵。

 パッと見ではよくあるシンプルな醤油ラーメンだ。でも、一口食べた時のあの衝撃は、今でも忘れられない。


 それから俺は箸で麺を掴むと、思いのまま一気にすすった。


 じーっ。


「はぁ~……美味うめぇ〜」


 じーっ。


 ついため息がこぼれてしまう。


 ……ゴクリ。


「……」


 何故かさっきから、じーっとした視線を感じるのだけど。


 箸を止めて横を見ると、黒羽が物欲しそうな目でこちらを見ていた。


「……一口食うか?」

「え、いいの!?」

「ああ。ほら」

「やったー! それじゃあー」


 と言って黒羽は、手に持っていた箸で麺をすすった。


「……!?  美味しい~!」

「……ふっ」

「ああぁ! 今笑った~!!」

わりい、わりい」

「むぅー」


 可愛い唸り声を上げて、こっちをじーっと見てくる黒羽。


 ………………。


 そんな微笑ましい雰囲気の二人を見つめる、二つの視線。


「……俺は、一体何を見せられてるんだ?」

「……見せつけてくれちゃってさ」


 ポツリと呟きながらカレーを掻き込む琢磨と、日替わりランチのハンバーグを食べる菜乃。


「? 今何か言ったか?」


「何でもない!」「何でもねーよ!」


 何故か息ぴったりな二人の勢いに押されて、つい黙ってしまう。


「?」


 ……俺、何か怒らせるようなこと言ったっけ?


 今までの自分の発言を振り返りながら、熱々のラーメンに箸を伸ばしたのだった。




「愛斗、教室に戻るついでにジュースでも買って……――」

「? どうしたんだ? ……あ」


 席から立とうとした琢磨の後ろには、いつの間にか多数の女子がいた。


 そういえば、今日に限っては普通に教室を出れたっけ……。


 ふとそんなことを考えていると、女子達の内の一人が琢磨の肩に手を置いた。


「ひぃぃぃ!?」


 琢磨はビクッとした後、二人の女子に腕を掴まれて食堂の出口へと連れて行かれた。


「愛斗ぉーっ!!」


 琢磨の叫びが食堂中に響き渡る。


 もう見慣れた光景だったので、特に驚く事はなかった。


 琢磨、お前のことは一生忘れないぞ。




 琢磨が連れて行かれた後、俺と菜乃は、食堂の出口にいた。教室に戻ろうとした時に黒羽が、アイスを買うと言って食堂の中にある購買に行ったので、二人で待っていたのだ。


「…………」

「…………」


 菜乃に話しかけようにも、朝からずっとこの状態が続いていたので、一歩を踏み出せないでいた。


 ……よし。


「ど、どうしたんだ、菜乃?」

「……何が?」


 ここでやっと、菜乃と目が合った。だが、


「い、いや、その……」


 俺は、菜乃の鋭い視線に圧倒されていたのだった。


 …………はぁ。


「もしかして、俺、お前に何か悪いことでもしたのか?」

「!?」


 俺の言葉を聞いて、さっきとは違って驚いたような顔でこっちを見てきた。


「べっ、別に、お兄ちゃんのせいじゃ――」

「――おまたせー」


 菜乃が何かを言いかけたところで、アイスを買いに行っていた黒羽が戻って来た。その手には、自分の分とは別に、俺と菜乃の分のアイスがあった。


「あー君、はいっ」

「お、サンキュー」

「菜乃も」

「……あ、ありがとう、お姉ちゃん」

「えへへ」


 アイスを受け取った俺たちを見て、黒羽は満面の笑みを浮かべた。すると、黒羽は俺と菜乃の間に漂う微妙な空気を察したのか、こちらをじーっと見てきた。


「……? どうしたの、二人とも?」


 さすがに気付くよな……。


「黒羽、それは……」

「……私、先に戻るね」


 そう言うと、菜乃は顔を合わせないまま、校舎に戻って行ったのだった。

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