第19話 保健室と先生と

 次の日、俺は保健室へと向かっていた。

 体育の途中で怪我をしてしまったのだ。


(痛ぇ……)


 今も、鼻が少しジンジンとしていて痛い。

 今日の体育はバレーボールで、クラス対抗のゲームをしていた。そんなある時、つい昨日の黒羽の猫耳メイドのことをぼーっと考えていたら――


『来るぞ、愛斗あいと!』

『うーん……。折角白が見れたんだから、黒も見てみたい……』

『愛斗? おいっ、愛斗!?』

『え? へぶしーっ!?』


 向こうのチームからのボールが、顔面に直撃してしまったのだった。。


 ………………。


 あぁ、今思い出しただけでも恥ずかしい。てか『へぶしっ』てなんだよ……全く。


 後で知ったことだが、どうやらバレー部員が打ったボールだったらしい。どうりで当たった時、すごく痛かったわけだ。


 その後はというと、ゲームはなんとか終わったが、痛みがあったので、体育教師に一言伝えてから体育館を出たのだった。


 そして、今に至る。


「…………」


 廊下をとぼとぼ歩いていると、保健室の前にやって来た。


 扉をコンコンとノックしてから『失礼します』と言って中に入ると、


「あら、三國君じゃない。どうしたの? もしかして、どこか怪我したの?」


 案の定、憧れの城野じょうの先生がいた。


 この展開は、自分的にはとても嬉しかった。


 偶然の怪我とはいえ、まさか、先生に会えるなんて。怪我の功名とはまた違うだろうが、それでも今は、このチャンスをものにしたい。


 ……よし。


「?」

「あ、あの……実は――」


 それから、俺はここまでの経緯を説明した。だが、これはあくまで治療の一環。ここで調子に乗って全く違うことを話そうものなら、この先のチャンスを失うと言っても過言ではない。


「――それで気付いた時には、目の前にボールがあったってことね」

「はい……」

「ふふっ」

「わ、笑わないでくださいよ。これでも、自分でダサいって思ってるんですから」

「ああ、ごめんごめん」


 と言っている間も、笑うのを隠し切れていないのがバレバレだった。


 それにしても……これまた凄いな。


 今、俺の目は先生の顔より下の方に向けられていた。黒のタイトスカートから伸びるきれいな脚が組まれていて、魅力的な太ももが見えてしまっていたのだ。


 思春期の男子には、あまりにも目に毒……いや、目の保養だった。


「三國君」

「!?」

「これから怪我の状態を見るから、じっとしててね?」

「は、はい……」


 危うく見ていたことがバレたのかと、一瞬、ビクッと反応したが、どうやらバレていなかったようだ。


 そんなことを考えている間に、診察が始まったのだが、


「…………っ」


 怪我をした箇所が顔という事もあって、すぐ目の前に先生の顔があった。キメ細かい肌と、潤いとツヤのあるきれいな唇。ふんわり香る髪。そして見た者をドキッとさせる、大人の色気。

 そんなものを前にして、平然といられる男はまずいないだろう。


「……? どうしたの?」

「え、いや……」


 つい見惚れていた俺を、先生は不思議な顔で見てくる。


 俺は慌てて視線を下げたが……それがよくなった。何故なら、白衣の下に着ているブラウンのシャツから覗く谷間が、見えてしまっていたのだ。さっきの太ももと同様、その豊満な胸はあまりにも刺激が強かった。


 その時、ふと黒羽が思い浮かぶ――。


 ……もしかして、黒羽より……って、俺はこんな時に何を考えているんだッ!!


 頭に浮かんだ邪念を振り払うように、視線を上げると、先生は小さな声で呟く。


「うーん……。やっぱり、少し赤くなっているみたいね……」


 赤くなっているのは、たぶんバレーボールだけのせいではないと思いますよ。


 そんな心の中の声も、真剣な目をしている先生には届いていないだろう。

 でも、もうこんな幸せな時間も、終わろうとしているのか……。


「きちんと冷やしておけば、すぐに良くなるわ」


 そう言って、先生は優しく微笑んだ。


「他にどこか痛むところはある? もし、頭がぼーっとしたりするなら、ベッドで休んで――ふふっ。三國くーん」

「は、はい?」


 急に名前を呼ばれて、俺は顔を上げた。


「先生が大事な説明をしている時に、キミは一体どこを見ていたのかな~」


 そう言って、胸を隠すように腕を組む先生。


 ……まさか、見ていたことバレちゃった?


 止まらない冷や汗を感じながら、ゆっくりと先生の顔を見る。


「ねぇ、教えて♪」


 ………………。


 今も、先生はこっちを見ながら悪戯いたずらっぽく笑っている。


 その姿に不覚にもドキッとしてしまった。


(こ、このままじゃいかんいかん……!)


 目の前とはいえ、谷間を見てしまったのは事実だ。なら、俺がやることは一つだけ。


「あの……。す……すみませんでした!!」


 丸椅子に座ったまま、自分に出せる全力の声で謝った。

 頭を下げているから、先生が今、どういう表情をしているのかは見えない。


 ………………。


 その時、扉の方からコンコンとノックする音が聞こえると、一人の女性が入ってきた。


「城野先生、ちょっといいかしら」

「あ、はい。大丈夫ですよ」


 あれ、怪我の手当ては……?


「ごめんね。すぐに戻って来るから」

「わ、わかりました……」


 俺に一言伝えてから、先生は、やって来た女性と一緒に保健室を出て行った。


「はぁ……」


 保健室の扉が閉まる音を聞いて緊張の糸が切れたのか、体の力が一気に抜ける。

 そのまま後ろにもたれ掛かろうとしたけど、まず丸椅子に背もたれがないので自然と前屈まえかがみになった。



 ――――――――。



 静寂な空気が流れる。


 この後、先生が戻って来た時にどう会話をすればいいのかを、ぼーっと考えていると、


(…………ん!?)


 急にこっちを見る視線を感じて、思わず身構える。


 そして、ゆっくりと顔を向けると、ベッドを仕切るベージュのカーテンに辿り着く。


 ……え!?


 すると、カーテンの隙間からこっちを覗く顔が見えた。その人物は、俺の身近にいる人で――。


「く……黒羽?」

「えへへ、バレちゃったか」


 と言って黒羽は、仕切られていたカーテンを開けた。


「まさか、こんな所であー君と会うなんて思ってなかったよー」

「黒羽、どうしてお前がここに? もしかして、どこか具合でも悪いのか?」


 丸椅子から立って近くに寄ると、黒羽は少し元気のない表情で頷く。


「実は、体育の途中でちょっと貧血になっちゃって。だから、今はここで休ませてもらってるの」

「そ、そっか」


 いつもとは違う、どこか元気のない姿。


 ……本当に大丈夫なのか?


 小さい頃からの幼なじみだからこそ、余計に心配になる。もしかしたら、家のことを任せすぎたのが原因なのではないかと考えてしまう。


 すると、そんな心配している俺を見て、黒羽は笑みを浮かべた。


「んっしょ!」

「!! まだ、横になっていた方がいいんじゃないのか?」

「えへへ。もう、大丈夫だよ。元気も戻ったし!」


 そう言うと、両腕を上にグッと伸ばす。


 でも……。


「……ダメだ」

「え?」


 俺の言ったことを聞いて、こっちに視線を向けてくる。


「せめて、今だけは休んだ方がいい」


 と今までにない真剣な目をしながら言うと、黒羽はそれに圧倒されたのか伸ばしていた腕を下ろした。


「そ、そうかな……?」


 どうやら、本気で心配していることが伝わったようだ。


 ……やれやれ。


 だがその時、扉の方からまた開く音が聞こえたので振り返ってみると、


「三國君、待たせちゃってごめん……ね……」


 そこには、目を見開いたままこっちを見つめる先生の姿があった。

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