第17話 ボディーガードと妹

「はぁ~食ったー……」


 今日の夕食で作った豚の生姜焼きが美味しすぎて、ご飯を三杯もおかわりしてしまった。まぁ、我ながら美味しく出来た自信があっただけに、黒羽達からの評判もとてもよかった。


「次は何を作ろうかな……。ハンバーグもいいし、それから肉じゃが、ナポリタン……」


 そんな独り言を呟いていた時だった。


 ……? 何してんだ?


 一緒にソファーに座っていた菜乃なのが、チラッチラッとキッチンにいる黒羽くろはに視線を向けていた。


「? そんなキョロキョロして、どう――」

「――しーっ!」


 気になって尋ねようとすると、慌てた表情の菜乃が、口元に指を当てながら制止してきた。


「?」


 なんだ? さっきからじーっとこっちを見てくるんだけど。


 ……てか、顔が近い。


「ね、ねぇ、お兄ちゃん。ちょっと相談したいことがあるんだけど」


 ぼそっと小声で呟く。


「相談? 別にいいけど、俺なんかでいいのか?」

「うん。どうしても、お兄ちゃんに聞いてほしいことだから」

「あ……。そ、そうですか」


 菜乃の視線を感じながら、チラッと黒羽を見る。

 どうやら、黒羽に聞かれたくないことのようだ。


「お兄ちゃんじゃないとダメなの。だから、お願い♥」


 と小悪魔な上目遣いで言われて、断れるわけがなかった。


「……わかったよ。取り敢えず、話は俺の部屋でいいな?」

「う……うん」


 菜乃はコクリと頷く。


 今、俺が『部屋』と言った時、菜乃の顔が赤くなったような。


 ……まぁ、いっか。


 そんなこんなで、愛斗あいとと菜乃はリビングを出て廊下を進む。


 そして、愛斗の部屋に入ると、ローテーブルを挟む形で座椅子に座った。


「それで、話って何だよ」


 早速尋ねてみると、菜乃はゆっくりとした口調で話し始めた。


「あのね……実は最近、レッスンから帰って来る途中で、視線を感じる時があるの。まるで、どこからか見られているような」

「え」


 今の話があまりに予想外だったのか、つい呆然としてしまう。


「それって、もしかして……ストーカーか?」

「……わかんない。でも、多分そうだと思う」


 菜乃自身、ストーカーだという確証がないのだろう。

 それにしても……ストーカーねぇ。

 もしかしたら、菜乃の勘違いかもしれない。でも、もし本当にストーカーだったとしたら、警察に連絡した方がいいかもしれない。


 そんなところまで考えさせられる。


「……そいつに何かされたって事は……」

「ううん。今のところはないけど、夜は帰り道が暗いから怖くって」


 菜乃の言う通り、確かにこの辺の道は夜になると真っ暗になる。マンションの前まで来れば街灯で少し明るくなるのだけど、そこまでの道はそうではない。


「だから……。これから少しの間、駅に迎えに来てくれない?」


 と菜乃は申し訳なさそうな顔で呟く。


 菜乃が言う駅とは、上ヶ崎学園の近くにある駅で、電車を使って通う学生なら必ず使う。


「もちろんだ。菜乃が困っているんだから、俺に出来ることがあれば何でもする」

「お兄ちゃん……ありがとう」


 そう言って菜乃は、顔を赤く染めて俯く。


 ………………。


 俺は、俯いている菜乃の頭に手を乗せて、ゆっくりと撫でた。


 よしよし。


 どうして頭を撫でたのか。それは、不安な表情を浮かべている菜乃を安心させたいと思ったからだ。


 一方、菜乃はというと、



「……そういうところ、ズルい……」



 と小さな声でポツリと呟いたのだった。




 次の日の夜。


「お兄ちゃん、おまたせー」


 待ち合わせ場所である駅前で待っていると、改札口の方から菜乃がこっちに小走りでやって来た。

 学校から直接レッスンに行っていたようで、今の菜乃の格好はいつもの制服姿だった。


「ごめんね。待った?」

「いや、俺もさっき着いたところだ」

「そうなんだ」

「ああ。それじゃあ、早速行ってみるか」

「……うん」


 俺と菜乃は帰り道を並んで歩き始めた。

 駅前は街灯や建物のおかげで少し明るいけど、それも少し離れるだけで周りはすぐに暗くなる。


「多分、今日も現れるよね」

「え、うーん……。どうだろうな。今日に関しては俺がいるし、近づいてきたりはしないと思うけど」

「そ、そうだよね」


 と言いつつも、不安げな表情を浮かべているのが分かる。

 ここはお兄ちゃんの出番だな。


「それに、もし襲ってきたら、俺の右ストレートでぶっ飛ばしてやる」


 そう言って右手を真っすぐ前に突き出す。

 所謂いわゆる、ファイティングポーズってやつだ。


「え? お兄ちゃんって、ボクシングやってたの?」


 それを見て、隣の菜乃が小首をキョトンと傾げながら、尋ねてきた。


「…………いや」


 俺は上げていた手をゆっくりと下ろした。


「……ま、まぁ、任せろ」

「ふーん……」


 歩きながらチラッと横を見ると、菜乃がジト目で俺の顔を見ていた。


 えーっと……。


「……あ。お兄ちゃん、ここだよ」


 気まずい雰囲気を感じていると、菜乃が道を曲がったところで立ち止まった。

 菜乃が言うように、他の道より暗いのは確かなようだ。


「ここか? 菜乃がストーカーを見たっていうのは」

「うん。そうだよ」


 へぇー、ここか……。


 俺と菜乃が着いた場所は、なんてことのないただの通学路。だが、ここで実際に菜乃がストーカーに尾けられていたと思うと、一刻も早く解決しなければいけない。

 ふと周りを見渡すが、ストーカーらしき人物の姿はなかった。


「ふぅ……。どうやら、今日は現れな……――っ!?」


 と安堵しかけた時、後ろの方からこっちを見る鋭い視線を感じた。


 ……え、噓でしょ。


 突然のことにビクッと反応してしまったのは、菜乃も同じようだ。


 ………………。


 菜乃と目が合う。


『どうしよう……。本当に来ちゃったよ……』

『あ、ああ……』

『お兄ちゃん、どうする?』

『と、取り敢えず、気付いてないふりをして、捕まえるチャンスを待とう』

『そ、そうだね。でも大丈夫なの?』

『大丈夫、だと思う』

『……』


 一瞬のアイコンタクトでこれからのことを決めた俺たちは、ゆっくりと歩き出す。


「………………」

「………………」


 無言のまま、暗い道を進んでいく。


 このまま並んで歩いていると、次の道の角が見えてきた。


 …………よし。


「菜乃」「お兄ちゃん」


 もう一度、目を合わせる。


『……いいか?』

『いつでもいいよ』


「「…………うんっ!」」


 次の瞬間、俺と菜乃は全力疾走で角を曲がると、偶々たまたまあった街灯の陰に隠れた。


 はぁ……はぁ……。


 こういう時、運動をしてこなかった自分を激しく怒りたくなる。ちなみに菜乃の方は息一つ切れていなかった。さすが、日々ダンスレッスンをしているだけのことはある。


「菜乃。いざという時のために、110番の準備をしておけ」

「う、うん。わかった」


 菜乃はポケットからスマホを取り出すと、110と入力する。


 ……ゴクリ。さぁ、来い。


 息を殺しながら、奴が来るのを待った。


 すると、


 …………来た!


 奴が来ているのは分かっているのだけど、まだ街灯の明かりの外にいるので顔までは見えないでいた。


 はぁ、はぁ。


 緊張で今にも息が詰まりそうになる。


(そうだ……。もっと、もっとこっちに来い――!)


 愛斗は、一度乱れた呼吸を整える。そして、



「おいっ!」



「!?」



 俺が街灯の陰から出ると、ストーカーはビクッと驚いたような反応をした。



「あちゃー。バレちゃったかー」



 とストーカーはポツリと呟いた。

 まだギリギリ街灯の明かりが届いていないのか、顔は確認できない。だが、


 ……女の人の声? てっきり、奴は男だと思ってたんだけど。それよりも、今の声、どこかで……。


 なんとか記憶から引っ張り出そうとした時、その謎の女はゆっくりと近づいてきた。


 ……あ、もしかして……。



「ふふっ」



 謎の女の顔が、明かりによって徐々に浮かび上がった。


「……!!?」


 そして遂に、ストーカーだと思われていた人物の正体がわかった。




「何をしてるんですか…………綺羅きら先輩」




 すると、謎の女こと綺羅先輩は、目の前にやって来ると、イタズラっ子のような笑みを浮かべた。


「ふふっ。しかし、よく気付いたな」


 街灯の陰にいた菜乃は、俺と綺羅先輩を不思議な顔で見ながらゆっくりと出てきた。


「えっと……お兄ちゃんの知ってる人?」

「……あ、そっか。菜乃はまだ知らないのか」


 黒羽に関しては俺の後をついて来て初めて会ったし、転校してまだ日が浅い菜乃が知らないのも無理はない。


「菜乃。この人は――」

「――私は、新聞部部長の一ノ瀬綺羅だ。よろしく」


 俺が説明するよりも先に、自分から自己紹介をしてくれた。


 ……てか、切り替え早っ!?


 気を張っていたこともあるのか、体がどっと疲れた気がする。


「それにしても、まさかストーカーの正体が先輩だったなんて」

「ストーカー? うっ……」


 この反応を見るに、どうやら図星のようだ。

 情報屋が、どうやって対象の人物の情報を集めているのかは知らない。けど、現にこうやって不安を抱えている子がいる。


「はぁ……。綺羅先輩、ちゃんと説明してくれますよね?」

「……わかった」


 俺があくまで真剣な瞳で言うと、綺羅先輩は話し始めた――。


 綺羅先輩の話では、ある日、駅前の塾に通っている妹さんの迎えに行っていた途中で、新しく転校してきた菜乃を見つけたらしい。

 学校ではガードが意外に固く、中々情報が集まらなかったので、夜、菜乃を追跡するようになったという。


「――というわけだ。決して悪気があってやった訳ではないんだ」

「あ……そうですか」

「へぇー。そうなんだ」


 と、菜乃は納得した表情で呟く。


「……でも、いくら情報を集めるためとはいえ、暗い道で尾けられていたら、誰だってストーカーだと思いますよ」

「確かに、私の行動で怖がらせてしまったことは悪かったと思っている。すまない、この通りだ」


 そう言って頭を下げる綺羅先輩。


 すると、隣にいた菜乃が声をかける。


「あ、あの、ストーカーではなかったことがわかりましたし、それに、もう怒っていないので……」


 菜乃の言葉を聞いて、先輩はゆっくりと顔を上げた。


 …………はぁ。


 兎にも角にも、これで一件落着だな。


「いやー、それにしても、今回の事でいい情報が手に入ったわ」

「え?」


 安心したのも束の間、先輩が楽しそうな顔でこっちを見てきた。

 あの表情の時に限って、ろくな事がないことは嫌でもわかる。


 なんだ……なんだ……何を言うんだ?


「――ふふふっ。まさか、三國君にこんな可愛い彼女がいるなんてな」

「!!?」


 今の発言に一瞬、絶句する。


「せ、先輩、それは――」

「――彼女……」


 隣を見ると、菜乃が頬を赤く染めながら笑みを浮かべていた。



 もう、勘弁してくれ……。

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