第13話 ドキドキの放課後

 菜乃が引っ越してきてから数日が経った、ある日の放課後。


 帰りのホームルームが終わり、愛斗あいとは帰り支度をしていた。


「じゃあな、愛斗。またあしたー」

「ああ。また明日」


 先に帰り支度を済ませた琢磨が、手を振りながら教室を出て行った。すると、


『キャァァァアァァァァ!!!』


 廊下の方から、多数の女子の叫び声が聞こえてきた。


 ………………。


 思い当たる節はあったので一応チラッと見てみると、女子達が廊下に出た琢磨を追いかけているのがわかった。

 女子という名のハンターから逃げ切れるかは、琢磨の運次第だろう。

 そんなことをぼんやりと考えながら、カバンに筆箱やノートを入れていると、ふと頭の中であの言葉が浮かんだ。


『慌てているお兄ちゃん……カワイイ♥』


 ………………。


 あの日以来、菜乃とは一緒にごはんを食べているけど、あの時のような事は何も起きなかった。その理由は、恐らく黒羽がすぐ近くに居たからだろう。


 この数日間で、わかったことが一つある。それは、黒羽が近くに居ない時だけ、菜乃が俺をからかってくることだ。

 

 そんなことを考えながら、カバンの中に入れた物をぼーっと見ていると、


(……ん?)


 突然、ポケットに入れていたスマホが鳴った。

 ラインを開いて誰からなのか確認すると、相手は……菜乃だった。トーク画面には、菜乃からのメッセージが送られている。


 そこに書いてあったのは――――


「……」


「あー君。帰ろー」


 隣の席から、カバンを持った黒羽が声をかけてきた。


「そうだ! 帰りにコンビに寄って、アイス買おうよ!」

「……すまん、黒羽。ちょっと用事ができたから、今日は先に帰っていてくれないか?」

「? それはいいけど……用事って?」

「そ、それは……」


 ここで一言、菜乃から連絡が来たと言えば、わざわざ誤魔化す必要はない。けど、俺にはあの菜乃の急な変化が、どうしても気になるのだ。


 するとその思いが伝わったのか、黒羽はコクリと頷いた。


「うん。わかった! じゃあ、先に帰ってるね」


 そう言って、黒羽は教室を後にした。その後ろ姿を見送ってから、俺はスマホをポケットに仕舞った。


 …………行きますか。




 カバンを持って教室を出ると、菜乃との待ち合わせ場所へと向かう。

 それは、中等部の三階にある空き教室だ。

 中等部の校舎へは、長い渡り廊下を渡ることで行くことができる。


 ………………。


 何気なくポケットからスマホを取り出すと、さっきのトーク画面を見直す。


『お兄ちゃんにどうしても話したいことがあるの』

『だから、この後、中等部の3階にある空き教室に来て』


 ここまでなら特に変わったところはないけど、


『待ってるから』


 こう強く言われてしまうと、行かざるを得ない気がしたのだった。


(話って、何だろう……)


 そんなことを考えながら歩いていると、目的地である空き教室の前にやって来た。


 ……ゴクリ。


 廊下に誰も居ないことを確認してから、ゆっくりと扉を開けた。すると、


「あっ、お兄ちゃん」


 机にもたれ掛かっていた菜乃が笑顔で迎えてくれた。

 中等部の制服は、高等部の制服と少し違って、より可愛らしさが強調されている。それが相まって、菜乃の可愛さをさらに高めていた。


 取り敢えず、俺はカバンを教卓の上に置いた。

 教室は誰も使っていないのか、きれいに机が並んでいる。

 その間も、菜乃は『ふふっ』と楽しそうな笑みを浮かべていた。


「……」

「どうしたの、お兄ちゃん?」

「……どうしたもこうしたもあるか。あんなのを見たら、気になって行くに決まってるだろ」


 と、言いながらさっきのトーク画面を見せた。


「これは、一体何なんだ? それに話って――」


 しかし、言葉の続きを言うことはできなかった。


 何故なら、菜乃に正面からいきなり抱きつかれたからだ。


「お、おい……っ!?」


 急なことでビックリしたのか、今の状況を理解するには時間を要した。


 !!


 だが理解しようにも、密着したことによって感じる彼女の体温と、髪から香る甘い匂いに釘付けになってしまいそうになっていた。


「な、菜乃……?」


 気になって名前を呼んでみたが、菜乃は顔を俯かせていた。すると、



「少しの間だけでいいから、このままで居させて……」



 そうポツリと呟いた菜乃は、ゆっくりと俺の胸に顔を埋めた。

 俺は、驚きの余り思わず固まってしまった。だが、それよりも今は菜乃の様子が気になる。


「どうしたんだよ。いつものお前らしくないぞ?」

「……」


 菜乃は、顔を埋めたまま目を合わせようとはしない。


 シーンっとした空気が流れる。


(えーっと……)


 こういう場合、どういった言葉をかければいいのだろう。

 菜乃に一体何があったのかは分からないけど、大切な幼なじみが困っているのなら、何としてでも力になりたいと思った。

 当たり前の事だが、俺と菜乃は実の兄妹ではない。ましてや、どうして菜乃が俺の事をお兄ちゃんとして慕うのかも分からない。


 でも――。


「今だけは……」

「え?」

「今だけは、お兄ちゃんとして話を聞いてやる。だから、何があったのか話してくれないか?」


 予想外の言葉だったのか、菜乃はこちらを見上げた。

 菜乃の大きく見開いた目が、真っすぐと見つめてくる。


 ――――――――。


 そして再び俺の胸に顔を埋めると、何があったのかゆっくりと話始めた。


「……実はね。今日、ネットでオーディションの合格者が発表されていたの」


「オーディションって、確か、菜乃がアイドルになるために受けたっていうあれか?」

「うん……」


 力のない返事から察するに、恐らく……。


「それで、さっき結果を見たんだけど…………ダメ、だったみたい」


 顔は俯いていて見えないが、相当悔しかったことが伝わってくる。


「……そっか」


「……私なりに頑張ったつもりだったんだけどな」


 何とも弱々しい声が耳に響く。


「ダンスのレッスンだって、発声練習だって毎日欠かさずやってきた。……でも、オーディションの時にいた他の子たちは、もっと凄かった」


「菜乃……」


 こういう時、どういう言葉を伝えればいいのか、すぐには思いつかなかった。

 でも、『よく頑張ったな』……なんて、口が裂けても言えるわけがない。

 菜乃が、どれだけの努力を積み重ねてきたのかを、まだ知らないから……。


 頭の中で必死に、かける言葉を探していると、


「…………っ!? ちょっ!?」


 突然、菜乃が俺の制服の裾をキュッと掴むと、教室に下がっているカーテンへと引っ張られた。


「しーっ」


 菜乃は口に指を当てながら、小声で伝えてくる。

 その手には、さっき俺が教卓上に置いていたはずのカバンがあった。


 すると、突然、教室の扉が開いたと思ったら、一人の体育会系の教師が入って来た。俺と菜乃は、バレないためにカーテンの裏でじっとすることになってしまった。


 それにしても、


「菜乃。お前、よく気付いたな」

「えへへ。私、耳は良い方だから」


 そう言って、菜乃はウインクをする。

 さっきのシュンとしていたのが嘘のように、楽しそうな笑みを浮かべていた。それはとても喜ばしいことだ。ある一つの事を除けば……。


 ……この状況は、非常にまずい。


 今、俺と菜乃は、さっきと同じような密着する形になっていた。

 狭い空間なこともあって、下手に身動きが取れない。


 窓から指す日差しと密着したことで伝わる甘い女の子の匂いに、またドキッとしてしまった。


「!? な、菜乃!!」


 そんな俺を見抜いたのか、菜乃はさらにギュッと抱き締めてきた。さらに、こちらをからかっているのか胸を押し当ててくる。


「ふふっ。まぁ、お姉ちゃんほどじゃないけどね」


 そう言って、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

 まるでこの状況すらも、菜乃の計算の内な気がしてきてならない。


(……! あれって……)


 何気なく視線を外に向けると、渡り廊下を歩く白衣を着た一人の女性を見つけた。


 先生……。


 そう。それは、愛斗が密かに思いを寄せている城野先生だった。


 俺の目は、歩いている先生をゆっくりと追っていく。


「どうしたの? お兄――」


 一方、菜乃はというと、愛斗が外をじっと見ていたことが気になり、彼の視線を辿った。すると、そこには、渡り廊下を歩く白衣を着た女性がいた。


(……ふーん。そうなんだ……)




 その後。結局、入って来た教師は教室を見渡すと、俺たちに気付くことなく教室を出て行った。恐らく、戸締りを確認するために入って来たのだろう。


「はぁ……バレなくてよかった……」


 俺はカーテンの裏から出ると、グッと腕を伸ばした。じんわりと汗を掻いているのがわかる。


 ……まぁ、日差しの暑さでってことにしておこう。


 そんなことを考えていると、カーテンの裏から菜乃が出てきた。


「……えへへ。お兄ちゃん、今日は私の話を聞いてくれて、ありがとう♪」


 と、俺にカバンを渡しながらお礼の言葉を告げた。


「元気が出たのなら、よかったよ」


 そう言って、菜乃からカバンを受け取った。

 チラッと黒板の上にある時計を見ると、長く感じた時間も意外と数分程度しか経っていなかったようだ。


「……よし。そろそろ家に帰ろうぜ」

「……うんっ!」


 そして俺たちは、一度、廊下を確認してから空き教室を後にした。

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