第11話 菜乃と妹

 その日の夕方。


「う~ん……」


 何やら、黒羽くろはが困ったような表情で冷蔵庫の中身とにらめっこをしていた。恐らく、晩ごはんの献立を考えているのだろう。


「どうしたんだ、黒羽」

「あっ、あー君。実はね、今日の晩ご飯、何にしようかなって考えてたの」


 そう言って、黒羽は冷蔵庫に入っている食材について説明を始めた。黒羽曰く、どうやら晩ご飯を作ろうにも、使う食材がほとんど入っていなかったらしい。俺の家でごはんを食べるようになってからは、自分の家の冷蔵庫には飲み物以外あまり入れていなかったようだ。


「晩ご飯か……。確かに、食材が無いんじゃ作ることはできないな」

「だよねー」


 ……どうしたものか。


 こっちで晩ごはんをと思ったけど、タイミングが悪かったのか、冷蔵庫の中身は、昼食のナポリタンに使った食材を最後にほぼ空っぽになっていた。

 昼から黒羽と一緒にスーパーに行こうと思っていたのだけど、彼女の急な用事で買い出しに行けていなかったのだ。


「…………あ。じゃあ、こうしようぜ」

「?」

「黒羽と菜乃の引っ越しを祝ってパーティーをするっていうのは、どうだ?」


 本当は、再会した頃に祝いたかったが、周りに内緒で黒羽との生活をしている間に、その事をすっかり忘れていたのだった。


 自分で言うのは何だが、我ながらいい案だと思う。


「え、私のも?」

「ああ。当たり前だろ」

「!! あー君……」


 俺の言葉を聞いて、黒羽は満面の笑みを浮かべた。

 そして、リビングソファーにいた少女に視線を向ける。


「という事なんだけど、いい?」


 俺はチラリとソファーに横になっている菜乃なのを見た。

 すると、菜乃は、こちらに顔を向けるとコクッと頷く。


 ふぅ……。


 これによって、今日はパーティーをすることが決定した。


「ふふっ、じゃあ決まりだね!」


 そう言って幸せそうな顔の黒羽は、リビングの棚から小さな紙とペンを取り出す。


「とりあえず、ピザは頼んでおくとして、あとは――」


 黒羽は、紙に次々とパーティーに必要な物を書いていった。

 思い付きで言ってみたけど、喜んで貰えたのなら言った甲斐があったものだ。

 と思いながら買い物リストを書いている様子を眺めていると、突然、黒羽の書いていた手が止まった。


「……あ、いい事思いついた!」

「いい事……?」

「うんっ!」


 楽しそうな顔で返事をする黒羽。


 何か、嫌な予感が……。


「ねぇねぇ、あー君。これから、菜乃と一緒にパーティーの買い出しに行ってきてもらってもいい?」

「……はい?」

「……」


 すると、俺たちの話を聞いていたのか、ソファーにいた菜乃がこっちにやって来た。その顔は、怒っているわけでも嬉しそうでもなく、ただ真っ直ぐと俺の顔を見てくる。


 ………………。


「ど、どうして、俺と菜乃なんだ?」

「え?」

「え?」


 ……何だよ、その「え?」って。


 まぁここは、取り敢えず――。


「留守番なら俺がするからさ、二人で、何か好きなジュースとかお菓子を買ってきてくれば――」

「――私なら別に、一緒に行っても構わないけど」

「え」


 ……菜乃、さん?


 今の言葉が信じられなかったのか、俺は思わず菜乃の顔を見た。


「菜乃もこう言っているし、いいでしょ?」

「え……。ま、まぁ、そこまで言われたら行くけど……」


 ほぼ無理矢理な形で、俺と菜乃はスーパーに買い出しに行くことになったのだった。




 駅前のスーパーで黒羽に頼まれた食材の買い出しを終え、俺と菜乃は帰り道を歩いていた。


「………………」

「………………」


 気まずい。


 家を出てから今までに交わされた言葉は、俺の「パーティー楽しみだな」と「荷物持とうか?」の二つだけ。菜乃からの返事はない。

 スーパーで食材を探している時も、黒羽が書いたメモを見ながらだったので、特にこれといった会話は生まれなかった。


「あ、あのさ……菜乃」

「……なに?」


 やっと言葉が返って来たと思ったら、このざまだ。

 菜乃は前を向いたままで、顔をこっちに向けようとはしない。


 小さい頃は、もっと明るい子だったんだけどな……。


「オーディションって、いつ結果が出るんだ?」


 ふと気になったので尋ねてみると、やっと菜乃と目が合った。


 自分なりに何とか会話を生み出そうと考えた時に思いついたのが、出かける前に家で話していたオーディションの事だった。黒羽から一通りの話は聞いたけど、この機会に菜乃から直接聞いてみようと思ったのだ。


 だが、


「……どうしてアンタが、そんなこと気にするの?」

「え……。ちょっ、ちょっとだけ気になったんだよ」


 さっきと変わらない反応が帰ってきた。


「ふ~ん……」


 と呟きながら、菜乃は視線を前に戻す。


 ……ダメだったか。


 その後はこれといった変化もなく、無言のまま歩いていると、徐々にマンションが見えてきた。


 すると、


「……来週末に、発表されるみたい」

「え?」


 俺はその場に立ち止まった。


 今……。


 菜乃を見ると、彼女の瞳が真っすぐと俺に向けられていた。


「……あ、そうなのか。発表の日までドキドキだな」

「……」

「えーっと……」


 咄嗟の事で動揺したのか、言葉がうまく出て来ない。

 そんな目に見えない戦いを繰り広げていると、菜乃が先へ行ってしまった。


(……ほんと、どうしたらいいんだか……)


 何も言う気が無くなった俺は、ただ菜乃の後に付いて行くことしかできなかった。




「ただいまー」

「あ、おかえりー!」


 家に着いてリビングに入ると、黒羽がキッチンから出てきた。どうやら、パーティーで使う食器類の準備をしてくれていたようだ。


「へぇー。いっぱい買ってきたね」

「ああ、まぁ折角のパーティーだしな」

「……」


 俺と菜乃は、持っていた袋をテーブルの上に置いた。


 ………………。


 結局、あれから菜乃とは会話らしい会話はなかった。


 はぁ……。




「カンパーイッ!!」


「「かんぱーい」」


 黒羽の声を合図に、彼女たちの引っ越し祝いパーティーの幕が開かれた。

 テーブルの上には、黒羽がサイトで注文をしていたⅬサイズのピザが二つとポテトフライ、そしてフライドチキンと、パーティーに相応しい品揃えになっていた。


「うぅ~ん! 美味しい~!」


 隣では、黒羽がピザを美味しそうに頬張っていた。どうやらずっと菜乃の部屋の掃除をしていたので、お腹が空いていたらしい。

 その様子を横目に、コップに入ったコーラを飲む。


「あー君、こっちのピザも美味しいよー」

「お、どれどれ」


 黒羽が指差したピザから一切れを取って、口に運んだ。


「うまっ」


 サクサクした生地にチーズとトマトの絶妙な味が、噛むたびに口の中に広がる。


「ほら、菜乃も食ってみろよ。このピザ、結構うまいぞ」

「……」

「? ほら」

「……えっと……ありがとう」


 そう言って少し頬を赤らめた菜乃は、一切れを取った。

 すると、その様子を見ていた黒羽が「えへへ」と微笑んだ。


「どうしたの、お姉ちゃん?」

「ううん。なんでもないよ~♪」


 いつもの明るい笑顔で黒羽が返事をすると、菜乃に見えないように、こちらにウインクをした。


「……!」


 どうやら、黒羽は、何気に俺と菜乃のぎこちない状況を察していたのだろう。


(……黒羽。サンキュー)


 そう心の中で呟いたのだった。




 パーティーが終わりに近付いた頃、黒羽が席を立った。


「ちょっと、トイレに行ってくるね」


 と言って、黒羽はリビングを出て行った。すると、必然的に俺と菜乃がリビングに残る事になる。黒羽のサポートのおかげで、今なら菜乃と普通に話すことができる気がする。


 ……よし。


「……菜乃。今日のパーティーは楽しかったか?」

「……」


 しかし、菜乃はじっとしたまま顔を俯かせていた。


「な、菜乃?」


 と再度名前を呼んだ時、突然、菜乃は席から立つと、テーブルを回って俺のすぐ目の前にやって来た。

 急に迫ってきた菜乃に、思わず上体を反らすことしかできない。


「……菜乃?」


 改めて名前を呼んでみると、菜乃はゆっくりと顔を上げた。




「おにぃ……お兄ちゃ~ん♥」




 と言って、菜乃にいきなり抱き着かれた。


「……――えっ!? な、菜乃!? きゅ、急にどうしたんだよ!?」


 一体、何なんだよこれはッ!? 急に何かと思ったら、お、お兄ちゃん!?


 あまりにも唐突なことだったので、状況を理解できないでいると、首に手を回されていることもあって、菜乃の顔がすぐ目の前にあった。

 その表情は、さっきまでのクールなものと違い、まるで恋する乙女のように見える。


「ごめんねっ♥ 私、お兄ちゃんにあんなヒドイこと言っちゃって……」


 耳元で囁かれた声が、妙にくすぐったい。


「それに、いくら、下着姿を見られたからって……」


 ……あ。やっぱり、怒っていたのか。


 てっきり、下着姿を見られても平然としていたから、あまり気にしないタイプと思っていたけど、どうやら違っていたようだ。

 菜乃が怒るのも無理はないだろう。謝るタイミングならどこでもあったのに、それをしなかったのだから……。


「な……菜乃、さん」


 謝ろうと思い、つい敬語で話しかけると、菜乃は首を横に振ってから俺の耳元で色っぽく囁く。


「“さん”付けなんてしなくていいよ。お兄ちゃん♥」


 菜乃は、首に回している腕の力を強めた。


「くっ……苦しい……」


「えへへっ。お兄ちゃん♥」


 耳元にかかる息と、菜乃の髪から微かに香るシャンプーのいい匂い。

 

 ……こ、このままじゃ……。



 ガチャ。



 その時、リビングの扉が開く音が聞こえた。


「二人ともー! 次はお菓子パーティーしようよ~!」


 声の主は、さっきまでトイレに行っていた黒羽だった。

 俺は、いいタイミングで戻って来った黒羽に顔を向ける。


「お、おう……って」


 どうして今、普通に首が動いたのかと思ったら、答えはすぐに分かった。


「………………」


 それは、さっきまですぐ目の前にいた菜乃が、気付いた時には自分の席に戻っていたからだ。


 プイッ。


 菜乃は俺が視線を向けると、当たり前のように顔を逸らした。


 ………………。


「? どうしたの、あー君?」

「え……い、いや……。な、なんでもないぞ!?」

「う、うん?」


 俺の語彙力のない返事を聞いて、黒羽は不思議な顔をしながら頷いた。




 こうして、楽しくも謎が増えた時間は過ぎ去っていったのだった。

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