第10話 天然メイドと謎の少女
「君は……」
今、俺は、脱衣所から出てきた見覚えのない少女と対面していた。
突然のことで驚いたのか、体が金縛りにあったかのように動かない。それは、目の前にいる少女も同じようで、俺の顔をじーっと見てくる。
明るく染まったボブの髪と真っ直ぐな瞳、そしてどこか幼さの残る可愛らしい顔。
シャワーを終えたばかりなのか、まだ髪は濡れていて、髪を拭くためのタオルが首から下げられている。しかし、俺の眼は、それ以上に少女の格好に釘付けになっていた。
何故なら、少女は今……下着姿だったからだ。水色と白のボーダーと繊細なレース、そしてブラとショーツの真ん中に付いているリボンが、可愛らしさを演出していた。
「………………」
ふと顔を上げると、少女がジト目でこちらを見ていた。
(えぇーと……)
急に気まずくなって、俺は少女の視線から顔を逸らす。だが、それをしても何も解決することもなく、お互いに無言のままでいると、突然、少女がこちらに一歩踏み出してきた。
俺は、何を言われても仕方ないと思い、腹を括る。
「…………お――」
「――あーく~ん!」
と、少女が何かを言いかけたタイミングで、リビングの近くにある部屋から声が聞こえた。俺と少女が視線を向けると、メイド服姿の黒羽がこちらに手を振っていた。
「く、黒羽……」
「? どうしたの?」
黒羽は、俺の気まずそうな顔を見て不思議に思ったのか、首を傾げる。
「あっ、もうシャワーは浴びたの?」
俺の顔を見ていた黒羽は、下着姿の少女に向かって声をかけた。今の黒羽の口調的に、目の前にいる少女とは、親しい関係のようだ……いや、待てよ。
「うんっ。さっき浴びてきたところだよ……お姉ちゃん」
「お、お姉ちゃん?」
…………え、もしかして、
「そういえば、あー君は会うのが久しぶりだったね」
そう言って黒羽は、楽しそうな笑顔でこちらを見てくる。
黒羽の反応を見るに、俺の予想は確信へと変わった。
「もしかして、お前…………
この言葉を聞いた少女・菜乃は、俺の顔を見ると、
「……」
プイッ。
え。
菜乃は顔を逸らすと、リビングの方へと歩き出した。
「……ああぁ! 菜乃! ちゃんと服を着ないとダメでしょー!」
黒羽は、菜乃の服装に気付いたのか、声を上げながら追いかけて行った。
………………。
さっきの出来事が嘘のように、シーンっとした空気が流れる。
最終的に、脱衣所の扉の前で一人取り残される状況が出来上がってしまったのだった。
「えぇ……」
場所は変わって、リビング。俺と黒羽たちは、テーブルを挟んで座った。謎の少女――菜乃は、さっきからずっと、俺と目を合わさないままだ。ちなみに菜乃の服装は、さっきまでの下着姿ではなく、白色のTシャツにショートパンツというラフな格好だった。
年が一つ下の黒羽の妹で、小さい頃はよく一緒に遊んでいた、俺のもう一人の幼なじみである。当時の菜乃は、俺と黒羽の後を一生懸命に付いて来る可愛らしい女の子だった。だが、彼女たちが引っ越しで遠くに行ってからは、今日まで一度も会っていなかった。
それが、まさかこんな形で再会する事になるなんて、思ってもみなかった。
「あの……菜乃、さん?」
謎の緊張感を持ちながら、声をかける。もしかしたら、思春期真っただ中なのかもしれないという可能性が大だったので、出来る限り優しい口調で言ってみたのだけど、
「アンタさ、気安く名前で呼ばないでくれる?」
「……あ、はい」
どうやら、俺の予想は当たっていたようだ。
……てか、すごい目が怖いんだけど。
菜乃の鋭い視線が、俺の顔へと真っ直ぐ向けられていた。
「どうしたの? 二人とも、何か変だよ?」
黒羽は、俺たちの雰囲気を感じ取ったのか不思議な顔で見てきた。
もし、この場に黒羽が居なかったら、今の状況は更に悪化していたのかもしれない。
……ほんと、黒羽が居てくれて――
「ねぇ」
「……な、なんだ!?」
つい自分の世界に入っていた俺は、慌てて声のする方を見た。
「どうやって、アンタこの部屋に入ったの?」
「!! あ……黒羽、これ」
菜乃の言葉を聞いて、俺は本来の目的を思い出した。それは、俺が持って来たこの部屋の合鍵を黒羽に返すことだ。
「あっ、ありがとう。でも、いいの?」
「あ、ああ、いいんだよ。俺が持っていても仕方ないし」
そう言って俺は、ポケットから出した合鍵を黒羽に渡した。すると、その光景を見ていた菜乃が黒羽に声をかける。
「お姉ちゃん、その鍵……」
「え、これ?」
「うん。それって、この家の合鍵だよね」
「そうだよっ♪」
まるで自慢するかのように、黒羽は手に持っていた合鍵をグイッと前に出す。そこで、俺はここまでの経緯を説明した。
黒羽が忘れて行った合鍵を返すために、これで彼女たちの部屋に入ったこと。そして、廊下を歩いている途中で脱衣所から音が聞こえたと思ったら、下着姿の菜乃が脱衣所から出てきてバッタリ会ってしまったことを――。
「そう……だったんだ」
今の説明である程度納得してくれたことに、ホッと息を
「疑ったりして、ごめん」
「い、いいよ。俺だって、合鍵じゃなくて普通にチャイムを押せばよかったんだから」
そう言うと、菜乃は下げていた顔を上げた。その頬は、ほんのりと赤くなっているように見える。
?
「とりあえず、これで一件落着だね!」
俺と菜乃が視線を向けると、黒羽は眩しい程の笑顔を見せてくれる。
リビングに漂っていた緊張した空気も、黒羽の元気な声のおかげで和らぐのを感じた。
……ほんとに、黒羽が居てくれてよかった……。
「そうだ。お姉ちゃん、私の部屋は?」
すると、黒羽はリスのように頬を膨らませる。
「もぉ~ちゃんとやったよ! 大変だったんだからーっ!」
どうやら、プンップンッと怒っているようだ。でも、黒羽がそれをやると余計に可愛いと思った。
「ふふっ。ありがとう、お姉ちゃん」
「どういたしましてっ」
お互いに笑みを浮かべながら見つめ合っている姿を見ると、なんとも微笑ましい。
「ね、ねぇ、お姉ちゃん」
「ん? なーに?」
菜乃は視線を下げると、黒羽が着ているメイド服を見る。
「さっきから、ずっと気になっていたんだけどさ……その服は、なに?」
「服? これのこと?」
「うん。お姉ちゃんって、メイド服を着る趣味なんてあったっけ?」
それを聞いて黒羽はイスから立つと、菜乃が全身を見れるようにその場で一回転をした。その姿に、俺は思わず見入ってしまう。
もう、何度も見てきた幼なじみのメイド服姿だけど、まだドキッとする時がある。
そんなことを考えていると、黒羽は、自分がメイド服を着ることになった経緯や母さんからの手紙のことについて説明した。
「ふ~ん、そうなんだ」
「菜乃もメイド服、着てみる? 種類なら他にもあるし♪」
「え……。い、いいよ、遠慮する」
菜乃は遠慮する素振りを見せると、黒羽が首を傾げる。
「本当にいいの? こんなに可愛いのに」
自慢するようにスカートの裾を持ち上げたりしていると、黒羽は何かを思い出したのかポンと手を叩いた。
「そういえば、菜乃。オーディションの方は、どうだったの?」
「!? お、お姉ちゃん!!」
すると、菜乃は顔を真っ赤に染めながら、黒羽に抗議の視線を向けた。
「……オーディション?」
中3の女の子が受けるオーディションって言ったら、何があるかな……。
「えへへ。実はね、菜乃はアイドルになるためのオーディションを受けに行ってたんだよ」
話の続きを聞いていくと、菜乃の夢についての話に変わった。まとめると、菜乃は自分がまだ小学生の頃、偶然、テレビで見たアイドルに憧れてオーディションを受けるようになったらしい。アイドルになるためには、大雑把ではあるけど、歌唱力とダンス力、そして、テレビ番組に出た時などのトーク力が必要とのことだ。
「……ふんっ」
菜乃は俺と目が合うと、またプイッと顔を逸らした。
「おいおい……」
前に一度、テレビでやっていたアイドルの裏側を特集したドキュメント番組を見た限り、決して楽な世界ではないことは痛いほどわかった。
まさか、そんな厳しい世界に菜乃が挑戦していたとは……。
ちなみに菜乃がこっちに来るのが遅れたのも、そのオーディションの日程が引っ越しと被ったかららしい。
兎にも角にも、これから更に慌ただしい日々が始まる――と思ったのだった。
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