第8話 メイドと屋上

 翌朝。


 三國家のリビングには、いつも通り俺と黒羽の二人だけ。


 今日は俺が食事当番なので、すぐにできるチーズトーストとホットコーヒーを用意した。楽な方を取ってしまったが、まぁいいだろう。

 

 黒羽はブラックが飲めないで、ミルクと砂糖多めにして朝食を食べ進めていた。だが、


「………………」

「………………」


 朝食を食べ始めてからというもの、お互いに会話が生まれない状況が続いていた。


 トーストを一口かじりながらチラッと見てみると、黒羽はぼーっとした表情でコップに入ったコーヒーを眺めている。


 転校してまだ少ししか経っていないから、女子特有の嫌がらせにあって困っているのではないのか。考えれば考えるほど、心配の種が増えていく。


 ……一体、どうしたってんだ?


 いつもの黒羽の様子とかけ離れているだけに、余計に気になってしまう。


「あ、あのさ……」

「なに?」


 黒羽は顔を上げると、じーっとした目でこちらを見てくる。


「いや、その……もしかして、どこか具合でも悪いのかなって、思ってさ……」

「…………」


 思い切って言ってみたものの、返って来たのは無言だった。さらに、さっきと変わらない瞳が俺の顔を見つめてくる。


「その……」


 すると、黒羽は空になった皿とコップを持ってキッチンに行ってしまった。


 キッチンに行かれては話を続けることができないので、仕方なく残っていたチーズトーストを食べていると、食器を洗い終えたのか、黒羽がリビングに戻って来た。


「それじゃあ、私、先に行くね。行ってきまーす」

「え、お、おう……」


 そう言い残すと、黒羽は俺と目を合わせないまま、イスに置いていたカバンを持ってリビングを出て行った。


 ガチャリ。


 扉の閉まる音が、虚しくリビングに響き渡った。


「…………はぁ」


 結局、謎を聞き出せないまま、一人リビングに取り残されたのだった。




 二時間目の授業が終わった後の休み時間。いつもなら、琢磨とくだらない話で時間を潰しているのだけど、今日に限って、そうはいかなかった。


「はぁ……」

「ん? どうしたんだ、ため息なんかいてさ?」


 俺が窓越しに外を眺めながらため息をついていると、琢磨が声をかけてきた。


「実は…………いや、やっぱりいい」

「なんだよー。余計に気になるじゃねぇか」


 琢磨は、言ってもらえなかったことに不満を覚えているようだが、それも無理はない。何故なら、もしここで朝の出来事を話そうものなら、黒羽と一緒にいたことがバレてしまう。


 そんなことになってしまったら、他の男どもからの非難がさらに悪化することは、目に見えていた。


 やっと少し落ち着いたところに、追い打ちをかけるような事はしたくないのである。


「? ……!? ヤバッ!?」

「琢磨、これをお前に言うわけには……って、あれ?」


 ふと見ると、さっきまで目の前にいた琢磨が居なくなっていた。すると突然、ポケットに入れていたスマホがブーッと揺れた。


 恐らく、誰かからの連絡だろうと思い画面を開くと、そこには――


『オレは隠れるから!』


 と謎のメッセージが送られていた。送り主は、さっきまですぐそこにいた琢磨だ。


 ……隠れる? 何から?


 俺がメッセージの内容を理解しようと考えていると、廊下の方が急にガヤガヤと騒がしくなったので、何気なく見てみると、


 ……ああ、なるほどね。


 琢磨が、何故隠れたのかが分かったので、メッセージを送る。


『いいのか? 女子達廊下で待ってるぞ』

『いいんだよ! あと、もしオレの事を聞かれたら、どこかに行ったって言ってくれ!』


 メッセージを送ってすぐ琢磨から、返信が来た。


(どうしようかな……)


 親友のピンチを助けたいのは山々だが、あいつの女性不振を治す絶好の機会でもある。そのためにも、このままにしておいた方が……と思ったが、俺にはできそうになかった。


 はぁ……。


『仕方ないから協力してやるよ』

『いいのか! さすが、心の友よ!』


 ……どこかで聞いた事があるような。まぁ取り敢えず、今は置いといて。


 協力すると伝えた以上、次のチャイムが鳴るまでの残り五分間、琢磨を女子達から守らなければならなくなった。


「……ほんと、琢磨も大変――」

「――ねぇ、ちょっといい?」


 さっきまで廊下にいた女子の内の一人が、声をかけてきた。

 顔に見覚えがないので、他のクラスの生徒のようだ。


「はい?」

「あの、山吹君がどこに居るのか知らない?」

「琢磨? 琢磨は……――」


 女子生徒からの視線を浴びながら、どういう風に誤魔化すのかを考えた。ちなみに今、琢磨が隠れているのは教室の前にある教壇の下だ。隠れるのなら最適な場所ではあるけれど、教室中を探されたら一瞬で見つかるだろう。


 それを踏まえて、導き出した答えは――


「……さ、さっきトイレに……行ったけど」


 頭をフル回転させて思いついたのがこれだった。無難と言えば無難だろうと信じたい。


 すると、


「あ、そうなんだ、ありがとう!」


 女子生徒は俺の話を聞いて納得したのか、教室を後にした。

 その後ろ姿を見送ってから、すぐさまメッセージを送る。


『女子達、教室出て行ったぞ』

『ほんとか!? サンキュー、愛斗!』


 すると、またすぐに返信が返って来た。


 その後、琢磨は教壇の下から少し顔を出して、周りをキョロキョロと見渡す。まだ、彼の警戒心は解けていないらしい。


(今度、ジュースでも奢ってもらうことにしよう。うん、それがいいな)


 そう心に決めて、スマホをポケットに閉まったのだった。


 はぁ……やれやれ。




 それから時間も経ち、四時間目終了のチャイムが鳴った。つまり、昼休みの始まりだ。


「愛斗、飯行こうぜ~」

「ああ――」


「「「「「「――山吹く~ん!!!」」」」」」


 ふと視線を声が聞こえた方に向けると、そこにはさっきの休み時間の時の女子生徒たちがいた。


「……琢磨」

「……な、なんだよ……」

「……行ってらっしゃい」


 そう言った矢先、琢磨は女子達に囲まれると、逃げることもできないまま両腕をガッチリと掴まれる。


「愛斗ぉぉぉ~~~~!!!」


 琢磨は、断末魔のような雄叫びを上げながら、連れて行かれてしまった。

 もう、この光景を何度見たかは、はっきり覚えていない。けど、これからも琢磨の苦悩が続くことは、深く考えなくてもすぐにわかった。


 ……さらば、友よ。


 そんなこんなで結局一人だけになってしまったので、いつも通り購買に行くことにした。


 俺は、カバンから財布を取り出すと、席を立つ。

 一人では寂しいので隣の席を見るが、そこに彼女・黒羽の姿はなかった。朝の一件以来、今までずっと黒羽と目を合わせていなかったのだ。


(俺、何かしたっけ……? う~ん……全く思い出せん)


 そんなことを考えながら廊下に出ると、壁にもたれ掛かりながら立っている黒羽を見つけた。


「あっ、あー君」


 黒羽はこちらに気付いたのか、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。

 その表情は、どこかこちらの様子を窺っているように見える。


「えっとね……。実は、友達と一緒に食堂に行こうと思ってたんだけど……」

「お、おお、それがどうした?」


 今の黒羽の口調から察するに、友達と食堂に行けないという事は想像できる。だが、俺が想像したのはもっと悪い方……。

 つまり、黒羽が他の女子達にハブかれたという可能性だ。もし、大事な幼なじみがそんなことになっているのなら、俺は断固として立ち上がらなければならない。


 黒羽……お前って奴は……。


「黒羽、俺はいつでも、お前の味方――」

「――みんな、部活のミーティングがあるみたいだから、一緒に行けなくなっちゃったんだー」


「……部活?」

「うん。だからね、その……できれば、一緒にごはんが食べたいな……って思って」

「……俺か? 俺なら別に構わないぞ」


 ……な、なるほどね。要するに、俺のただの早とちりだったというわけか。


「え、ほんと!?」

「ああ、こっちも、一緒に昼飯を食べようとしてた奴が連れて行かれちゃったし」


 黒羽の事が心配で、あいつ(琢磨)の存在を忘れていたことは内緒だ。


「じゃあ、決まりだね!」


 そう言って黒羽は満面の笑みを浮かべた。


 ドキッ。


 ……この気持ちは、一体。


 そんなことを考えながら、俺と黒羽は並んで歩き始めた。

 廊下ですれ違うたびに、嫉妬のような視線が向けられる。

 

 ただ、幼なじみと廊下を歩いているだけなんだけどな……。


「ねぇねぇ、あー君って、いつもどこで食べてるの?」


 突然、予想していなかった質問が飛んできた。


「え? そうだな……まぁ、気分によるかな。教室の時もあれば食堂の時もあるし、あとは強いて言えば屋上か――」

「――屋上!」

「!? 急にどうしたんだよ、大きな声なんか出して……」


 ……あと、それから、顔が近いって!


 すぐ目と鼻の先に黒羽の顔が近づいてきたので、思わずドキっとしてしまう。


「私、今日は屋上で食べたい!」

「え、屋上か?」

「うんっ! ねぇ、いいでしょ? 今日は、外も天気が良いし!」

「まぁ、別にいいけど」


 そんなこんなで、今日のお昼は屋上で食べることに決まった。




 階段を上がって、屋上に出るための扉をくぐると、


「おおぉー! すごーい!」


 黒羽は、青い空の下、ワクワクした様子で周りを見渡す。


「黒羽~、こっちに来ないと日焼けするぞ~」


 そう言っていつものベンチに腰を下ろした俺は、黒羽に声をかけた。

 乙女にとって、日焼けは避けなければならない大敵。それは、男の俺にも分かる。だが、当の黒羽は、特に気にしていないのか、いつもと変わらない足取りでこっちに向かってきた。


「涼しいねぇー」


 日陰に入ったところで、黒羽は両腕を上にグッと伸ばした。


「まぁ、ここなら日陰にもなるし、風が通りやすいからおススメだな」

「へぇ~」

「あ、それから、屋上が使えることは内緒で頼む」


 俺が裏で手に入れた鍵の存在がバレようものなら、城野先生との楽しい昼休みが丸潰れになってしまう。それだけは、何としてでも防ぎたい。


「うんっ、わかった! これは二人だけの秘密だね♪」

「そ、そうだな……」


 俺の気持ちが伝わったのか、黒羽は笑顔で返してくれた。ただ、『二人だけの秘密』というワードに一瞬引っかかったことは、ここだけの秘密だ。


「……おっ、黒羽はコロッケパンにしたのか」

「えへっ、そうだよ。これ、最初に食べた時から病み付きになっちゃって」

「わかる! ここのコロッケパン、美味いもんなぁ」

「うんっ、美味しいよね~」


 この学園の購買で売られているパンのクオリティーには、毎回驚かされる。なんだろう、うまく表現する言葉が思いつかないけど、一つだけ言えるとすれば、間違いなくここのパンは最高だという事だ。


 そんなことをぼんやりと考えながら、袋からパンを取り出す。


 ふと黒羽の方を見ると、彼女と目が合った。

 

「それじゃあ、食べるか」

「うんっ♪」


 そう言って俺と黒羽は、手を合わせる。



「「いただきます!」」

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