第7話 上ヶ崎の女神
黒羽が転校して来て数日が経った、ある日の昼休み。
授業で使ったノートや教科書を机の中に閉まっていると、黒羽の元に数人の女子がお弁当を片手に集まった。
「式神さん、ごはん食べに行こう」
「うんっ、ちょっと待ってね」
そう言って黒羽は、カバンから財布を取り出す。
最初は、転校したばかりで心配したけど、どうやらそれは必要なかったらしい。というのも、黒羽のコミュニケーション能力は凄まじかった。転校初日にできた友達や他のクラスメイト、ましてや教師たちまで黒羽の魅力に引き込まれていった。
……ほんと、凄い奴だよ、全く。
ふとそんなことを考えていると、財布を持った黒羽が女子達と共に教室を出て行った。
「愛斗~、飯にしようぜぇ」
すると、前の席の琢磨が振り返って声をかけてきた。
昼休みは、琢磨と一緒に昼食を取っている。だが今日に関しては、それは叶いそうになかった。なぜなら、
――ドタドタドタドタッ。
――バタバタバタバタッ。
廊下の方から、無数の大きな足音が聞こえる。この音は、琢磨と一緒にいるようになってから、ほぼ毎回聞いている音だ。
「……なぁ、琢磨」
俺が呼ぶと、カバンからお弁当を取り出していた琢磨が返事をする。
「ん? なんだ?」
琢磨は、俺が廊下の方に視線を向けていることに気付いた。
――ドタドタドタドタッ。
――バタバタバタバタッ。
そうしている間にも、足音がどんどん近づいて来る。
「どうした、愛斗? ……あ」
琢磨は俺の視線の先が気になったのか、ゆっくりと視線を辿って廊下の方を見た。
すると、
「「「「「「「「「「山吹く~んッ!!!」」」」」」」」」」
パッと見て十人以上の女子達が、声を上げながら教室に入ってきた。
教室にいた他のクラスメイト達は、またあれが始まったのかと思わんばかりに、そっと視線を逸らす。
「………………」
この光景は、一学期から始まった。
最初は、俺やクラスメイト達、そして琢磨自身も驚いていたが、いつしかこの光景は、ある頃から昼休みの名物となった。
だが、本当の問題はもっと他にある。
「………………」
すると、琢磨は今にも泣き出しそうな目でこちらを見てきた。
俺が見返した事に気付くと、すかさずアイコンタクトでメッセージを送ってきた。
『あ、愛斗! 助けてくれぇ!!』
『……琢磨』
『おう、なんだ!?』
『……生きて帰って来いよ』
『愛斗!! お前知ってるだろ、オレが……女が苦手だってこと!!』
そう。ここまで女子に人気がある琢磨の弱点、それは、女性が大の苦手だという事だ。話によると、中学の時に付き合っていた彼女に振られてから、この病が発症したらしい。
また、幸か不幸か、その問題を他の女子達が知らないのだ。琢磨自身、変にプライドがあるため、そのことを黙っているし。
……まぁ、なんだ、この機会に女性不信を克服してもらうとしよう。これも、友のためだ。
俺は、席から立つと、軽い足取りで扉の方へと歩き出した。
『愛斗ぉー!!!』
一瞬、何か聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだろう。
(どれにしようかな……)
教室から出た俺は、購買でパンとジュースを選んでいた。
本当は、琢磨も一緒に付いて来るはずだったが、今回も女子達に連れて行かれてしまった。今に始まったことでもないし、これに限っては、放っておくしかない。
そんなことを考えている間に、パンとジュースを買い終えた俺は、買ったものを持って、あるところに向かう。
購買のある一階から階段を上がって、教室のある三階に戻って来た。この時間は、行き来する学生が多いので、周りを確認してから、階段を上がった。
「えぇーと……」
屋上へと出るために、とあるルートで手に入れた鍵を使って、扉を開けた。
(眩しい……)
一歩足を進めると、そこには、空から降り注ぐ暑い日差しと綺麗な青空。
この学園では、学生が屋上に行くことは禁止されているので、さっきのような鍵を使うしかない。
俺は扉を閉めると、屋根で日陰になっているベンチに腰を下ろした。風通しがいいのか、涼しい風が流れている。
その後、横に購買で買った物の袋を置いた。今日は、明太フランスと焼きそばパン、それとカフェオレだ。この学園の購買は、パンの種類が豊富なので、飽きないのが特徴でもある。
そんなことを考えていると、突然、屋上の扉が開いた。
「久しぶりね、三國君」
ふと顔を上げると、白衣を着た女性が、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「はい、お久しぶりです。城野先生」
と言うと、彼女は優しい笑みを浮かべた。
遠くから見てもすぐ分かる程、先生はとても美人だった。それも、その美しさから男女問わず生徒達から“上ヶ崎の女神”と呼ばれていたりする。
小顔で身長が高く、スタイルがとてもいい。それにセミロングの黒髪もツヤがあって、その姿はまさしく美の象徴と言わんばかりな程だった。
俺がここに来るのも、実は、先生に会うためだったりする。
何故なら、
―――俺が、先生に恋をしているから―――。
あれは、初夏の風が吹き始めた日の―――
「……隣、座ってもいい?」
「!? い、いいですよ、どうぞ」
俺が返事をすると、城野先生はベンチに腰を下ろした。
間近で見る横顔は綺麗に整っていて、思わず
「? 私の顔に、何か付いてる?」
「…………あっ、い、いえ、何も」
こちらをじーっと見てくる先生の言葉を聞いて、今、自分が先生の顔を見つめていた事に気付いた。
……なんとも、恥ずかしい。
そうこうしている間に、先生はランチバッグから可愛らしい木箱のお弁当を出して、膝の上に置いた。
「いただきます」
そう言って先生は、綺麗に盛り付けされたおかずに箸を伸ばした。その姿を少しの間見ていた俺も、慌てて袋からパンとジュースを取り出す。
「あ、先生、これ」
俺は、袋から自分の分とは別のパックのジュースを一つ取り出すと、先生に渡した。
「ふふっ、ありがとう」
先生はお礼の一言を告げてから、微笑みながらジュースを受け取った。
「ほんとは、ここでご飯を食べるのはダメなんだけど、これを貰った以上は仕方ないわね。今回“も”黙っておく事にしましょう」
「よっ! さすが、先生!」
「ふふっ、褒めてもなにも出ないわよ」
今、俺が渡したのは、購買で一緒に買っておいた、いちごオレだ。教師の許可なく勝手に屋上に入っていることから、それを他の先生にバラされてしまわないように、時折、ジュースを献上している。これは、言わば口止め料だ。
……まぁ、先生のあんな笑顔を見られるのなら、ジュースの一つくらい安いものだ。
袋から自分の分であるパンとジュースを取り出して、手を合わせる。
「いただきます!」
ついうわずった声が出てしまった。
………………。
チラリと横を見ると、先生は特に気にする様子もなく、ご飯をぱくぱくと食べていた。
「それにしても、先生って美味しそうに食べますよね」
「え……もう、恥ずかしいなぁ。人が食べているところを盗み見するのは、先生、良くないと思うな~」
一瞬だけ照れた後、先生は拗ねた子供のように顔をプイッと逸らした。
「そう怒らないでくださいよ。ほんとは、言われて嬉しかったくせに……」
「ああ! 今、ハッキリと聞こえたからね!」
小声で言ったつもりが、どうやら耳に届いていたらしい。
しかし、頬を赤く染めて怒る先生も、これはこれで………いい! すごくいい!
そんなことを考えつつ、昼食を食べ進めていく。
「先生、そのお弁当手作りなんですか?」
ふと屋上で一緒に食べる時にいつも気になっていたことを尋ねた。
「え? えぇ、そうよ。といっても、簡単に作れるものばかりだけどね」
「そんな事ないですよ。俺には、こんなきれいな形の卵焼き、作れません」
「そう? じゃあ、褒めてくれたお礼に卵焼き一つ上げる」
「え、いいんですか?」
「えぇ、もちろんよ」
お弁当箱の中を見せてもらうと、半分に敷き詰められたご飯、れんこんと人参のきんぴら、ほうれん草とベーコンの炒め物、ミートボール、そして卵焼きが盛り付けられていた。
手作り感があって、とても美味しそうだ。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
と一言告げてから、お弁当のおかずから卵焼きを一つ摘まむと、口に運んだ。
「……!! 美味しい~」
「ふふっ♪」
俺の満足そうな顔を見てホッとしたのか、先生は満面の笑みを浮かべた。
「「ごちそうさまでした」」
夏休みの間の出来事を話している間に、お互いに昼食を食べ終えた。もちろん、黒羽がメイドとして家に
そうこうしていると、そろそろ予鈴が鳴る時間なので、後片付けを始めた。
「俺、そろそろ教室に戻ります。あと、卵焼き、とっても美味しかったです」
「こちらこそ、楽しいお昼休みをありがとう♪」
そう言って先生は、さっきと同じ満面の笑みで見てきた。
この笑顔だけを見るために、学校に来ていると言っても過言ではない。
先生の笑顔を目にしっかりと焼き付けて、屋上を後にした。
その後、階段を下りて廊下を確認してから、俺は教室に戻った。だが、
「あー君……?」
メイドが見つめる先には、屋上に行く階段から下りてきた、幼なじみの姿だった――。
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