第6話 転校生は幼なじみでメイド

 夏休みが終わり、迎えた朝。


 クーラーを付けていないとバテてしまいそうな暑さは、まだ終わっていなかった。


(あちぃ……)


 クーラーは効いている筈なのに、この暑さは……。

 額からは、昨日とは違う汗が流れる。


 ………………。


 暑さに耐えながら気だるげな体を起こすと、枕元にあるスマホの画面を点ける。

 今の時間は、朝の六時過ぎ。

 いつもなら、こんな早い時間に起きる必要はない。だが、今日から二学期が始まるので、起きるしかなかった。


 そんなことを考えていると、ふと黒羽のことを思い出した。


 ……たしか、今日は転校初日だから早く学校に行くって言ってたっけ。


 それは、昨日、あの一件が終わった後、黒羽がラインで教えてくれたことだった。今日までの一週間は、黒羽が起こしに来てくれるところから一日が始まっていたので、地味に調子が狂う。


 それにしても……――――なんだか、寂しいな。


 こんなことを思ってしまうほどに、俺の中で、黒羽の存在が大きくなっていることを実感する。


 …………はぁ。


 その後、俺はベッドから起き上がると、顔を洗うために洗面所へと向かった。




 朝食を作って出す相手がいない以上、ついつい楽な方を取ってしまう。

 こんがりときつね色を付けたトースト、眠気覚ましに効果抜群のホットコーヒー。ブラックは苦手なので、砂糖とミルクは必ず入れている。

 と、まぁ一人だけならこれで十分だ。


「……いただきます」


 俺は、一学期最後の日以来の制服を着て、朝食を食べ進めていく。



 ――――――――。



 静かな空気がリビングを包み込む。


 それから十分も経たない内に、


「――ごちそうさまでした」


 特になにかを思い浮かぶこともなく、朝食を終えた。


 使った皿とコップをシンクに運んで、食器洗いを始める。これは、一人暮らしを始めた一学期の頃から変わらない習慣だ。


 本当は学校から帰って来て、朝使った食器を洗うのが面倒くさいというのが、本音なのだけど。


 そんなこんなで、ささっと食器洗いを終わらせた頃には、リビングの時計の針が登校ギリギリの時間だということを教えてくれた。俺は、濡れた手をタオルで拭いてから、イスに置いていたカバンを持つと、玄関へと向かう。


 さっき飲んだコーヒーのおかげなのか、完全に目が覚めていた。


「行ってきま……す」


 誰もいない廊下にポツリと言ってから、外に出た。




 通学路を歩いていると、家の中とは比べ物にならないほどの暑さを感じる。

 そこで何気なくスマホの天気予報を見てみると、今日の気温は三十度、そして最高気温は三十三度まで上がると書かれていた。

 夏休みが終わっても続く、この暑さ。基本インドアの自分からすれば、地獄でしかない。


(……帰っちゃダメかな……)


 つい弱気になってしまう気持ちを堪えながら歩いていると、徐々に同じ制服を着た学生を見かけるようになる。


 それからさらに歩いていると、正門の前に着いた。


 私立『上ヶ崎うえがさき学園』。高等部と中等部の二つがある以外は、特に変わったところがない普通の学校だ。だが一つあるとしれば、理事長がどこかの財閥の創業者だということだろう。それがどこだったかは、興味がなかったのか全く覚えていない。


 そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、教室に到着した。どうやら、無事に間に合ったようだ。するとそこへ、


「遅いぞ、愛斗」


 窓側の奥にある席から、金髪の学生が声をかけてきた。


「あぁ悪い。ちょっとだけ、寝坊しちまってさ」


 俺の席は、彼の一つ後ろの席なので、近付きながら返事をする。


「へぇー珍しいなぁ。愛斗が寝坊なんて」


 彼の名前は、山吹琢磨やまぶきたくま。この学園に入学してから、周りに知り合いがいなかった俺に声をかけてくれたことから、仲良くなった。言うなれば、救世主といったところだ。


 顔立ちは……悔しいがイケメン。体格も、細マッチョで羨ましい限りである。


「誰でも、寝坊することはあるだろ。そう言う琢磨は、どうなんだ?」

「オレか? オレは、実家暮らしだからなぁ」


 そう言って琢磨は、朝にしては眩しいくらいの笑顔を見せた。こういう明るいところが、彼の一番の持ち味なのかもしれない。それもあってか、同じ学年の女子、ましてや上の学年の先輩たちからも、とても人気がある。


「オレから言わせりゃ、一人で悠々自適に暮らしているお前の方が、ずっと羨ましいぞ」

「ははははっ、はぁ……」


 イスの背もたれにもたれ掛かっている琢磨を尻目に、自分の席に座ると、力の抜けた声がこぼれる。それもそのはず、家のことを黒羽に手伝ってもらっているからだ。


 この事は、口が裂けても言えない。


「あ、そういえば聞いたか?」

「……なにを?」


 俺が聞き返すと、手招きをして来たので耳を傾ける。


「じつはな、今日このクラスに――」

「――はーい、みんな自分の席に戻りなさーい」


 琢磨が小声で何かを言おうとした瞬間、このクラスの担任の島袋姫子しまぶくろひめこ、通称・姫ちゃんが教室に入ってきた。姫ちゃん曰く、このあだ名を生徒達に呼ばれるのは、どちらかと言うと嬉しいらしい。


 だが、俺以外のクラスメイト達は、その後ろの方に視線を向けていた。


「え……」


 俺も習って視線を向けると、一瞬、口が半開きのまま固まった。


「はじめまして、式神黒羽です! みなさん、これからよろしくお願いします!」


 少女は、満面の笑みを浮かべると、大きく元気な声で言った。

 そう。その少女は、昨日の一件以来、顔を合わせていなかった……式神黒羽、本人だった。


 ここに転校してくるとは知っていたけど、まさか一緒のクラスになるなんて……。


「式神さんの席は、あの、一番後ろの席でいいかな」


 そう言って姫ちゃんは、俺の隣の空いている席を指さした。

 黒羽が席の方に目を向けた時、一瞬、俺と目が合うと、途端に嬉しそうな顔になる。


「……はいっ!」


 さっきより元気な声で返事をして、ゆっくりとこちらに向かってくる。

 その綺麗な顔立ちやスタイルに、みんなは視線で追いながら魅了されていた。すると、


「ほら、みんなー。転校生に注目するのはわかるけど、前を向きなさい」


 パンッパンッと、姫ちゃんは手を叩いてみんなを前に向かせる。


「ふふっ、隣同士だね、あー君♪」


 黒羽は自分の席に座ると、こちらを笑顔で見てきた。


「あ、ああ……」


 ぎこちない声で答えると、突然、たくさんの視線が向けられている気がした。


 俺がゆっくりとそっちの方に顔を向けると、今の黒羽の言葉を聞いたクラスメイト達の間で、どよめきが起きる。


『あー君!?』

『えっ、今、あー君って言ったよね!?』

『あー君だとぉー!?』


「え……」


 その様子を見ていた俺の肩に、琢磨がポンッと手を置く。


「愛斗、お前だけはずっと、オレの友達だと思ってたのに……」


 そう言い残すと、琢磨は俺から顔を逸らして前を向いた。他のクラスメイト達も、阿吽あうんの呼吸で同じように前を向いた。


「え、えぇ……」

「ふふっ♪」




 今日は午前で授業が終わりなので、俺と黒羽は帰宅の途に就いた。


 結局、ホームルームの時に黒羽から『あー君』と呼ばれてからは、始業式やその後の休み時間の間も、誰も目を合わせてくれなかった。

 特に男子は、こっちを睨むような目で見てくるし。女子はというと、休み時間になるたびに、黒羽の元に集まって色々な質問をしていた。


「はぁ……」

「どうしたの、あー君?」


 俺の様子を見て気になったのか、黒羽がこちらを見てくる。


「え? ああ、なんか今日は、いつもより異様に疲れたなって思ってさ……」


 これからこんな日々が始まると思ったら、この場で崩れ落ちそうになる。

 そんなことを考えていると余計に疲れるので、俺は別の話題を振ることにした。


「……で、どうだったんだ、転校初日は」

「えっとねー……なんと、友達ができました!」


 そう言って黒羽は満面の笑みで答えた。


「おっ、良かったじゃねぇか」


 転校初日から友達ができるなんて、相当凄い方だ。

 黒羽の人柄の良さが発揮されたってところかな。


「うんっ! あと、それから――」


 と、黒羽は俺の前に回り込んだ。


「?」


 俺が立ち止まると、黒羽は真っすぐな瞳で見つめてきた。



「あー君と、一緒のクラスで良かったことかな」



「……!」


 ……嬉しい事を言ってくれるじゃないか。


「なあ、黒羽。帰りにコンビニに寄ってもいいか?」

「うんっ、いいけど、何か買うの?」

「まぁな」


 そう言って俺が歩き始めたので、黒羽は後を付いて来る。


「黒羽、アイス、奢ってやるよ」

「えっ、ほんとに!? やった~!!」


 その笑顔を見られるのなら、こんな暑い日も決して悪くないと思ったのだった。

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