第3話 メイドのいる風景
次の日の朝。
「ねぇねぇ起きてよ、あー君! もう、朝だよ!」
俺の一日は、この声を聞くことから始まる。
「…………」
ぼーっとする頭を、なんとか働かせる。朝にとても弱く、枕元に置いている目覚ましの設定をしたスマホが、起きる上で必須アイテムになっていた。しかし今日に限っては、いつも聞くアラーム音とは、別の音……いや、声が聞こえた。
「んっ……?」
重いまぶたを、なんとか持ち上げた。そこへ、
「ふふっ。おはよう、あー君」
「おはよ……って、えっ!? ちょっ、ちょっと待て!」
俺が反射的に挨拶を返すと、目の前には、昨日と同じメイド服を着た
「な……なんで、黒羽、お前がここに居るんだよ!」
黒羽が家に居る。それ自体は、黒羽が家の事をしてくれるから分かるのだが、記憶にある限りでは、彼女に家の鍵を渡していなかったのだ。
なら何故、今、黒羽が俺の部屋で、俺を起こしているのか。
「えぇーと、それはねぇ~……じゃーん!!」
と気合いの入った声の黒羽がスカートのポケットから取り出したのは、銀色に輝く鍵。
鍵? …………あ。
「それって、まさか……」
「えへへっ。おばさんからこの家の鍵、借りてきちゃった♪」
目の前に居る黒羽は、ここぞとばかりに鍵を見せてきた。
「……マジかよ」
まぁ、これからこの家の事をしてもらう以上、鍵を渡すことは至って普通の事なのだろう。けれど、朝起きて目の前にメイド服を着た幼なじみが居たら、流石にびっくりする。
「さぁさぁ、早く起きて!」
黒羽は、まるで子供を起こす時の母親のような口調で言った。
「いや、その……起きたいのは山々なんだけど……」
「けど?」
「………………」
今、ベッドの上では仰向けの俺を黒羽が見下ろす、という構図が出来上がっていた。この体勢もあって、黒羽の顔がすぐ目の前にあるということになる。
ということはつまり……って、近い、近い!
そんな俺の心情を、当の黒羽は知る由もなく。
ちなみに、元々体重が軽いこともあってか、着ているメイド服の重さを入れても余り重くは感じなかった。
「……こ、この体勢は、一体何なんだよ!」
「何って、あー君が喜ぶと思って♪」
そう言って、黒羽は朝一番の笑顔を見せてくれた。これから、この笑顔を毎朝見られると思ったら、何故か心が安らぐ。
「それで、どうだった? 朝、気持ちよく起きられたでしょ~」
「……ま、まぁな」
ベッドから降りながら聞いてくる黒羽に、俺は顔を逸らしながら答える。
「えへへ、ならよかった♪ ほら早く起きないと、せっかくの朝ご飯が冷めちゃうよー」
俺は、今の言葉を聞いてある部分に引っかかった。
「……え、朝ご飯?」
「うんっ!」
元気な声で返事をした黒羽を眺めながら、ふとある事を思った。
――黒羽は、料理を作れるのか……っと。
最後に会ったのが小学生の時だから、彼女自身、色々な意味で成長しているのかもしれない。まぁ、詳しくどこがとは言わないけど。
「それじゃあ、先に行ってるからね!」
その言葉を残して、黒羽は部屋を出て行った。
「…………」
後に残された俺は、ベッドから起き上がると、腕を上にグッと伸ばす。
黒羽の言う通り、いつもとは違って朝の目覚めがいい気がした。
部屋を出てリビングに入ると、黒羽がキッチンの方で朝食の準備をしていた。これから急いで作らなくていいと思うと、何故か目からポロリと涙がこぼれそうになる。
そんなことを考えていると、キッチンに居る黒羽が炊飯器からご飯を茶碗によそっていた。ここから見る限りでは、手慣れているように見える。
俺がダイニングテーブルに移動してから、その様子をぼーっと眺めていると、黒羽が手に茶碗を持ってやって来た。
「これが、今日の朝ご飯でーす!」
そう言って、ご飯の入った茶碗をテーブルに置くと、もう片方の手に何かを持っていた。
…………卵?
そして次の瞬間、黒羽はご飯の真ん中に卵を落してから醬油を数滴垂らした。
「……もしかして、卵かけご飯?」
「そうだよ!」
「……もしかして、これだけ?」
それもそのはず、今、テーブルの上には二人分の卵かけご飯の入った茶碗以外、何も置かれていなかったのだ。
すると、黒羽は苦笑した表情を浮かべた。
「いや~、料理なんてほとんど作ったことがないから、苦労したよ~」
苦労って、ただ米を水で研いでから炊飯器に入れて炊くだけじゃないか。
「おかわりのご飯はいっぱい炊いてあるから、たくさん食べてね!」
「お、おう……」
さっき、起こしてくれた時のような笑顔で言われてしまったら、こちらに断る権利はなかった。
(……まぁ、黒羽なりに頑張って作ってくれたんだから、美味しく頂くことにしよう……)
そう心の中で誓ったのだった。
「いただきます!」
「……いただきます」
黒羽は元気な声で、俺は渋々といった声で、朝食が始まった。黒羽は箸で卵かけご飯を一口分持ち上げると、口に運んだ。
……ゴクリ。
「……う~んっ! 美味し~い! やっぱり、朝はご飯に限るね!」
目の前で美味しそうに頬張っているところを見るに、大丈夫なのだろう。そう判断した俺は、導かれるようにご飯を口に運んだ。
(……っ! こ、これは……!)
今まで自分が炊いていたご飯より、米の一粒一粒がしっかりと立っていて、表面はツヤツヤで食感はふっくらとしている。
たまに自炊をする自分からすれば、初めて作ったとは思えない程の完成度だった。
「……
「でしょでしょ! よかったぁ……」
俺の反応が良かったのか、黒羽は安堵したような顔でイスの背もたれにもたれ掛かった。
「ご飯を炊く前に、ちょっとした手間をかけるだけで、味と食感がグッと上がるんだぁ」
「へぇー。そうだったのか」
黒羽なりに努力していたんだな。
そんな、娘の成長を喜ぶ父親のような気分を味わっていると、
「……って、この前、お母さんが言ってた」
「……あ、そうなのね」
「うんっ」
そう言って黒羽は頷くと、手元の茶碗に視線を戻した。
………………。
その姿を見て、俺も朝食を再開したのだった。
この家での黒羽の仕事は、掃除、洗濯、食事の準備など多岐に渡る。
料理はともかく、それ以外なら元々自分でやっていたので、楽が出来るのはとてもありがたかった。とはいえ、流石に全ての仕事を任せるわけにはいかないので、二人で相談して毎日交代ですることに決まった。
その中で、特に問題になってくるのが料理だ。
朝食を終えた後、冷蔵庫の中を見てみると、見事にスッカラカンだったことに気付いた。野菜室に関しては、ねぎの一本すら入っていない。
『どうしよう?』
『そうだな……』
ここでも二人で相談し合った結果、近くにあるスーパーに買い出しに行くことに決まった。
それから、俺と黒羽は早速、出かけようとしたのだけど、
『ちょっと待てぇー!!』
黒羽がメイド服で外に出ようとしたので、慌てて止めた。
『? 私は気にしないよ?』
『黒羽が気にしなくても、一緒に行く俺が気になるんだよー!』
結局、なんとか説得には成功し、黒羽には一旦隣の自分の家で普通の服に着替えてもらってから、一緒にマンションを出た。
「それで、今日は何を買うんだ?」
歩き慣れた歩道を進みながら、隣で歩いている黒羽に尋ねた。
「えへへっ。それはねぇ……」
そう言って黒羽は、肩にかけていたショルダーバッグに手を突っ込むと、何かを探し始めた。だが、
「……って、あれ? あれあれー?」
「どうしたんだ、黒羽」
黒羽はバッグの中を見ながら、何かを探していた。どうやら、スーパーで買う物を書いたメモを探していたようだが、それが見つからないらしい。
すると、一生懸命にメモを探していた黒羽が、こちらに顔を向ける。
「えっと……えへっ♪」
「……」
誤魔化し笑いをする彼女に、俺は何も言わずじーっと顔を見つめ返す。
「……家に忘れてきたのか?」
「う、うん……。で、でも、大丈夫だよ! 何を買わなきゃいけないのか、ちゃんと覚えてるから!」
「……なら、いいけど」
そんなこんなで、突如起きたメモ紛失事件は何事もなく終わり、住宅街の歩道を進んで行く。今歩いている場所は、最近、いくつかの住宅が立つようになって、どこか静けさを感じていた。
「あ」
すると突然、黒羽が建設中と書いてある看板が立った敷地の前で、立ち止まった。
「どうしたんだ、黒羽?」
何か珍しい物でも見つけたのかと思ったが、どうやら見当違いだったようだ。
「ここ……昔、あー君と一緒に遊んでいた公園があったよね。もう、無くなったんだ……」
黒羽が言う公園とは、俺と彼女が幼稚園の時から一緒に遊んでいた、思い出の場所だ。だが、この辺りも二年くらい前から、工事がよく行われるようになって、恐らくその影響で公園が無くなったのかもしれない。
まぁ、黒羽は七年ぶりだから、驚くのも無理もない。
「……ほんと、懐かしいな」
「うん……。鬼ごっことかドッチボールでよく遊んでたっけ」
「そうそう!」
隣にいる黒羽は、どこか寂しそうな顔で、公園があった場所を見つめていた。
(……確か一回、鬼ごっこの途中に転んで怪我をした黒羽を、おんぶしながら家に帰ったっけ……)
懐かしい思い出が、次々と溢れてくる。
「黒羽……」
「…………行こっか!」
黒羽は無理矢理に笑顔を作ると、再び歩き出した。
「……ああ」
俺には、その後ろ姿がとても寂しく感じた。だから、黒羽と一緒に遊んだ公園の事を、絶対に忘れないと心に誓ったのだった――。
「大丈夫か? なんだったら、俺が持つけど」
「ううん。これくらい平気だよ」
スーパーでの買い物を終えて、俺たちは帰宅の途に就いていた。
「それにしても、いっぱい買ったな」
お互いの両手には、それぞれパンパンになったビニール袋があった。
「一週間分も買ったら、こんなもんじゃない?」
黒羽は手に持っていた袋を持ち上げたが、重さに負けたのかすぐに手を下ろした。確かに、黒羽が言うように、一週間分もあるのだから重いに決まっている。
「……なら、このお菓子の量は一体何なんだ」
「……えへっ♪」
お菓子でパンパンになった片方の袋を、さっきの黒羽のように持ち上げた。
………………。
黒羽は、突き付けられた証拠から視線を逸らすと、決してうまくない口笛を吹き始めた。
じ――――っ。
歩くスピードを黒羽に合わせながら、隣にいる彼女に視線を向ける。すると、その視線に耐えきれなくなったのか、こちらに顔を向けた。
「ほ、ほら、お菓子は別腹って言うし! いくら食べてもカロリーはゼロなんだよ!?」
「……流石にお菓子を食べたら、ゼロじゃ済まないぞ」
お菓子の種類によって差はあるだろうけど、少なくとも、手に油が付くようなお菓子は太る元になる。
俺も、中学の時にポテチとカフェオレの暴飲暴食で、体重がえげつないくらい増えたのは、今ではいい思い出だ。まぁ、ダイエットで元の体重に戻したけど。
「ふんっ! あ―君のいじわる!」
俺の言葉を聞いて、黒羽はそっぽを向いてしまった。
……なに今の仕草、めっちゃ可愛かったんだけど!?
「……あ、そういえば」
その時、ふとある事を思い出した。
「どうしたの、あー君?」
「黒羽。お前、九月から学校はどうするんだ?」
引っ越しでこっちに戻って来たのだから、新しい転校先の学校があるのかと思ったのだ。
……つい気になっていただけだ。決して、深い意味はない。ほんとに……。
「学校? ああ、それならもうとっくに決まってるよ♪」
「あ。そうなのか」
考えてもみたら、二学期まで一週間を切っているのだから、当然の事だろう。
そんなことを考えていると、信号が赤になったので、一旦立ち止まった。
「えぇーとねぇ~確か……」
黒羽は袋を俺に渡すと、バッグからスマホを取り出して何かを検索し始めた。俺は、その様子を横でじっと見つめる。
「……あ、わかった。ここだよ、ここっ!」
「どれどれ……って、ここは……」
黒羽が見せてくれたスマホの画面には、転校先らしき学校の写真が映し出されていたのだが、
「お……」
「お?」
「俺が……今、通ってるところと、同じなんだけど」
「え……ほんとに!?」
「あぁ、本当だ……」
「!? やったぁ~!!」
………………。
まだ、信号が赤のままの横断歩道の前で、四つの袋を手に、俺は立ち尽くすことしか出来なかった――。
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