第六話 指針

六話 指針



 和哉かずやが甘味を惜しむ理由をいとに尋ね、「どうして団喜だんきを諦めるのを躊躇っていたかって? 次に甘味をいただいた際、今日の出来事を理由にとき姫から一つでも多く掻っ攫う為だよ」という主人第一の侍従と思えない返答を貰った後。もう一度、指針と囲碁に興じ始めた李を尻目に、和哉は先程から浮かんでいた疑問をぶつけた。


「あの……さっきから、勝手に動いて囲碁をしてる針って何なんですか?」


「針自身についての説明ではなく、移し身の針についての説明でいいのかい?」


「えっ?」


 意味深に双眸を眇める絆に問い返され、意表を突かれてパチパチと黒の瞳を瞬く。生活必需品だった場合、無知を晒すと怪しさを助長させる可能性を考慮し、敢えて囲碁に興じる針について聞いたのだが、もしや貴族にのみ扱える貴重な品なのだろうか? 侍従の意図が読めず、内心で焦っていると、絆にふわりと柔らかく微笑まれた。和哉の身体が反射で慄く。


「屋敷に入ってすぐ、温かくて驚いていたでしょう? あれも針を用いて室内の温度を操作しているからね。ひょっとして和哉は、針自体を知らないのかと思ったのだけれど、違ったかな?」


「あ、合ってます。知らないです」


「平民にも浸透している針を知らないとなると、やはり召喚された可能性が高いね」


「召喚?」


 隠すと余計怪しまれそうで素直に肯定した和哉は、顎に手を当て軽く顔を伏せた絆の推測に首を傾げた。原因の解明に伴い不審者ではなく迷子だと把握したのか、絆の雰囲気が屋敷に入る前よりも随分と優しくなっている。和らいだ警戒心に期待と安堵が脈を打ち、密かにホッと胸を撫で下ろした。


「うん。順番に説明していこうか」


 和哉の鸚鵡返しに小さく首肯した絆が、春風のように相好を崩して少し考える仕草をする。白い狩衣に包まれた侍従の細い体躯からチラチラと見える李は、透明色の針と共に碁石を積み上げていた。かなり高くまで積まれており物凄く気になるが、話に集中しようと視線を戻す和哉。どこから説明するか整理し終えたらしき絆の、困ったような笑顔が飛び込んできた。


「あの針は魔術の針と呼ばれていてね、さっきも言った通り、平民にも浸透している生活必需品だよ。優れた効果を持つ物ほど平民の賃金で買えなくなり、貴族のみが使うことになるという貧富の差こそあれど、身分差関係なく使用されている」


「だったら、あまり知らないことはバレない方がいいですね」


「そうだね、可能な限り知っているフリをすることをお勧めするよ。この国に住む者であれば、赤ん坊や特別な事情のある人を除いて、誰もが知っているからね」


 目線だけで李の遊び相手の針を示して疑問を解消した絆は、緊張した面持ちで眉間に皺を刻む和哉に同意し助言を述べる。それにより、和哉の身体が更に強張り、正直な心臓も早鐘を打ち始めた。


「心配せずとも、これから少しずつ教えていくつもりだよ。まずは、この針の使い方を教えておこうか」


 不安を色濃く滲ませた和哉の黒い瞳に気付いた絆が、懐から白百合色の指針を取り出す。足跡一つない銀世界みたく何色にも染まっておらず、純真無垢な子供の心を彷彿とさせるような純白だった。

 囲碁を積むのに飽きたのか、絆の後ろから顔を覗かせて、李も彼の手中にある針を見つめている。伏せていた顔を上に向け、侍従を上目遣いで凝視しながら、無言で暇だと訴えかけていた。絆は分かっていると言わんばかりに破顔し、持っていた白百合色の指針を李へと渡す。


「李姫、和哉に使い方をご教授いただけますか?」


「うん」


「ぼ、僕が使いこなせますかね?」


 パッと顔を輝かせて頷いた李が、いそいそと和哉の近くに移動した。相変わらず眼前の美少女の端麗な容姿に気圧されつつ、和哉は李の手の中にある針に目を移して不安を吐露する。

 すると、赤い瞳を数回瞬いてキョトンとしていた李が、柔らかく眦を下げて和哉の眉間を軽く人差し指で突いた。眉間に寄せられていた眉が、蜘蛛の子を散らしたみたいに解ける。


「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。和哉はボクの質問に答えるだけでいいから」


「質問……ですか?」


「そうじゃ。この針は真実の針って言って、切先を向けられた人の嘘を見破ることができるのじゃ」


 大輪の花が咲き綻ぶような綺麗な笑みで触れられ、先程と違う意味で暴れ出す心臓を必死に宥める和哉。平静を装って疑問を投げかけると、李に白百合色の針を向けられた。嘘を見破られると知り、ありのままの姿を曝け出される緊張で、再び身体がピシリと固まる。


「うーん、質問……あ」


「と、李さん?」


 良い匂いと至近距離の美少女と緊張で心臓が忙しなく轟く中、少し顔を伏せ考え込んだ後、悪戯っぽく口の端を吊り上げる李。嫌な予感がして恐る恐る名前を呼んだ和哉に、揶揄を滲ませた端正な顔を近付けて、妖しく双眸を眇めながら小首を傾ける。


「和哉もボクと一緒に絆に悪戯してみたい?」


「おいこら、悪戯仲間を増やそうとすんな」


 瞬間、普段の被害者からツッコミが飛んできたが、和哉の頭の中に口調の荒さを指摘する余裕などない。容姿端麗な少女の恐ろしさを身を以て知り、満面を朱色に染めて口をパクパクさせながら目を白黒させるのに忙しいのだ。初対面時や漢方薬を飲む際の如く無意識に振り撒かれるのも困るが、意図して色気を醸し出されるのも困るなど知りたくなかった。


「和哉、はいかいいえか答えてもらっていい?」


「へあっ!? い、いい、いいえ! いいえです!!」


「おっ、光ったのじゃ。この後、ボクと作戦会議しよっか」


 笑いを堪えながらあくまでも不思議そうに尋ねてきた李に慌てて頷くと、ニコニコと愉悦を含ませた笑みを湛えて共犯者にされる。新しく仲間を増やせて嬉しいと前面に押し出した彼女の笑顔で、焦燥や困惑を上回る満足感と喜びに満たされて歓喜が湧き上がった。しかし、それを抑え込むかの如く、絆の口から静かに漏れた嘆息で、ハッと我に返って慌てて誤解を解く。


「ち、ちち、違います! 違います、絆さん! 今のは何かの間違いです!」


「……落ち着いて、和哉。私の条件を満たしてくれたら、今のは見なかったことにしてあげるから」


「何でも言うこと聞きます!」


「うん、ありがとう。でも、そこまで覚悟を決めるような内容ではないよ」


 泣きそうになりながら身振り手振りアピールした和哉は、頭を抱えた絆からの交換条件に捥げそうなほど頷いた。必死の形相に少し身を引いた絆が、困惑気味に口角を引き攣らせている。気付けば衝動的に絆に詰め寄っていたおり、和哉はすごすごと元の場所に戻った。


「李姫様のことを李姫、私のことを絆の君……と、呼んでほしいのだよ。周りの目があるからね、合わせてもらっても構わないかい?」


「あ、そっか! すみません、気をつけます!!」


 すると、こほんと咳払いを一つした絆に、微かに申し訳なさそうに微笑み、呼び方について指摘される。和哉は顔をサァーっと青褪めさせ、額を床にぶつける勢いで土下座した。李が人懐っこく友好的で絆も偶に荒い口調になる為、高い地位に就いている二人だとすっかり忘れていた。いつの間にか雲散霧消していた殺されるかもしれない恐怖が、再び脈を打つ。


「別に呼び方一つで殺そうだなんて思ってないから、土下座なんてしなくていいよ。頭を上げようか。それより、針の効果については分かってもらえたかな? もう少し試すかい?」


「じゃ、じゃあ……お願いします」


「うん、いいよ。えーっと、次の質問は——」


 絆に宥められて強張った肩の力を脱力させた和哉は、折角だからと針を自分に向けて遊ぶ李へと顔を向けた。またとんでもない質問を飛ばされないか怯懦する中、李は和哉の不安など露知らず針を見つめて脳漿を絞っている。特に聞きたいこともないようで、暫く考え込んだ後、肩透かしを喰らう内容の問いを投げられた。


「和哉、お腹空いた?」


「い、いえ。大丈……」


 意識させられた食欲が和哉の否定を遮り、思い出したように腹の虫を大音量で鳴らす。忸怩たる思いを抱きながら、蚊の鳴くような声で謝罪を述べた。思わずずっこけそうになる質問を、世間話でもするみたくされただけなのに、とんでもない破壊力の爆弾である。頭を垂れて静かに悶えていると、情味のある表情を浮かべた絆が隣に膝を突き、和哉の肩に手を置いた。


「夕餉をいただきながら説明を続けようか」


「……——すみません」


 羞恥と申し訳なさで赤面しながら、涙目でもう一度土下座する和哉。背中を丸めたまま震える和哉の頭を優しく撫でた李が、「ボクもお腹空いてるから、遠慮する必要なんてないよ?」と慰めてくれた。穴があったら入りたい。

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