第七話 原因
既に作ってくれていたらしい女中達により並べられた三人の膳に、
「毒や薬は御座いませんでした。どうぞ、お召し上がり下さい」
「ん、ありがと。いただきまーす」
「和哉もどうぞ」
「い、いただきます」
若苗色の指針で全ての膳を調べ終え、穏やかな微笑を浮かべて許可を出す絆。囲碁を片付けていた李が短い礼と共に手を合わせたのに倣い、
円柱状に高盛りされた白米は、予想通り
「あ、そうだ。絆、これも毒を取り除いてほしいのじゃ」
すると、向かい側で煮物を突いていた李が、着物の袂から毒々しい色の茸を取り出した。禍々しい見た目で危険物だと主張するそれに、絆の眉間に深い皺が刻まれる。まさか食べるつもりなのか? とありありと書かれた顰めっ面で、物凄く嫌そうに目的を問い掛けた。
「……つかぬ事をお聞き致しますが、毒を浄化した暁には、どうなさるおつもりですか?」
「えっ? そりゃあ気になって持って帰ってきた食べ物なんだから、どんな味か確かめる為に食べるに決まってるじゃん」
不思議そうに目を瞬いて小首を傾げる李の回答を受け、絆は無言で腰を上げて好奇心旺盛な主人に手を差し出す。首を傾けたままの李から茸を受け取ると、大股で
「こんな見るからに毒々しくて怪しい食べ物、例え毒を浄化したとしても食おうとすんな!」
「ああっ! ボクの食後のおやつ!」
「後でもっと美味しいものをご用意致しますから諦めてください!」
絆が毒茸を遠方の森まで投げ飛ばすという、人間離れした驚異的な投擲能力を披露した。そして、精神的疲労を全てぶつけたみたいな勢いで、大きく弧を描いて遠ざかる茸に手を伸ばす李を、懇願するような怒鳴るような声で説得する。鬱蒼とした森の方に飛んでいった哀れな食物は、李の声に応えることなく姿を消した。
李の手首を掴みサイズを測り始めた絆に憐憫の眼差しを送りつつ、和哉は黙々と夕餉を食べ進める。手首に触れられると酷く擽ったいのか、李の唇から堪え切れていない吐息が漏れていた。刺激が強すぎる為、視線を膳に固定しつつ、必死に別のことを考えて気を紛らわす。
「い、絆……もう、やめるのじゃ……ッ。手首、やだ……——ッ」
現実逃避して茶番の終わりを待っていると、李が涙目で懇願しながらその場に崩れ落ちた。 漸く理性を取り戻した絆が、謝罪と共に慌てて手を離し、柔らかい綺麗な手ぬぐいで李の涙を拭う。自身の不甲斐なさを反省する絆の、早口で紡がれる謝罪によると、勝手な行動を防ごうと手錠で繋ごうとしていたらしい。
大人しく拭かれながら宥められている李は、悩ましげな顔をほんのり色づかせ、赤い瞳に未だ水気を含ませている。非常に目に毒だ。欲に負けて視界に移した和哉は、目を逸らせなくなった。
「い、いいい、絆の君! は、はは話を! 話を戻しましょう! 僕が転移した理由を教えてください!!」
「……あ、うん。なんか、ごめんね」
脳漿に浮かんだ良からぬ想像を慌てて雲散霧消した和哉の悲鳴に、全て察した聡明な侍従が同情を滲ませた瞳で申し訳なさそうに謝る。美少女耐性最低値故の過剰反応だと理解された挙句、哀れみを受け、和哉はジワジワと込み上げてくる羞恥で居た堪れなくなった。
居心地の悪さから逃げるべく視線を泳がせていると、不意に手首を握り締め小さく震えていた李と目が合う。瞬間、脳に先程の光景を再生され鼻血を吹いてしまい、李が涙で濡れた赤い瞳を驚いたように大きく見開いた。
「わっ、何で突然そんなに鼻血が出てるの!? 早く止めないと、貧血で倒れちゃうよ!」
「李姫、和哉のそばにお近づきにならないでください。悪化します」
「えっ、なんで?」
急いで駆け寄ろうとした李の手を掴み、軽く引っ張って自分の膝上に座らせる絆。大人しく膝に落ちてきた彼女の腰に腕を回し、不思議そうに瞬きを繰り返す李に無言で首を横に振る。抱き締めて元凶の動きを封じた後、口頭で清潔な布の場所へと和哉を誘導した。
鼻を摘んで圧迫しながら布を手に入れた和哉は、暫し時間を借りて血を止めてから垂れた血を拭う。そして、早く何とかしろと半眼で圧をかけていた絆に、恐る恐る鼻血で汚れた手拭いを渡した。絆は通り掛かった女中に手拭いの洗濯を頼み、暇そうな李を下ろす。
血を止めている間に心を落ち着けることにも成功したようで、未だに整った顔立ちやふわりと香るいい匂いに緊張するものの、美少女を視界に入れても鼻血が垂れる気配がなく安堵する和哉。捕まっている最中、空腹だったのか、いそいそと夕餉を再開する李と同様、再び黙々と食膳の攻略に取り掛かる。
すると、すっかり話を逸らされた絆が、「そろそろ、転移の原因について話そうか」と軌道を修正し、和哉の転移の原因について語り始めた。毒味や毒茸の始末、姫への暴走等により、まだ一口も膳に手を付けていない。
「先刻、私が茸を投げ飛ばした雪月の森の最深部に、違う場所に飛ばす力を持つと謳われている池がある。その池は、満月の夜に一番大切なものを供物として捧げ、禁術を用いることで、諸刃の能力者を転移させるのだよ」
「諸刃の能力者……だけ?」
「そうだよ。どういう原理か解明されていないのだけれど、その池から転移できる対象は諸刃の能力者だけなのだよね。まあ、捧げるべき供物が豪華でなかった可能性も否めない」
箸を止めて鸚鵡返しした和哉に頷いて補足を足し、ようやく夕餉に手を付ける絆。真っ直ぐに伸びた背筋と綺麗な所作で、よく噛みつつ素早く食べ進めている。和哉は先程まで攻略していた魚に目を落とし、転移前に生魚を顔面で受け止めたことを思い出した。
あの生魚は供物だったらしい。初めて釣った魚だったとか、大切な人から貰ったものだとか、今までの人生で一番大切なものに生魚を選ぶ理由は確かに存在する。そういえば、あの生魚はどこに行ったんだろう? と遣水の方に視線を向ける和哉の横で、話を聞いていた李が赤い瞳をキョトンとさせて問う。
「でも、禁術の使用は禁止されてるじゃん。池の周囲には常に見張りが居て、使用したと認められる行動をとった瞬間、拘束されて罰せられるのじゃろう?」
「そのはずですが、そういった報告は拝聴しておりませんので、犯人は見張りの目を全て掻い潜ったのだと存じます」
「えぇー、やばいね。和也を呼んだ犯人、絶対めちゃくちゃ力があるじゃん。ボク達だけで和哉を元の国に帰してあげられるかな?」
「犯人に邪魔されれば厳しいでしょうが、出来る限りの対処は致します。和哉、早く帰りたいだろうけれど、十五夜は慎重に行動しよう」
「は、はい。よろしくお願いします」
淡々と落ち着いた声で話を締める絆と、強敵だと認めた割に態度が同じ李と違い、身体を強張らせて深々と頭を垂れる和哉。何の為に呼ばれたのか分からないが、犯人に帰すつもりなどないのであれば、簡単には帰れないかもしれない。和哉はを取り合う絆と李を尻目に、いつの間にか緩んでいた気を改めて引き締め直した。
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