第3話

                    *



 涙が止まる頃には、柚子葉はスイッチを切り替えた様に、すっかり平常のクールさを取り戻していた。


「さっきDV受けてるって言ったけど、これがその証拠よ」


 彼女は体操服とその下の肌着をめくり上げ、他人から見えないところのみについた、痣や丸い火傷の痕を麻里に見せた。


「いや、疑ってた訳じゃないよ。というかそれなら、警察とかに言った方が……」

「まあ、普通はそうよ。でも1回保護されたんだけど、なんだかんだで帰されたのよ」

「へっ……?」

「そのときは吐くまでお腹蹴られたし、今度帰されちゃったら多分殺されるわね」


 そんな賭けは勘弁よ、と付け加えつつ、柚子葉はゆっくりとかぶりを振った。


「でもどっちにしろ、いつかは……」

「それは言われなくても分かるわ」

「じゃあ、どうするの……?」

「簡単な話よ。――殺される前に、こっちが殺してやればいいの」


 柚子葉はその年にしては酷く冷たい、まるで凍てつくような表情で、自身の事を身内の事の様に案じる麻里へそう告げた。


「えっ、殺……ッ!?」

「しても、少年法で守られるから、将来とかは問題ないわ」

「いや、そういう話じゃなくて――」

「……なくて何?」

「えっと、その……」

「狂ってる人相手に、正気で対応する必要性ある?」

「いやまあ、言っちゃえばそうだけど……」


 曖昧あいまいな様子でそう言う麻里は、ゴニョゴニョと口ごもる。


 立場上、反論しないといけないとは思ったが、スッパリ「そうじゃない」とは言い切れなかった。


「……そんなの絶対ダメ、とか言わないのね?」


 正義とは、の様なものを説いてくるかと思っていた柚子葉は、取り越し苦労をしたような感覚を覚えつつ麻里にそう訊く。


「うんまあ。何ごとも、絶対正しい、なんて事はないし……」

「子どもの妄言みたいなものなのに、真剣に考えてくれるなんて優しいのね」


 その辺の脳みそがお花畑の大人とは違うわね、と、考えるが故の歯切れの悪さを見せる麻里を称賛する。


「それはどうも……。……?」


 言っていることの割に、やけに強気な口振りの柚子葉だったが、彼女が両腕で腹部の辺りを抱きしめ、小さく震えている事に麻里はふと気がついた。


「……怖いの?」

「――ッ」


 いきなり虚勢で隠し通せていた、と思っていた事を見抜かれ、柚子葉は跳びはねそうなぐらいに身体を揺らした。


「……」


 麻里から目を逸らし、震えている自分の手を見下ろす彼女は何も言わなかったが、その態度で同意しているのは明らかだった。


「それはそうだよね……。多分大人でもおんなじだろうし」


 しかも、今まで圧倒的な力で自分を虐げて来た人間が相手ともなると、それも当然の事だろうと麻里にも想像がついた。


 そう言った後、おもむろに立ち上がった彼女は、柚子葉の隣にやって来て、その手をそっととる。


「なんか手伝える事とかある?」

「……へっ?」


 まさか、犯罪に手を貸す、なんていう、寝言としてもどうかしてるとしか思えない事を訊かれ、


「ちょっ、ちょっと待って。手伝うって、バレたら普通にあなたが捕まるわよ!?」


 柚子葉は目を見開き、何とか保っていたクールさをまるっきり吹き飛ばしてそう訊き返す。


「体格差とかも、脅されたなんて言い訳には……」

「まあ、そのときはそのときで。情状酌量とかあるかもだし」


 大いに心配する彼女をよそに、麻里は特に動じることもなく、非常に脳天気な事を言う。


「で、でも、私の問題だ、し……」

「本当は、お母さんに似て優しい子なんだね」

「そんな事……」

「んふふ。優しい人は大体そう言うんだよ」


 完全に本来の部分が出た柚子葉へ、麻里は、ふわり、とまた微笑んでそう言った。


「でもなんで……、なんで……? さっき会ったばっかりなのに……」


 どう考えても道理に合わず、訳が分からない様子でまばたきしながら、柚子葉は異常なまでの包容力を見せる女性へ問う。


「うーん、何だろうね……」


 麻里は首を捻って、すこしの間考えたが、


「私にもわかんないや」

「ええ……」


 結局ふわっとした答えしか返ってこず、ただただ柚子葉はあんぐりしていた。


 ややあって。


「で、どうやって殺すつもりだったの?」


 食器を片づけて、食後のお茶を柚子葉と飲みながら、かなり物騒な質問を麻里は彼女にぶつける。


「まあ、私の力じゃどうも出来ないし、無難に酒に混ぜて毒殺よね」

「そりゃそうか。漫画じゃないもんね」

「あんなアクロバティックなのは無理だし、出来てもしたくないわ」

「だね」


 声を出さずに鼻で短く笑いながらそう言と、柚子葉は足元に置いてあったバッグから、紙の束が入ったクリアファイルを出した。


「ん? 何か入ってるの?」

「正解。肝心の毒よ」


 彼女はそう答えると、束の真ん中辺りの底を探って、薬包紙を取り出してきた。


「えっ、学校とかじゃ足が付くんじゃ……」

「そんな事するわけ無いでしょ。ホームセンターのネズミを殺すヤツよ」

「ああ、なるほど」


 麻里が申し訳なさそうに、ちょっと考え無しに言ってしまった事を謝ると、まあそれは良いわ、と柚子葉はさらっと流した。


「アイツは私にお酌させるから、酔いが回ったぐらいに飲ませるつもりなのよ」

「オッケー。で、私は様子がおかしい柚子葉ちゃんを偶然見つけて、んで父親を発見して通報した通りがかりの人って言えばいいわけだ」

「そうね。その辺りが自然かもね」

「よし。まあそこは良いとして、柚子葉ちゃんはその後どうするの?」


 麻里は少し前屈みになりながら、緊張している様子の柚子葉に訊く。


 殺害計画自体はトントンとまとまったが、その後の彼女がひとりぼっちになってしまうことが、麻里には最大の懸案事項だった。


「終わった後で考えるわ。余計な事考えて失敗したら目も当てられないし」

「ま、そうだね」


 終わる前から後の話をするのは、縁起が良くないしね、と言って麻里は納得した。


「それより、もうすぐアイツが帰ってくるわ」

「了解」


 それを聞いて立ち上がった麻里は、腰高の水屋箪笥だんすの上に置いてある車のキーを手に取り、


「すぐに着替えてくるから、玄関でまってて」

「分かったわ」

 

 早口で柚子葉に指示を出した麻里は、服を着替えに自室へ向かった。

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