第34話 「友達」
「はぁ、はぁ、はぁ」
雨がざぁざぁと降る中、俺は傘を差しながら中学校への道を急いでいた。向こうが会おうとしないなら、こっちから会ってやればいいのさ。
中学校までは走れば10分くらいで着く。急げば美冬が学校を出るまでに校門にたどり着くことができるはずだ。
傘を差してはいるものの、走っているから雨粒が顔に当たって
正直、どうすれば美冬の機嫌を損ねずに済むのかは分からない。今度ばかりは何でも言うことを聞くというだけで許してくれるとは思っていない。けれど、
―彼女に嫌われたくない。
その気持ちだけが俺を突き動かしていた。
しばらくすると中学校の校門が見えてきた。俺は立ち止まり、片手で傘を持ちながら、もう一方の手で膝を抑えながら息を整えた。そうしてその後に俺は再びスマホを開き、メッセージアプリを表示した。そこには最後に俺が送ったメッセージに対する返信があった。
『は?どういうことですか?』
俺は思わずくすりと笑ってしまった。美冬の呆けた顔が頭に浮かんだのだ。
俺は再びメッセージを彼女に送った。
『今校門の前にいるぞ』
しばらく待っていたが、返信は来なかった。だが、その代わりに遠くから足音が聞こえてきた。
「・・・何なんですか、ほんとに」
顔を上げると、そこには傘を差した美冬がいた。顔は心底不機嫌そうにゆがめている。
別に久しぶりに会ったわけでもないのに、なぜだか彼女の顔を見るとそれに近い感情が沸き上がってきた。
「おう。・・・夏美は?」
「夏美ちゃんなら、何か用事があるって言ってたので教室にいます」
俺が夏美のことを聞いたとき、美冬は一瞬だけ悲しそうな顔をしていた気がした。
「そうか。それなら―」
「正直!」
美冬は俺の言葉に被せるように、声を張り上げてそう言った。俺は驚きで何も言えなかった。
「私、冬人さんのこと・・・嫌いです。ほんとうに」
彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめていたので目をそらせなかった。
「妹に必要以上に愛を注いでいるところとか急に引っ越してきた近所の美人さんと仲良さそうにしてるところとか・・・特に」
え?そこなの?
「う、うるさい。別に妹にどれだけ愛を注ごうが俺の勝手だろ。二条のことは・・・まぁ、いろいろあんだよ」
俺はついむきになって反論してしまった。
俺の反論に美冬は
「そーですね。まぁ、どれだけシスコンっぷりを発揮しようがどれだけクラスメイトのかわいい子と仲良くしようがそれは冬人さんの勝手です。・・・でも」
いったん言葉を区切り、息を吸ってから彼女はまた話し始めた。
「私が本当に気に入らないのは冬人さんのその態度です。私と夏美ちゃんと・・・二条さんが必死にあなたの好感度を得ようとしているのに冬人さんははっきりと誰がいいのか示してくれませんよね?」
「それは・・・」
まさに彼女の言う通りだった。言葉が出ない。
美冬はゆっくりと歩き出し、俺の横を通り過ぎたところで一度足を止めた。
「言っときますけど、冬人さんのことは本当に嫌いですから。でも私、勝負には負けたくないので。絶対、私が勝ちます」
それだけを言い残して去っていった。心なしかさっきより雨が強くなっている気がする。
言いたかったこと、言えなかったじゃねぇか。
それにしても。
美冬ちゃん、俺のこと本当に嫌いなんですかね?
***
俺は中学校から家の方角へと歩き、二条の家の前で立ち止まった。
―出てくるだろうか。
俺はピンポーンとインターホンを鳴らした。すると女性の声が返ってきた。
『はい』
この声は・・・秋月さんか。
「え、えっと卯月です。あの、にじょ・・・小春さんに用事があって来たんですけど」
俺がそう言うと秋月さんはなぜかくすっと笑いながらよく響く声で答えた。
「ああ、卯月様ですか。お嬢様は今外出していまして不在です。恐らくもうすぐ帰ってくるころだと思いますのでよろしかったらあがっていきませんか?」
え、あがってく?こ、このバカでかい豪邸に?
それに・・・
「今、小春さんのご両親は・・・」
特にあいつの父親だけには会うわけにはいかない。緊張で死ぬ。
だが俺のそんな心配も杞憂だったようだ。
『奥様と優一郎様はお二人とも仕事で不在です』
あ、そっか。二人とも仕事で忙しいからメイドがいるんだよな。バッカだなー俺。てへっ☆
というかあいつの父親、優一郎っていうのか。
あいつには話したいことがあるし、この家も気になるし、秋月さんにも聞きたいことは山ほどある。
時刻は午後5時。まぁ少しだけお邪魔させていただこうかな。
「じゃ、じゃあ・・・お言葉に甘えさせていただきます」
『どうぞ』
がちゃりと門のロックが外される音がした。俺は恐る恐る門を抜け、二条家へと足を踏み入れて行った。
***
「お、おお・・・」
やはりと言うべきか、内装はそれはもうすごかった。玄関にある靴などをしまう棚の上には数々のきらびやかな装飾品や置物が置かれていたり、シャンデリアのようなデザインの照明があったり、リビングのカーペットはまるでどこかの国の王宮に敷かれていそうなおしゃれな品だったり、とにかくすごかった。マジで。
俺は今、秋月さんに案内されてリビングのソファに座っている。このソファめっちゃ程よく柔らかくて座り心地が素晴らしい・・・。
一体いくらするのかしら。
「お待たせしました」
俺がそんな益体もないことを考えていると、俺の前にそんな声とともにティーカップが差し出された。
あ、そうだった。秋月さんが紅茶入れてくれるって言ってたわ。
「あ、ありがとうございます・・・」
俺は少し緊張しながら彼女にお礼を言った。秋月さんは「いえ」と薄く笑ってテーブルの反対側に立った。
ま、まぁメイドだもんな。自分から座ろうとはしないか。
それにしてもこの人、よく見ると・・・
めっちゃ美人じゃね?
長い黒髪は後ろで一つにまとめられてポニーテールにされており、身長は女性にしては高い方(多分)で、きりっとした目つきをしている。まるでどこかの雑誌に載るようなモデルや女優のようだ。服は黒のスーツを着ている。
俺がぼけーっと彼女のことを見ていると、秋月さんが「どうかなさいましたか?」と尋ねてきた。
「え?あ、ああ、秋月さんも座ってください。いろいろ・・・聞きたいこともありますので」
「あなたに見とれていたんです」なんて言うわけにはいかないので、おどおどしながらもそう言った。
彼女はしばし考え、それから「かしこまりました」と答えて俺の正面の席に背筋を伸ばして座った。
「私にお話しできることならばお答えいたします」
と彼女が切り出したので、いくつか聞いてみることにした。
「あ、はい。それじゃあ・・・」
少し間を置いて、頭の中で話すことを整理してから再び話し始めた。
「この家の執事は秋月さんだけですか?」
「いえ、私の他にも二人ほど。私は主にお嬢様のお世話を担当しております。」
「小春さんが生まれてから今までずっとですか?」
「はい。奥様と優一郎様によろしく頼まれましたので」
マジか。この人一体何歳なんだろうか。まぁ、女性に年齢を聞くことはタブーだってことくらい分かっているが。
「小春さんの、その、ご両親はどんな人なんでしょうか・・・?」
正直、これが一番気になる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
俺がこの話を持ち出したら、途端に沈黙してしまった。
え、ナニコレめっちゃ気まずいんですけど・・・。聞いちゃいけないことだったのかな。
「あ、あの言えないことなら別に—」
「あまりプライベートなことは私の口からは申し上げられませんが、お嬢様と仲良くしてくださっている卯月様ですからね。分かりました。少しだけお話しします」
俺が後に「いいですよ」と続けようとしたところで彼女はそれを遮って話し始めた。
「あ、ありがとうございます・・・」
「奥様はアメリカ出身の方ですが優一郎様とご結婚されてからは日本で女優業をなされております。優一郎様がアメリカでビジネスを学んでおられた12年ほど前にお二人は出会ったとお聞きしております。今も変わらぬお美しいお方で、とてもお優しいお方です」
「そうなんですね」
前半の内容は以前にあいつから聞いた話とあまり変わらなかった。
12年前ならば、どれだけ若くても今は30代後半といったところだろうか。まぁ、あいつの母親だし?・・・興味は、あるな。
「優一郎様は東京大学経済学部を卒業後、独自の手腕で起業しました。ですが当初はなかなかうまくいかず、アメリカで本格的なビジネスを学ぶことにしたようです。恐らくご存じかと思いますが、今や日本のみならず世界にも支店を置いている企業の社長です。性格に関してはなかなか気難しいところもありますが、お嬢様に対しては時に厳しく、時に優しくといった感じで接しております」
「そうですか。・・・すごい人ですね」
東大卒かよ・・・。まぁ、おかしくはないけどよ。性格に関してはやっぱり堅物系の人っぽいな。絶対会いたくない。
なんてことを思っていると、玄関の方でがちゃりとドアが開く音がした。
―帰って来たか。
秋月さんはどうやら二条の帰りを察したらしく、席を立ち、俺に向かって「失礼します」と一礼してから玄関へ向かった。
玄関の方でふたりの話し声が聞こえた。時折、「え!」とか「待ってください」とか大声をあげている。なんだかそわそわして見に行こうかと思って席を立った時、廊下から足音が聞こえ、リビングに制服姿の二条が現れた。何やら不機嫌そうな表情をしたまま無言で俺のことを見ている。
俺はひとつ深呼吸をし、それから軽い感じで口を開いた。
「よう。待ちわびたぜ」
すると彼女も嘆息して口を開いた。
「何が『よう』よ。話は秋月から聞いてるわ。一体何の用なのよ」
俺はしばし沈黙してこいつと出会った時から、今までのことを思い返していた。最初から変な感じで絡んできて俺を振り回してばかりのこいつには正直イラっとしていた。
けれど。
俺のことを見ても、怖くないと言ってくれたり、半分冗談めかした感じだったが友達になろうとまでいってくれたりと俺にとっての救いにもなっていた。よくわからないいざこざのせいで俺の初めての友達を失ってたまるか。
二条は
俺はゆっくりと口を開いた。
「黙って聞いてくれ。・・・俺は今も美冬のことが好きだ。多分、お前のことは恋愛対象としては見ちゃいない。だからお前の気持ちには応えられない。けど、大切な・・・友達だとは思ってる。俺はお前が来るまでずっと一人で学校生活を送ってきた。そんときは別にそれでも構わないと思ってた。でもお前が来てからは何だかんだ学校が楽しくなってたんだよ。だから、俺と・・・ずっと友達でいて欲しい」
知らず知らずのうちに視線が床を向いていた。彼女の反応を見るのが怖かったからかもしれない。
こんな図々しい願い、聞き入れてくれないかもしれない。けれどもそれを承知で俺は打ち明けたのだ。できる限りの誠意を込めて。
俺は顔をおずおずと上げて、彼女の反応をうかがい見た。
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