4-3 目的地
そこには、大量の注射痕と焼け爛れた皮膚を露出させた『宙』が座っていた。1人の人間としてではなく、1匹の実験動物としてそこにいた。
「『宙』!」
「……?」
宇美は『宙』の隣で不気味な笑みを浮かべていたキュリオシティを力一杯ぶん殴った。背の高い彼女の身体が傾く。
「痛いじゃないか」
「そんなに研究が大事か!?」
「ああ、大事さ」
キュリオシティは殴られた頬を抑えながら堂々と言い返す。これは人類を救うための研究なのだと。
「それで、こんなことをして『宇宙人』を倒す方法は見つかったのか?」
「『宇宙人』を倒す? 何を無茶なことを言っているんだ。そんなもったいないことはしないさ」
キュリオシティが一体何を言っているのか、宇美には理解できなかった。彼女はずっと『宇宙人』を倒すために軍で研究を続けていたはずだ。その成果によって彼女は昇進したし、命を救われた市民や兵士だって沢山いるはずだ。そのストイックな研究姿勢によって、他の研究者達から敬遠されるように鳴ってしまったほどだ。軍の人間の中で誰よりも『宇宙人』を憎み、『宇宙人』を倒すことに心火を燃やしていると見られていた。そんなキュリオシティが今なんと言ったのか?
「キュリオシティ……?」
「アタシは人類を救う方法を研究しているのであって、『宇宙人』を倒す方法を研究しているわけではない」
キュリオシティはどうすれば人類を救うことが出来るか、人類という種が存続することが出来るかを考え続けていた。初めは『宇宙人』を倒すことだけを追求していた。無理も無い。『宇宙人』を倒すことはそのまま人類が救われることを示していたからだ。しかしそれは現実的ではないと思うようになっていった。
これだけ戦力差が開いた状態で、人類は終わりの見えない籠城戦を続けている。これは正しい方法では無い。キュリオシティは別の方法を模索し始めた。その時、『宇宙人』のある性質に注目した。
『宇宙人』は地上に上陸した当初は何も攻撃してこなかった。上陸された国の陸軍が、火炎放射器によって『宇宙人』を撃退した。すると次の日、『宇宙人』は引火性の体液によって沿岸の街を火の海にした。
ある国の空軍は『宇宙人』の頭上から爆弾を投下した。それは見事に命中し、『宇宙人』の身体の一部を破損させた。しかし次の日、体液の詰まった袋を沿岸部にある空軍基地にばらまいた。それらは爆発し、爆風と火炎によって基地を火の海にした。爆弾や燃料に引火して、大量の犠牲者が出ることになった。
それらの例を見て、キュリオシティはある仮説を立てた。『宇宙人』は戦略的な戦い方をしている様に見えるが実は知性などは無く、ただ人間のやることをまねているだけなのではないか?
そこからキュリオシティは発想を飛躍させた。人類が『宇宙人』の真似をしたらどうなるのだろうか?
キュリオシティはある脱走兵に『宇宙人』の腫瘍を移植した。その兵士を前線まで連れて行き、『宇宙人』の中へと放り込んだ。初めは、ただ拒絶されるだけだった。しかし実験を続けていくうちに、身体の5分の1以上が腫瘍によって浸食されている場合のみ、宇宙人に取り込まれていくことが分かった。
キュリオシティはまた別の実験を行った。過酷な戦闘によって精神が錯乱した兵士を使った。その兵士には家族も知り合いもいなかった。腫瘍を移植し、『宇宙人』へと取り込ませた。すると次の襲撃の時、『宇宙人』の動きが動揺していた。宇宙人は取り込んだ人間の性質の影響を受けるらしいということがわかった。軍の技術部にいた数学者や優秀な将校を『宇宙人』に取り込ませた。戦死に見せかけてだ。すると次の襲撃の時、『宇宙人』は兵士達の裏をかいて奇襲を仕掛けてきた。もう明らかだった。腫瘍に浸食された人間を取り込んだ『宇宙人』は、その人間の特徴すらも自分のものにしてしまう。
では、人類全員が『宇宙人』へと取り込まれた場合、『宇宙人』はどのような性質をもつだろうか。といいうより、それはもう純粋な『宇宙人』ではない。人類という生き物が寄生した『人類的宇宙人』になるのではないか。これはもはや寄生とは言えないかもしれない。動物の細胞とミトコンドリアとの関係が一番近いかもしれない。人類が『宇宙人』の中に取り込まれていくことによって、新しい生物へと進化できるのではないか。キュリオシティはそう考え、そのための計画を主導していった。
「人類は行き詰まっていた。『宇宙人』がやってこなくとも、おそらく滅んでいただろう」
キュリオシティはまるでこの世界の神にでもなったかのように語る。人類の行く末を全て自分の手に握っている。そんな自信が彼女の全身にみなぎっていた。
「人類はすごい勢いで発展していた。石器時代ののんびりとした発展とは大違いだ。だが、発展の裏には犠牲もあった。人類は前進をやめなかった。大量の矛盾を引きずりながら走り続けていた。転倒するのは時間の問題だっただろう。荷車を走って引っ張っている人が急に立ち止まったら何が起こるだろうか。答えは簡単だ。慣性によって動き続ける荷車がその人を押しつぶす。人類はそうなりかけていたのだ。しかし『宇宙人』と同化し『人類的宇宙人』になれば、さらなる飛躍を期待できる。『宇宙人』の生物としてのポテンシャルを人類の知性によって引き出せば、おそらく宇宙にだって進出できるだろう。そう言う意味では『宇宙人』は天から降りてきた救世主なのだ」
宇美はキュリオシティの研究発表を黙って聞いていたが、あまり集中できなかった。『宙』の声が聞こえる気がするのだ。『宙』は意味のある言葉を喋ることができない。しかし現に頭の中に『宙』の声がするのだ。痛い、怖いという声が聞こえる気がした。
--『宙』が喋っているのか?
--そう。聞こえるの?
--どうやって話しかけているんだ?
--分からない。でもうれしい。私は身体も表情も口も上手く動かせないから。こうやって話が出来るのは初めてね。
頭の中に直接響いてくるそれは、かつての宙のしゃべり方と同じだった。しかし確実に違う人間だった。
--痛いのか?
--ええ、とても。でもあなたが来てくれて少し楽になった。私のことを愛してくれたあなたが来てくれたから。
宇美はその言葉を聞いて胸が苦しくなった。確かに愛してはいたが、宙の代わりとして見てしまった時期もあったし、何より宇美は一度『宙』を見捨てて逃げてしまったのだ。宇美は『宙』の言葉を素直に受け取ることが出来なかった。
--そうやって悩むことができるのは、あなたが優しい証拠だと思うよ。だから気に病まないで。
『宙』とのテレパシーに気を取られていた宇美を見て、キュリオシティが怪訝な顔をする。
「何だその間抜け面は。聞いているのか」
「すまない。『宙』と喋っていた」
「声が聞こえるのか。もしかして腫瘍を?」
「ここに侵入するために入れてきた。声はかなり明瞭に聞こえる」
「そりゃもうおしまいだ。腫瘍が脳にまで転移している」
それを聞いても、宇美はあまり恐怖を感じなかった。
「私も『宇宙人』の所へ行ったら取り込まれるんだろうか?」
「それだけ浸食されているなら十分可能だろう。君もその気になったか?」
その言葉に宇美は答えなかった。
--『宙』、2人で『宇宙人』の所へ行こう
--2人で?
--そう。2人だけで
宇美はボンドに目配せした。軍属だった時代と同じ目を見て、ボンドは宇美の意図を察した。それは撤退の合図だった。宇美は『宙』の手を取って走り出した。『宙』は布一枚しか羽織っていないが仕方がない。
「おい!どこへ行く!」
キュリオシティは追いかけようとしたが、その場で動きを止めた。ボンドが銃口を向けていた。
「何のつもりだ」
「逃避行を助けてやろうと思っただけだ」
「似合わないな」
「2人の絆を応援したくなってな」
宇美と『宙』の2人は、光の見える方向へと走っていた。まずはこの恐ろしい研究室から脱出しなければならない。一緒に帰ろうと宇美は言った。『宙』にとっては『宇宙人』の本体が帰る場所だった。宇美にとっては違う。それでも『宙』がそこに帰るというなら、付いていきたいと思った。
何なら、2人だけで『宇宙人』に取り込まれたいと思った。宇美と『宙』だけの家に、他の人間は入ってこないで欲しかった。これは駆け落ちだ。人類史上最もわがままで迷惑で、そして命がけの駆け落ちなのだ。
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