1-2 『宇宙人』


 『宇宙人』による襲撃があったあと、宇美は古い友達と酒を飲み交わしていた。話し声と、酒の匂いと、肉を焼く匂いと、煙草の紫煙が辺り一面に充満していた。手のひら4つ分ぐらいの大きさの換気扇がいくら努力したところで、居酒屋の淀んだ空気を入れ換えることなど不可能だった。もっとも、店の外の空気がどれだけきれいなものなのかは分からないが。

 目の前にいる古い友人が、煙草を灰皿に押しつけ、身体を揺すりながら笑う。女性だが、かなり大柄な彼女が身体を動かすと、迫力があった。


「配給中に襲撃とは、災難だったね」


 『キュリオシティ』

 これが彼女の名前だった。正確にはコードネームだ。『宇宙人』に対抗するために結成された人民護衛軍においては、部隊内ではコードネームで呼び合うことになっていた。宇美は既に軍属ではないため、今は本名で呼ばれている。


「でも、散らばったものを集めてたらいつもより多くなった。襲撃があってよかった」


「アタシが開発した溶解剤がなければ、今頃消し炭になってしたかもしれないっていうのに?」


「悪かったって」


「心配したんだ。無茶せず、ちゃんと一般人として避難してくれ。宙<そら>のことは残念だったが、命を粗末にするようなことはやめてくれ」


「分かった。もう分かったから。あと、宙の話はもうしないでほしい」


「悪かった、やめるよ」


 宇美にとっては、自分が軍属だった事実も、戦友たちを置いて軍を離れてしまった事実も、思い出したくないことだった。思い出さなくとも、常に宇美の心にべっとりと張り付いている。それを意識させられたくなくて、余計に強く拒絶していた。

 しかしそれ以上に触れられたくないのは最愛の友であった宙のことだった。今でも目をつぶっただけで思い出す。『宇宙人』の侵攻を抑えることができず、居住区へと侵入させてしまった。宙が避難していた建物を、『宇宙人』が覆い尽くした。結局、宙の死体すらも見つけることが出来なかった。


 実は、宇美が宙について触れられたくない理由はもう一つあった。しかしそのことは絶対に知られてはならない秘密だった。どれだけ仲のいい相手であっても、生死を共に賭けた戦友であっても、決して明かすことの出来ない秘密があった。

 宇美は吹き上がる不安を、頭を左右に動かすことによって振り払った。会話を仕切り直す。


「結局、戦況はどんな感じなの」


「単刀直入に聞くねえ。余計なことを喋ったら首が飛ぶのはこっちなんだ。そこのところをよく理解していただきたいな」


「気を遣うのは苦手なんだ。申し訳ない」


 『宇宙人』の正体は、異なる様々な種類の細胞の集合体だということが分かっていた。ある日、地球に一つの隕石が落ちてきた。その隕石は、大きさから見て、おそらく大気圏で燃え尽きるだろうと言われていた。しかし現実には太平洋に落下し、周辺の国々に巨大な津波をもたらした。

 その7ヶ月後、ある漁船が、海底に不審な物体があることを報告した。調査が開始される直前、粘液にまみれた不可解な物体が海から上陸し、人々が暮らしている街を焼き尽くした。既に津波によって被災していた地域などは、ひとたまりもなかった。

 その粘体は、緑色だったり、赤色だったり、紫色だったり、多様な色を見せつけ、人々に恐怖を植え付けた。可燃性の粘膜を分泌し、辺りを火の海に変えてしまった。酸性の粘液を分泌し、辺りの建物を溶かしてしまった。

 人類が何千年何万年もかけて育て上げてきた文明が、一夜にしてアメーバのような不気味な粘体によって蹂躙され尽くしてしまった。

 人類は奮闘し続けたが、ついに地上を追い出されてしまった。あるものは空中あるいは宇宙へ逃れ、あるものは地中へと逃れた。宇美やキュリオシティは地中に逃げ延びた人々の第二世代だ。空中へ逃れた者たちとの通信はとうの昔に途絶えてしまったため、向こうが生きていたとしても、協力することはほぼ不可能になってしまった。

 人々は、隕石に乗ってやってきたであろうこの邪悪な生命体を『宇宙人』と名付けたのだった。


「自画自賛ではないが、溶解剤の使用が始まってから、戦績は格段に良くなっている。一部では開放できた区域もあるらしい。人類がこの『砂の城』を掘り始めてからは初めての快挙だ。いやぁ、素晴らしいね」


 キュリオシティはまるでラジオの戦果報告のようにまくしたてた。その口調に違和感を感じ、宇美は問いを続けた。


「何か不安材料がある、って顔をしているけど?」


「その通り。かの『宇宙人』は同じ兵器をずっと使い続けていると、それに対する抵抗を得る。いや、自分から抵抗を獲得しているわけではない。単に、抵抗を持っている細胞が生き残っていくことで、いつのまにか『宇宙人』全体が抵抗を獲得している。つまりやつらに抵抗を与えているのは他ならぬ人類なんだ」


「じゃあ、溶解剤は常にアップデートし続けていないといけないということ?」


「ああ、だから宇宙人の細胞のサンプルがもっと必要なんだ。数種類の溶解剤を交代で使ってサイクルを作ることで、抵抗を得るタイミングを与えないようにする。それが人類の取れる最善の手段だ」


「じゃあもっと沢山の細胞を手に入れないといけないというわけだ」


「だが、生きたままの細胞を得るのは、今の時点では非常に難しい。色々と工夫をしているんだが、『宇宙人』の細胞が本体から離れると、その細胞はすぐに死んでしまい、遺伝子が破壊されてしまうんだ。これはやつらのすべての細胞が持っている機能だ」


 キュリオシティはビールのおかわりを頼んだ。君も飲むかい、と聞かれたが宇美は遠慮しておいた。代わりに煙草を一本譲ってもらった。


「細胞の集まりがあったとして、その外側から順番に死んでいくから、大きい塊を採取することが出来れば、なんとか研究所まで持ち込んで検査することは出来る。だが、どの薬が効くか、といった実験をするのはやはり非常に難しい」


「何か他の生き物に移植して培養するっていうのは?」


 石を打ちならして点火する。宇美の胴体に、白い煙が充満していく。それは血管を通って宇美の脳に侵入し、癒やしを与えた。


「やってみたが駄目だったよ。魚や虫、ネズミやチンパンジーまで試してみたが、ことごとく失敗した」


「だから溶解剤の開発に時間がかかったのか」


「そういうことだ。なんとか完成にこぎ着けたアタシを褒めてくれ。そうだ、褒めなくてもいいから酒をおごってくれ」


「軍人サマが何言ってるんだ。私よりも断然金持ちだろう。私は最近金に困っているから、あまり無駄遣いしたくないんだ。明日も仕事だしな」


 宇美はキュリオシティに話し相手になってくれたことに感謝を延べ、自分が飲んだ分を払って居酒屋をあとにした。



 宇美の住処は非常にボロい小屋だった。退役軍人としてそれなりの貯金があったことから、もっと高くていい部屋を探しても良かったのだが、当時の宇美の精神状態がそのような選択を許さなかった。むしろ独房のような部屋を希望した。新居を斡旋する軍の事務員も困惑していた。

 宇美は家の戸の前に立った。必死にかき集めた配給物資が、ここに来てずしりと重さを主張し始めていた。

 ポケットから鍵を差し込み、戸を開ける。小さな玄関が姿を現す。そこには靴は一足しかない。宇美の持っている靴の予備だった。

 六畳ほどの部屋の真ん中に、布団が敷かれている。その布団は何かが中に埋まっているかのように膨れ上がっていた。否、そこには確かに『いる』のだ。


「ただいま」


 それに向けられた声なのか、単なる独り言なのか、聞いただけでは分からないような声の出し方をした。

「……ぅ、あ」


 もぞ、と布団が動き出す。布団が動いたのではない。布団の中にいるものが動き出した。

 バサリと布団が落ちる。

 静電気だろうか、寝癖だろうか。茶色がかったショートヘアが、あちこちハネた状態で姿を現した。


「ただいま」


 少し低い位置にある頭を、宇美は撫でた。

 噛みしめるようにもう一度呟く。


「ただいま、宙」

 宇美は『宙』と呼んだものに微笑みかけ、親指を立てた。これは、耳の悪かった宙が、意思疎通のために、特に好意を伝え合うために好んで使っていた仕草だった。



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