開けて(1/2)

 もうすぐ学園祭。

 あたしこと、朝霧陽夜は、その日を心待ちにしているのだ。

 なぜなら………。


「へぇ、いいなぁ。渡里君と学園祭めぐりかぁ」

 あたしの目の前に着席している親友、園部沙耶は相変わらずおっとりした口調で言った。

 仁と初めて会ったのは、小学三年生の頃だ。


 ――あたしたちの学校に、大阪から転校生がやって来た。忘れもしないあの日の、彼の無垢な笑顔。

 転入初日、彼の自己紹介の最後にした無邪気な笑顔を、うっかり可愛いと思ってしまった時から、あたしの恋は始まったのだ。

 早々に彼の友達になっていた貴理に頼み込み、仁と一緒に遊んだのだが、緊張しすぎて会話がほとんど無かったというのは、黒歴史だ。

 とにもかくにも、そうやって彼のことをより深く知るようになって、それに比例してまた、あたしの仁に対する恋愛感情のボルテージも上がっていったわけで。


「そう。そうなのよ。これを機に、あの朴念仁に――」

「出来れば話してないで、手伝って欲しいですね。はい、すごく、とっても」


 少し長めの黒髪をした、眼鏡の少年が言う。

 教室の隅で、一人ダンボールを漁っている天音貴理は、ただちに応援を要求していた。


「いいじゃない。あんた一人で片付きそうなんだし。まさか、か弱い沙耶ちゃんに、埃だらけのダンボールを漁らせるなんて事、させないわよね」

「当然だ。沙耶はお前とは違って、繊細なんだ。っていうか、何でお前は選択肢に含まれてないんだ。さっさと手伝え、バカ」


 ――コイツとの仲の悪さは、今に始まったことではない。幼少の頃より、お互いの相性の悪さは自覚していた。理系と体育会系。

 まさに水と油のような二人だが、何故だが今もこうして、顔を突き合わせて話をしたり、一緒に行動したりしている。

 人とは、妙な生き物だ。


「大体、何だって、こんなもの」

 貴理は、愚痴をこぼしながら、自分の周囲に広がっているダンボールを見渡した。

 どれもこれも、結構な大きさだ。


「これ、要るのか?」

 先ほどまで漁っていた箱から、一つの着ぐるみの頭を取り出す。

 埃かぶったせいで、薄く灰色がかっているが、元は黄色だったのだろう。

 可愛らしい熊の着ぐるみの頭が、あたしたちを見つめている。


「それ、あんたが着るヤツよ」

 あたしがそう言うと、貴理は手にした熊の頭をじっと見つめた。


「――これを、僕が?」

「そうよ。配役上、あんたが着ないと。ちなみに、沙耶はウサギ」

「違う。どっちかっていうと、沙耶は猫だ」


 ――真顔で言うな、真顔で。


「――あんたの妄想は、知らないから」

 思わずため息が漏れる。

 コイツは物凄く真剣な顔をしてボケるから、その点が苦手だ。


「ホント、水と油よね」

 あたしの言葉に反応して、貴理が言う。

「僕と沙耶は、火と油だよね」

 沙耶に向かって、満面の笑みを浮かべた。

「ドユコト?」

「交わると燃え上が―――」


 ――これ以上聞きたくないので、あたしは近くにあった台本を割と全力でヤツに向かって投げつけた。

 当たったら、眼鏡が割れて失明するんじゃないか、と真剣に思ってしまうような速度で放たれた台本は、しかし彼には当たらなかった。

 おっと、という生意気な声とともに、貴理は首を動かして飛来するソレをかわした。


「台本を投擲するな」

「避けないでよ。台本が教室の床に突っ込んで、可愛そうじゃない」

 

 こんなやり取りは、日常茶飯事だ。それが良いのかどうかは、別として。


「貴理。大丈夫? 私も手伝う?」

「良いって。大丈夫。沙耶は優しいな」

 沙耶にだけする営業スマイルをして言う。


 ――何か普通に腹立つ。


 投擲の第二撃の準備に取り掛かった瞬間、教室の扉が開かれた。

 貴理が着るものと同じ黄色い熊の着ぐるみが、仁王立ちしているではないか。


「どう? 似合ってる?」

 笑顔のままの熊の中から、聞き慣れた仁の声がする。


「そっちにあったのか」

 貴理は、仁を一瞥してため息を吐いた。


「うん。演劇部の倉庫のほうに、俺の分あったみたい。ウサギの着ぐるみも、倉庫のほうにあったから。

 後は、陽夜の猫の着ぐるみだけやな。それは、倉庫にはなかったから、そっちやと思う」

「リョーカイ」

 手をひらひらさせて、貴理はもう一度作業に戻った。


「私はどうしよう」

 ウサギの着ぐるみを着る予定の沙耶が言った。


「演劇部が持ってくるって、言ってたから。ここで待機でええんちゃう?」

「あ、うん分かった」

 長い黒髪を揺らして、彼女は小さく頷いた。


 ――ホント、かわいいな、沙耶、かわいい。同姓のあたしでも、何か胸にくるもん。


「にしても、何だって、こんな――」

 貴理の愚痴はまだ続いていたらしい。


 学園祭であたしたちのクラスは、劇をすることになった。

 文芸部のの脚本で劇をするらしく、内容はテーマパークでバイトをしている高校生の物語らしい。


 あたしたち四人は、主人公が働くパークの従業員という設定だ。

 広い遊園地を探せば、四、五人は見つかる、風船を配っている奴らが、あたしらの役だった。

 閉所恐怖症というわけでもないので、特に文句はないのだが、やはり重たい。


 ――ガチャピンを尊敬してしまうほど、着ぐるみは重たかった。


「貴理、もうちょっとかかりそう?」

 気に入ったのか、着ぐるみを着たままの仁が言った。

「仁、お前は比較的まともなヤツだと、僕は認識していたんだけど。僕を手伝おうとかは、思わないわけ?」

「だって、これ着てたらダンボールとか開けられへんし」

「脱げよ! 何で着たまま作業前提なんだよ」

「気に入ってん、コレ」


 ――惚れる相手を、たまに間違えたんじゃないか、と思うときがある。

 例えば今みたいな時だ。


「あ、そうや。コレ着て、校内散歩してこよかな。ほかの連中も、リハの時に着るヤツの準備してるやろうから。ちょっと脅かしたろ」

「一人じゃ危ないだろ。階段とか、上るのは楽でも、降りるのは難しいだろ。オイ馬鹿女。どうせ手伝わないんなら、仁に付いてけ」


『んだと、コノヤロー』と本来ならば、反論するところだが、仁と二人で、というボーナスポイントで相殺した。

 今回ばかりは、この眼鏡に感謝しなくては。


「リョーカイ」

 軍人のごとく、敬礼して、あたしは仁と教室を出た。

 ――隣にいる彼の素顔が拝めたら、もっと嬉しいことだが。


 教室を出て、左手に曲がる。

「どこ行くの?」

「デートちゃうんねんから。ここ学校やし」


 仁の口から、デートという単語で出てきて、思わず『へ』なんて、間抜けな声が出そうになる。

 ――これは、なんと言うか、遠まわしに『実はお前のこと好きやねんで』と言っているのではないのだろうか。


「ま、一階の多目的室に行こか。今、あそこでセット作ってるやろうし。程よく時間潰したらんと」

 あたしが心の中で、肯定と否定を繰り返している間に、隣の熊が言った。


「時間を潰すって?」

「教室に二人きりの男女。俺はKYちゃうからね~」

 ――あぁ、なるほど。仁は、貴理と沙耶のために。


「……え、あたし、アイツが沙耶と二人っきりになるために、体よく追い出されたの?」

 すでに歩き出した仁を追いかけながら、先の眼鏡の発言を思い出した。


 ――けど、やっぱり仁は、男子の割りに気遣いが良く出来ている。

 別に、男子がガサツだということではないのだけれど、彼は一際、人に気を遣っているようだ。

 やっぱり、好きになった相手が仁でよかった。


 廊下を少し進んで、今度は右に曲がったところに、階段がある。

 ここは四階だから、結構降りなくてはいけない。

 あたしを追い出すための口実とは言え、やはり着ぐるみを着たままでは危険かもしれない。

 階段の降り始めのところに立っている仁が、ゆっくりと一歩踏み出した。


「大丈夫? 気をつけてよ。結構、危ないんだから」

 彼の横を歩きながら、あたしが言う。


「大丈夫、大丈夫」

 確かに彼の言うとおり、熊の着ぐるみは普段と変わらぬ足取りで、踊り場まで降りて行った。


「ほら――」


 踊り場に到着した彼が、次の階段を下りようとした時だった。


 黄色い足は、足場の無いところを踏み、頭の重たい着ぐるみは、体制を崩した仁を、頭から落下させた。


 時が緩やかに動いているようだった。

 彼は、頭から真っ逆さまに、階段から落ちていく。

 出来の悪い飛び込み前転のように。

 

 落下の途中、着ぐるみの頭が重力に従って落ちていく。


 むき出しになった仁の頭は、固い廊下の床に、鈍い音とともに打ちつけられた。

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