助けて(2/2)
「なぁ、布施さんのことだけど」
学校の休み時間。
僕は、前の席に座る沙耶に、言った。
今日も、彼女は不安そうな顔をしている。
「………どうしたの?」
彼女の視線は、何かを警戒しているようだった。
「布施さんの、沙耶を見る目っていうか、視線っていうか。何か、その、変、じゃないか?」
出来るだけオブラートに包んで話す。
沙耶は、小さく頷き、そのまま少しだけ俯いてしまった。
「お母さんが、私に紹介したときから、何か妙だな、って思ってた。
何ていうか、お母さんより、私を見てるみたいで。でも、お母さんに言っても、気のせいだって、言われるし」
やはり、僕の読みは正しかったらしい。
「それに、何か話を聞いてると、お母さんが私の写真を布施さんに見せたのが、付き合い始めたきっかけらしくて」
聞けば聞くほど、彼女の表情は暗くなっていく。
なんとかしてあげたい。だが、どうすればいい。
彼女のお母さんに、僕から言ったほうがいいかもしれない。
「大丈夫、僕が何とかするから」
休み時間終了ノベルが鳴った。
それに負けぬよう、僕がはっきりとした口調でそう言うと、久しぶりに沙耶の笑顔が見られた。
教師が教壇に立ち、授業が始まる。
机の横にかけているカバンから、教科書とルーズリーフのノートを取り出す。
と、そのとき、ふと窓の外の景色が目に入った。
ほかのクラスが体育をしているのだろう。女生徒が体操服で、ランニングをしている。
その向こう。
校舎を囲う、低い塀の外側に、一人の男性が見えた。
帽子で顔を隠しているつもりかもしれないが、二階からだと、その顔がよく見える。
帽子をかぶった男性は、塀に身を隠して、小型のカメラで女生徒たちを盗撮していた。
――なんてことだ。
盗撮していた男性は、布施さんだった。
◆◆◆
近辺で発生した少女誘拐事件と、女子高生を盗撮している男。
頭の中では、最悪の筋書きが出来つつある。
正直、布施さんが誘拐事件の犯人だという考えが頭から離れない。
けれども、僕としては繊細な沙耶の周りで波風を立てたくはなかった。
というよりも、母親の婚約者が逮捕でもされれば、彼女が学校でどんな扱いを受けるか分からない。
だから、僕は今日、彼女の家に行くのだ。
彼女のお母さんに事情を説明し、婚約破棄を考えてもらうために。
押しなれたインターホンを押すと、程なく扉は開いた。
「どちらさまですか?」
扉を開けたのは、布施さんだった。
「ごめんね。今、沙耶ちゃんも、涼子さんも、買い物に出かけちゃってさ」
休日返上で行動してみたが、失敗したらしい。
太陽の光が差し込むリビングで、僕は危険人物と一緒にお茶をするはめになってしまったのだから。
テーブルに置かれた紅茶を、布施さんが口に含む。
もしかしたら、今目の前にいる人物は、少女誘拐犯かもしれない。
そうでなくても、盗撮犯ということは、すでに確定している。
リラックスして喋る気には、なれそうにない。
「ま、もう少ししたら、帰ってくる――」
布施さんが言い終わる前に、携帯の着信音がそれを遮った。
「ちょっと失礼」
テーブルの上に置かれた携帯を手にして、布施さんが廊下へ出て行く。
正直、沙耶を助けるため、と意気込んで来たものの、物凄く帰りたい。
犯罪者かもしれない人間と二人きりになるのは、さすがに僕の胃が可愛そうだ。
リビングの扉が開いて、布施さんが戻ってくる。
「ごめん。君、もうしばらく、この家に居る?」
布施さんが、手にしていた携帯をテーブルの上に置いて言った。
「僕ちょっと、会社に戻らないといけないみたいなんだ、それも今すぐ。もし、良かったらでいいんだけど、留守番、頼めるかな」
――これは、もしかするとチャンスかもしれない。
布施さんが会社に言っている間に、沙耶たちが帰ってくれば、この人のことでじっくり相談が出来る。
休日返上の甲斐は、どうやらあったらしい。
「いいですよ」
僕がそう言うと、布施さんはありがとう、と残してリビングを出て行った。
鍵が閉められる音を聞いて、僕はようやくリラックス出来た。
冷たくなった紅茶を飲み――と、テーブルの上に、布施さんの携帯が残っているのに気がついた。
――忘れていったのか。
特に他意なく、それを手に取った。
もしかして、この中に決定的な証拠があるかもしれない。
携帯を開くと、どうやらロックはされていないらしく中身は見放題だった。
ピクチャーを選択し、ファイルを確認する。
――僕の嫌な予感は的中していた。
大量の女子高生の画像。それも、沙耶にそっくりなものばかり。
下へ下へスクロールさせていくと、とんでもない画像が出てきた。
――ニュースで報道されていた誘拐された少女。
彼女の画像が何枚も出てくる。
そして少女の画像が終わると、その次からは沙耶の画像が何枚も続いていた。
――これは、まさか………。
心拍数が上がる。
心臓がつぶれそうになる。
恐怖と焦燥と、それによる僅かな嘔吐感が体を支配する。
ふいに扉の鍵が開く音が聞こえて、背骨が震えた。
「ごめん、ごめん、携帯忘れちゃって」
玄関から布施の声が聞こえる。
どうやら携帯を取りに帰って来たらしい。
――まずい。携帯は今、僕の手にある。問題の画像もそのままだ。
もしこのまま見つかれば、証拠を握られたと思って、あの男は僕を殺すかもしれない。
――逃げなければ。
適当に画面を閉じて、何食わぬ顔で返せばよかったものを、僕はすっかり動転してしまっていた。
だが、どこに? 玄関には、布施が居る。
足音が近づいてくる。
恐怖に駆られて、僕はとっさに階段を上がり、二階に逃げ込んだ。
「天音く~ん」
一階から、ヤツの声が聞こえてくる。
足音も、近づいて、大きく、大きくなってくる。
――どうしよう。どうすればいい。
何かないかと見回すと、視界の端に可愛らしいプレートが写る。
沙耶の部屋だ。
奇跡を祈ってドアノブをまわすと、緩やかにまわり、扉は開かれた。
俊敏な動きで、そこに逃げ込み、静かに鍵をかけた。
ドアの傍で座り込んで、息を殺す。
数度名前を呼ばれたが、しばらくして、足音は遠ざかっていった。
玄関まで戻ったのだろう。
玄関扉の開く音とともに、布施と沙耶の声が僅かに聞こえた。
どうやら帰宅した沙耶が、ヤツと鉢合わせしたようだ。
耳を澄ましてみるが、涼子さんの声は聞こえない。
帰ってきたのは、沙耶だけのようだ。
布施が出て行くまで、ここで隠れていよう。
沙耶には、後で事情を説明すればいい。
そこまで思考して、僕は緊張から、ようやく解放された。
――まさか、こんな形で、沙耶の部屋に入室するなんて。
初めて入った、彼女の部屋を眺めてみる。
ところどころ、少女性を感じさせるものは置いてあるが、それにしても片付いている。
テーブルの上も、本棚も、彼女の几帳面さを現すように、綺麗に整理整頓されていた。
壁のクローゼットに向かう。
ふと、その下の床が濡れていることに気づく。
――何か中にしまっているものが漏れてしまっているのだろうか。
思わず手が伸び、クローゼットを開けてしまう。
――服は一着も入っていなかった。
入っていたのは、『ソレ』を着るものだ。
開けた途端に小さく悲鳴を発してしまった。
汗やら、涙やら、排泄物やらで、中はとんでもない悪臭を放っていた。
両手両足を縛られ、口にタオルを巻かれた少女が中で横たわっている。
生きているのか、死んでいるのかも分からないほど、ぐったりした少女の顔は、もう大分変わってしまっているだろうが、確かにニュースで見たものと一致していた。
――どういうことだ。なぜ、この少女が、沙耶の部屋にいる?
何故、何故。
足音が聞こえる。
彼女の足音。
沙耶の足音。
この部屋の主の足音。
――証拠は、あった。
つまるところ、彼女が誘拐事件の犯人であり、布施はただの盗撮犯だった、という。
扉が開かれる。
沙耶が、ゆっくりと僕の前に現れる。
この二階で悲鳴を上げさせるものは、自分の部屋にしかないと、彼女は知っていたのだろう。
そして、それが決定的な証拠であると、彼女は認知していたのだろう。
だから、それの目撃者を消すために、大きな包丁を手にしているのだろう。
「貴理」
後ろ手で、沙耶が扉の鍵を閉める。
穏やかな笑みをたたえた彼女が、静かにゆっくりと僕のほうへと歩を進める。
――コイツは沙耶じゃない。化け物だ。
そのままクローゼットの中に、逃げるようにずるずると後退していく。
包丁を持った彼女が僕を追い詰める。
「さ、沙耶、これは………」
全身がクローゼットの中に入ってしまった。
沙耶の答えは、言葉ではなかった。
彼女が包丁を振り上げ、僕の頭に向かって、勢い良く振り下ろ――
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