助けて(1/2)

「今度、お母さんが再婚するの」


 目の前に座る、長い黒髪をした少女が言った。

 陶磁器のように白い肌。細い手足。長いまつ毛に、大きな瞳と、慎ましやかな胸。


 眼鏡のレンズ越し映る、美しいとしか活字で表せない彼女の名前は、園部沙耶(そのべ さや)。

 いつもよりほんの少しだけ早く登校すると、人気のない教室に沙耶が一人、ぽつりと着席していた。


 朝礼にはまだ時間はあるから、と今こうして、彼女と話をしているわけだ。

 自分と沙耶との付き合いは長い。

 小さいころから、ずっと一緒で、小中も一緒で、高校も現在形で同じところに通っている。


「良かったじゃないか」

 僕の問いに、沙耶は複雑な表情をした。

「うまく、馴染めるか、どうか、とか?」

 僕の問いに、彼女は、控えめに頷いた。

「大丈夫だよ。最悪、僕のところに来れば良い」

 ――というか、来て欲しいと、心の中で付け足しておこう。

 珍しい時間での沙耶と二人きりの時間を楽しんでいると、教室の外から騒がしい足音が聞こえる。


 ――この学校で、こんな馬鹿なことをする人物を、悲しいかな僕は知っている。


「イッチバァン!」

 けたたましい女の声。

 振り向けば、軽く内側に曲がったショートヘアーをした少女が得意げに人差し指を天に向かって突き立てている。


「あれ、陽夜?」

 親友のムードぶち壊しの登場に、沙耶は困惑していた。


 ――というか、こういう登場の仕方は、ムードとかそんなの関係なく、困る。


 陽夜の後ろから、肩で息をしている少年が現れる。

 少し目にかかるぐらいの髪を、ワックスで今風に固めた少年もまた、僕の知り合いである。


「おはよう、朝霧陽夜(あさぎり ひよ)さん、と渡里仁(わたり じん)君」

 白い目をして、冗談めかして僕が言うと、仁と呼ばれた少年は、申し訳なさそうに笑った。


「朝から、ご機嫌斜めっぽいですね、天音貴理(あまね きり)君」

 彼もまた、茶化した口調で返す。


「当たり前だ。せっかくの沙耶との二人きりの時間を、そこの馬鹿女に邪魔されたんだ」

 視線で、人差し指を恥ずかしそうに下ろした陽夜を指す。


「う、うっさいわね。あたしだって、沙耶たちが居るんなら、こんなことしなかったわよ」

「どうだか」

「陽夜は、陸上部の朝練も兼ねて、俺と競争しててんな」


 分かりやすい演技で、仁がフォローを入れるが、陽夜の顔を引きつらせただけだった。

 しかし、まぁ、なんというか。類は友を呼ぶというか。

 こんな朝早くから、幼馴染が全員集合している辺り、僕も彼女らと同類項かもしれないわけだ。


 学校というところは、相対的に言うと退屈なところである。

 それは、放課後に沙耶の家に行くという選択肢が僕の中にあるからだ。


 それに比べれば、学校生活など霞んで見える。

 今日もまた、学校帰りに沙耶の家に寄った。


 学校から少し離れたところにある、品の良い一軒家。そこが彼女の住居だ。

 いつものように玄関から上がり、いつものようにリビングのソファに腰掛けた。

 沙耶が、ちょっと待っててね、とキッチンに飲み物を取りに行った。


 正直、自分たちは付き合っているとも言えるかどうか、わからない関係である。

 が、陽夜や仁たちから言わせると、それは付き合っている、に当てはまるらしい。


 とかく、そんな関係をずっと続けているわけだが、実は未だに彼女の部屋に入ったことがない。

 彼女の父親は事故で他界しており、今は母親だけで、普段は働きに出ている。

 何でも、ビジネススーツの似合う、キャリアウーマンらしい。

 父親が居なくても収入にはことかかないそうだ。


 平日の今のような時間帯は、この家には僕と彼女しかおらず、いつもリビングで他愛ない話をしている。

 だから、特に彼女の部屋に行かなければならない、というわけでもないのだ。


 が、思春期の男子としては、気になる少女の部屋は、とても見たい。物凄く見たい。

 ――というかわけで、一度だけトイレに行くと言って、こっそり彼女の部屋を見ようとしたことがある。


 彼女の部屋は弐階の一番奥にあった。

 可愛らしいプレートがかかっていたので、すぐにわかった。

 ドアノブを回して、静かに入室しようとしたが、それは叶わなかった。


 ――鍵が掛かっていたのだ。

 それも、彼女の部屋にだけ。


 父親がいたころの名残なのか、非常に残念なことに沙耶の部屋にだけ、鍵が備え付けられていた。

 さすがに、『部屋が見たいから、鍵を開けてくれ』などとは、言えず、それきりとなった。

 以後、こうして、足しげく彼女の家に通い、虎視眈々と部屋に入室する機会を待っているわけで。


 そんな中、彼女の母が再婚するという知らせは、喜ばしいものだった。

 なぜなら、もしかすると彼女の母が専業主婦となり、この時間も家にいるかもしれないからだ。

 そうなれば、自然と沙耶の部屋に入れるかもしれない。


 ――もっとも、以前の旦那の場合も、彼女の母は仕事を止めなかったので、可能性としては酷く、低いものだが。


「はい」

 彼女が、テーブルに二人分の紅茶を置いた。

 いっそ、本人に頼んでみるか。

 いや、無理だ。自分にそんな度胸はない。


「そういえば――」

 部屋に入れてくれと言うわけにもいかず、ふと僕は、今朝見たニュースのことを口にした。

「最近、この辺りで、誘拐事件があったらしいね」

「え?」

 ニュースを知らないのか、沙耶は酷く驚いた表情をしていた。


「うん。今朝のニュースで知ったんだけど、何か近くの高校らしいんだよ。確か女子」

 とたんに彼女の顔が引きつる。

 ――しまった。不必要に怖がらせてしまったか。


「あぁ、でも、大丈夫だよ。どうせ、すぐ捕まるって」

「……そう、かしら」

 不安そうな顔をして、沙耶が答える。

 ――何か、打開策を。打開策を練らなければ。このままでは、彼女の中での天音株が大暴落じゃないか。

 僕がない知恵を絞っていると、チャイムが鳴り響いた。


「郵便?」

「さぁ」


 彼女が玄関へと消えていく。

 しばらくして、沙耶の驚く声。

 危機感はなさそうだが、僕は気になって、玄関のほうに行く。


 敷居の内側には驚いている沙耶。外側には見知らぬ男性が立っていた。

 年は、三十代後半ぐらいだろうか。

 灰色のスーツを着こなし、眼鏡をかけた男性は、僕を一瞥すると穏やかに笑った。


「沙耶ちゃんの彼氏?」

 その男性の突然の発言に、僕も沙耶も、言葉をなくしてしまった。

 ――というか、僕がそれ以上に、顔を赤くしている沙耶が可愛いと思ったのは、いうまでもない。


「え、えぇと」

 男性の問いには返事をせず、沙耶は僕に説明を始める。


「この人が今朝言ってた、お母さんの婚約者。つまり、私のお父さんになる人」

「どうも、はじめまして。布施涼太(ふせりょうた)です。将来的に見ると、君の義父さんになるかもしれないから、仲良くしとこう」

「あぁ、はい。僕は天音貴理です。こちらこそ、どうも」


 出来れば、そうなることを祈りつつ、僕も挨拶した。

 沙耶はと言うと、耳まで真っ赤にして、うつむいたままだ。


「涼子さん……沙耶ちゃんのお母さんに似て、綺麗だろ」

 彼女に聞こえるように、布施さんは僕に言った。

「はい」

 即答した自分を、ほめてやりたいところだ。

 反射的に本音を言ってしまって良かった。

 尚のこと赤の色素が濃くなる沙耶を無視して、布施さんは家に上がった。


「どうしたんですか? こんな時間に」

 ようやく、本来のカラーバランスに戻った沙耶が言う。

「実は涼子さんのパシリなんだよ」

 肩をすくめて布施さんは言う。


「今度の会議に使うデータが今すぐ欲しいって、それで近くにいた僕に『取ってきて』だよ。結婚したら、僕主夫になろうかな」

 ――どうやら、彼女のお母さんは、仕事を止める気はさらさらないらしい。


「ま、天音君のためにも、目的のものを取ったら、すぐに帰るから」

 義父さんの粋な心遣いには、どれほど拍手してもしたりない。

 何て空気の読める人なんだ。今朝の馬鹿女とは違う。


 結局、布施さんは沙耶のお母さんの部屋から、目的のものを取って、すぐに退散していった。

 その際に『もし天音君が沙耶ちゃんと結婚するんなら、とりあえず一回殴らせてくれ。それが僕の夢なんだ』と、早々に右ストレートの宣言をしていた。


「結構、良い人じゃないか」

 二人きりに戻った、リビングで僕が言った。

 今朝の沙耶の様子からすると、嫌な人が来るのかと思っていたが。

「うん。お母さんも、そう言ってたし」

 だが、彼女の表情はどこか影が差していた。


 理由は、数日後に判明した。


 僕が沙耶の家にいる時、たまに布施さんが来るときがある。

 その場合、妻涼子さんのパシリであったり、忘れ物を取りに来るのが理由のほとんどで、用が済むとすぐに退散する。

 だが、そんなわずかな時間でも、僕は彼女の不安そうな顔の原因がわかってしまった。


 視線。


 布施さんの沙耶を見る目が、どうもおかしいのだ。

 なんというか嘗め回すようなもので、あまり言いたくはないが……娘に向けるような視線ではないようなきがしたのだ。


 彼女の家に行く回数が増える毎に、なんとなくその視線がより下品に見えてくる。

 沙耶は、おそらくこの目に気づいているのだろう。


 だから、あんな不安そうな顔をしたのだ。 

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