お祓い


 ある休日の昼の事だった。


 ピンポーンとインターホンが鳴った。

 N氏は、どうせ宗教勧誘か新聞だろうと思い、玄関の扉を開けた。

 外に居たのは、小太りのスーツを着た男性だった。

 ――あぁ、ほらやっぱりと内心思いつつも、N氏は男性に話しかける。


「何の用だ」

「えぇっと、ですね……」

 その小太りの男性は、妙に歯切れが悪く、もじもじした様子で、中々要件を言い出さない。

「まさか、原稿の催促か」


 N氏は小説家だった。

 ジャンルはSF。

 いわゆる売れっ子作家で、腕は確かではあったが、いかんせん傲慢な部分があった。

 自分のためなら、他者の都合を顧みない性格があるのだ。

 今月末に締め切りが一本あり、今はプロット作業中なのだが、出版社には出来上がり次第持っていくとスケジュールを大幅に変更させて、待たせている最中なのだった。


「い、いえ、自分はそういう立場の人間ではなく」

 と、男性は少し申し訳なさそうに頭を下げた。

 そして、名刺をN氏に差し出した。

 受け取った名刺を見ると『霊媒師』と職業の所に書かれていた。


「は?」

 何かの冗談かと思って、我慢できずにそんな声を出していた。


「お、お気持ちはよく分かるのですが、少しお話だけでも聞いていただけませんでしょうか……」

「――私は幽霊なんぞ信じておらん」

「えぇ、えぇ……。それは、皆様そうだと思うのですが……」

「それで、その霊媒師が、私に何の用だ? 壺でも売るつもりか」

「滅相もございません。いえ……その……大変、申し上げにくいのですがアナタ様に、幽霊が憑りついておりまして……」

「――私には見えないが」

「いや、まぁ、普通はそうなのですが……」

「なら、もう結構。それでは」

 と扉を閉めようとすると、意外にも俊敏に動けた男性に、それを止められてしまった。


「じ、実はですね。ワタクシ、一つ上の階の方のお祓いをさせていただいたのですが」

「なんだ、セールストークか」

「違います……! 実はその時に、真下の階からも霊の気配を感じまして……」

「それで……?」

「ですので、その、アナタ様のお祓いをさせていただければと……。お金は少々いただくことになってしまうのですが……」


 ふむ、とN氏は考える。

 タダがどうこう、というのは特に考えの中には無かった。

 どちらかと言えば、こんな怪しい男を家に上げたりするのが嫌だったのだ。

 それに、だ。


「もし、私がお祓いしてもらったとして、その霊はどこに行くのだ」

「まぁ……、今の所、一番縁が深い、元の上の階の方のところに行くのではと……」

「それでは、何も変わってないじゃないか」

「えぇ、まぁ……」

 と男性は、何とも情けない返事をするだけだった。


「ちなみに、私には今どんな霊が憑りついているんだ」

「女性です。何か、この世に強い恨みを抱いているようで……放っておくのは、あまり……」

「なるほどな……。だが、私はそいつを見たことも無ければ、悪さをしている所に遭遇したこともない。別に放っておいて構わんだろ」


 N氏がそうぴしゃりと言い放つと、霊媒師は「そうですか……」と弱弱しく言い残して、その場を後にした。

 言った事に嘘は無かったが、しかしN氏の中では、この霊媒師を困らせてやろう、という思いがあったのは事実だった。


 その翌日から、N氏の周りでは奇妙なことが起こり始めた。

 つけた覚えのない電気がついていたり、突然テレビの電源が入ったり。

 誰もいないはずの部屋から、足音が聞こえることもあった。

 そうした怪異と同居しながら、N氏はそれらを記録し続けた。無論、小説のネタになるかもしれないからだ。

 といっても、フィクションのようなド派手な事はしてくれないので、そのままでは使えないだろうが。


「どうですか、そろそろお祓いをされては……」


 そんな奇妙な生活がしばらく続いたある日、またあの霊媒師がやって来た。

 N氏の顔色を窺いながら、話を続ける。


「霊も放っておくと、あまり良いことは無いかと思いますので」

「いや、別にこのままで良い。言っていなかったが、私は小説家でね。中々出来ない体験をさせてもらえるのは、どちらかというとありがたい話なのさ」

「ですが、このままではいつか……」

「しつこいやつだな。飽きたら、また呼んでやるから、その時にお祓いをしてくれればいい」

「ですが……」

「金なら気にするな。いくらでも払ってやる」

 

 だが、その翌日から、霊障は頻度が上がっていった。

 別に襲われるということは無いのだが、単純に面倒くさくなってきたのだ。

 そして、それはだんだんと、加速度的に頻度は上がっていった。

 家の中で常に何かが動く。明かりがひとりでに点く、消える。

 しまいには家ではなく、仕事場などでもそういった事が起こり始めた。


「すまない。あの時は、断ってしまったが、やはりお祓いをしてもらえないだろうか」


 三度現れた霊媒師にN氏は、そう言った。

 だが、今までさんざんお祓いをしようとしていた霊媒師は、この段になって静かに首を横に振った。


「すみません……。もうお祓いは……」

「どういうことだ。今までさんざん、お祓いをしたがっていたじゃないか」

 N氏の問いに、霊媒師は申し訳なさそうに目を伏せながら答えた。


「お祓い、というのは実際その言葉通りでして。霊を『はらっている』だけなのです。つまり、消し去るわけではないのです」

「それがどうかしたのか」

「ワタクシは……それを利用したのです。お客様の霊は、元は一つ上の階の方に憑いていた霊です。その前は、さらに一つ上の階の方に。またさらにその前は――と、元をたどれば、お客様に憑りついた霊は、このマンションのどこかに居た霊なのです」


「なら、なぜそんな霊が私の部屋に居るんだ」

「お祓いをし続けた結果です。霊を祓えば、その家からは居なくなりますが、近くの家に憑りついてしまうのです。――ただ、ワタクシにとっては好都合なことだったのです。何せ、新しいお客様が、そこに出来るわけなのですから」


「マッチポンプというヤツか。何というヤツだ……! なら、最近霊障が酷いのも、お前がこの霊をさんざんこき使った事に怒っているせいか……!」

「いえ……。実は、このマンションには霊は5体いたのです。それをさっき言ったように、祓っては近くの家に憑りつかせを繰り返してきたのです。ところが、お客様は、この家の霊を祓わせてくれません。ですから、ここで霊が渋滞を起こしてしまっているのです」

「――怖いもの知らずな奴だ」

「それはお客様の方でしょう」

「まぁいい。ともかくお前が撒いた種だ。お前が解決しろ。ほら、早くお祓いでも除霊でも何でもしろ。罪悪感があるから、こうして私の元に顔を出したのだろう?」


「いえ……。もう今日は断れても、無理やりお祓いをしようと思ってやって来たのです。やはり、そろそろ霊を移動させなければ、ワタクシも困りますので。ただ……」

「ただ、何だ」


「すみません、やはり、お祓いは出来そうにないのです」

「なぜだ。まさか、お前、さらにインチキだったというのか」

「いえいえ! ワタクシには霊の姿がはっきりと見えています。ただ……」


 そこで霊媒師は言いよどんだ。

 N氏が催促すると、困り顔でこう答えた。


「もう家ではなく、アナタ様についてしまっているのです。それにワタクシが利用していた霊以外の霊たちも、家の中にたくさん憑りついてしまっていて――」

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