豪雨を殺せ(中編)


 リサの彼氏と、その浮気相手はホテルでたっぷり楽しんだ後でやっと分かれ、彼氏は深夜一時にようやく家に帰ってくれた。


「なぜ、キミが一緒にいるんだ」

「大体察しは付くだろ」

 なし崩し的に行動を共にしていたノイズとコリンズが、自宅に入っていくリサの彼氏を物陰から覗き見ていた。コリンズ曰く、あいつは一人暮らしらしい。


「どうすんだよ、これ。今からあのクソの所に行って説教でもすりゃいいのか」

「あぁ」

 食い気味に堪えたコリンズがそう答え、物陰から身を出した。


「おい待てって、今のは冗談だ。説教なんかで何とかなるかよ!」

「無駄でもあんなクソ野郎は、一発殴ってやらないと気が済まない。リサ嬢の事は任務のために調べたが、彼女は本当にいい娘なんだ。そんな彼女を騙していたなど……!」

「私情入ってんな⁉ CIAってそんなんでいいのか⁉」

「今の俺はCIAではない。――一人の娘を持つ、ただの父親だ」


 どうやらコリンズは自分の娘と、リサを重ねているらしい。

 ノイズはため息をついてコリンズの後を追うしかなかった。

 頭の中では、簡単な詐欺に引っかかりそうなリサの顔が浮かんでいて、だからこの後の流れをおおよそ予測していたからだ。




「そうだよ、詐欺だよ! 悪いかよ!」

 とまぁ、こんな具合である。

 宅配業者を装ったコリンズが、リサの彼氏――ミケルの家に無理やり上がり込んで、まずは一発殴り飛ばして、軽く尋問したら、全ての真実が短く伝えられたのだ。


 殴り飛ばされたミケルはそのままリビングまで引きずられていった。

 尻餅をついて殴られた頬をさすりながら、恐怖と怒りが入り混じった表情をコリンズに向けていた。


「俺たちみたいなクズはなぁ、ああいう馬鹿から金をかすめ取らねぇと生きていけねぇ――」

 言い終わる前にミケルがまたコリンズにぶん殴られる。


「――で、どうすんだ、これ」

「逮捕してやる。と言いたいところだが……」


 そうすると結婚式は出来ないのだ。

 CIAにもCIAの段取りがあるのだろう。どうやら今更、その結婚式が中止となっては困るらしい。


「おいクソ」

 ノイズがミケルに言う。すでに彼女の頭からは、彼の名前は消えていた。

「お前、リサからはもう金とかは取ったのか」

「それはまだだよ。金の話は、ヴァネッサと一緒に、あいつに結婚する前に持ち掛ける予定だったんだ」

「そいつは、お前とさっきまで一緒にいた奴か。随分、仲が良いみたいだな」

「はっ、つけてたのかよ。言っとくけど、俺はあの女とはヤッてないぜ。仕事前に男女関係なくパートナーと寝るって噂だったんでな。どんな病気持ってるか分かったもんじゃない……」

「あ? じゃあ、お前らホテルで何してたんだよ」

「だからアイツから金を取る計画の打ち合わせをしてたんだよ」


 ――ほう。

 ノイズの中で一つ、道が浮かび上がる。


 殆ど躊躇なく彼女は懐から銃を出して、転がっているミケルに向かって引き金を引いていた。

 サイレンサーがついているため、音は殆ど出なかった。発射された弾丸は、彼の頬をかすめて、そのまま床に撃ち込まれた。


「へ?」

 そしてミケルの時が止まった。何が起こったか分からないと、言った風に目を見開いてノイズを見ている。


「二つ、選ばせてやる。ここで死ぬか、そのアホみたいな計画を今すぐ中止して、本来の計画に戻すかだ」

「ほ、本来の計画って?」

「あの箱入り娘と結婚して幸せな家庭を作る計画だ。ついでに子供も作って良いし、今ならうまいパエリアも多分ついてくる」

「――今更……?」


 ミケルが疲れたように笑って言う。

 この男のバックボーンなぞ分かるはずもないが、しかしどことなく自分と近い世界にいたのだという事を、ノイズは感じ取っていた。


「正直言って、あたしもあの女は馬鹿だと思う。天然記念物の箱入り娘だ。お前とアイツとは住む世界が違う。

 ――だから、物の試しに一緒になってみて、普通の生活ってやつをしてみれば良いんじゃないのか。……あたしは、興味あるぜ、そういう生活」


 銃を下ろす。ミケルを見る。彼の目は伏せられていた。


「あんたは……?」

「あたしはもう人を殺してる。あんな所には居られない。でもお前はまだ、あそこに行ける。そのチケットを持ってる」


 しばらくミケルは黙り込んで、一言、分かったと言った。

 それから立ち上がって、キッチンに向かってウィスキーの瓶を手にした。

 と思ったら、蓋を開けてソイツをラッパ飲みし始めた。


「あの女には直してほしい所と、覚えてほしいことが全部で三〇個ある!」

 もうすっかり出来上がったミケルが瓶を置いて、そんなことを叫び始めた。


「今からそれをあたしらに言って、直せとか言うんじゃないんだろうな」

「いやいや。俺が今からあいつにそれを言うんだ。結婚するんなら、一緒に生きてくんなら、俺の要求にも呑んでもらう。

 ――代わりに、俺もあいつの要求を吞む」


 ミケルの手にはスマホが握られていた。もう電話帳は開かれていて、リサのページが表示されていた。

 ちらとノイズがコリンズの方を見る。

 コリンズは短く「妥当な意見だ」と呟くだけだった。


「分かった、じゃあ、後はお前を信じる。でももし、またあのアホみたいな計画を起こそうとしたら、次はちゃんと当てるからな。……おい、聞いてるよな」

 ノイズは、もう千鳥足になっているミケルに不安げにそう言うのだった。


◆◆◆


「あれで何とかなるものなのか?」

 ミケルの家を出て、しばらく歩いたところでコリンズはノイズにそう聞いていた。


「知らねぇよ。あとは当事者に任せるしかないだろ。とりあえず、少しの間は様子見だな」

「――なるほどな。俺は少しこの辺りで待機する」


「あ?」

 待ったところで何になるのかと思ったが、コリンズがしているイヤホンに視線が行って、ノイズはおおよそを理解した。


「盗み聞きとは趣味が悪い。いつの間に仕込んだんだ」

「お前がアイツを説得している間だ。これも任務だ、手段は選べん」

「ならあたしも、ちょっと残るよ」

 目の届かない所で事態が急転されても面倒だ。


「なら、そこのバーで待とう」

「あたしは未成年だが」

「ソフトドリンクもある」


 ミケルの家から少し離れたショットバーに、ノイズとコリンズが入る。

 店員に飲み物を聞かれたので、オレンジジュースとノイズが言うと、コリンズが同じものをと言った。

 店員は目を丸くしてから、カウンターに戻って行った。


「何でお前もソフトドリンクなんだよ」

「俺は酒が苦手なんだ」


 ならもっと別の場所もあっただろう、という言葉を飲み込んで、ノイズは窓の外を注視した。

 二人が座っているのは、窓のすぐ側の席で、車道を挟んで向かい側にあるミケルの自宅がギリギリ見えていた。

 もしアイツの家に、妙な奴が押しかけて行ったらすぐに分かるというわけだ。


「お待たせしました」

 店員がジュースを二つ、二人の前に置いた。


「ん?」

 ノイズがグラスに口をつけるのと同時に、目の前の道路を一台の車が通り過ぎていく。

 それはタクシーだった。それだけなら、どうでもいいのだが、後部座席に見覚えのある顔があった気がしたのだ。

 そのタクシーはミケルの家の前で止まり、乗っていた人物が車から降りる。

 リサだった。


「おい、リサが来たぞ」

 ノイズは視線をリサに向けたまま、横のコリンズを肘で突く。

「にゃに?」


 ――にゃに?

 思いがけない返事に、驚いて横を見ると、何故か顔の赤いコリンズがいた。


「――お前、呑んでないんだよな」

「あひゃりまえだ」

「そうだよな、あひゃりまえだよな。――嘘だろ、コイツ雰囲気だけで酔いやがった……」


 コリンズは頭をぐわんぐわんと振って、そのままカウンターに顔を伏せた。

 ノイズは大きなため息をついてから、コリンズがつけているイヤホンを外して、耳元に持ってくる。イヤホンからミケルとリサの声が聞こえてくる。


 最初はミケルが何を言っているのか分からなかったが、よくよく聞いてみると、どうやらリサに対する不満らしい。

 世間を知らなすぎるとか。電車に乗るだけではしゃぐなとか。

 オペラが好きなのは分かるが、俺はもっと下らない、スプラッターな映画とかが観たいんだ、とか。料理が俺より下手なのはどうなんだ、とか。

 そんな不満がつらつらとミケルの口から吐き出されていく。

 そして、最後。


『これが俺のお前に対する不満のすべてだ! じゃあ――次は、お前が言うんだ、俺に対する、不満を』

 ミケルがそう叫んでから、イヤホンの向こうからは何も聞こえなくなった。


『なにも』

 そして、少ししてから、リサの声が届いた。

『なーんにも、ありません。ミケルが、私にずっと合わせてくれてたから。私は、ミケルに何の不満もないよ。直してほしい所とか、嫌な所とかも』

 直後、すすり泣く声が聞こえた。それはミケルのだった。


『ごめんなさい。ミケルにばかり、無理させちゃってて』


 ――で、鳴き声はやんで、次いで、ただの吐息だけが聞こえてくる。

 そして、衣擦れの音が聞こえ、何か金具的なものが外れる音がしたところで、ノイズはイヤホンを耳から離した。


 これ以上の盗み聞きは趣味ではない。

 奪ったイヤホンをそのままテーブルの上に置いて、ノイズは店を出た。

 途中店員に呼び止められたが、代金はコリンズにつけるよう言って、ノイズは一人家に帰っていった。


◆◆◆


 そして、結婚式当日。

 ノイズは当然招待されていたが、これを丁重に断っていた。


 これからターゲットに引き金を引くのだから、呑気に式に出ているわけにはいかない。

 結婚式が行われる建物のすぐ近くのビルの屋上にノイズは居た。手にはスナイパーライフルを持っていた。


 ノイズが今回の件を解決するにあたって、至った結論はシンプルに狙撃だった。

 式場には組織の人間の手を回して、ちょうどノイズが今いる位置から、弾が通るよう、窓を開けたり、新郎新婦の位置を調整してもらったりしている。

 だが、実弾を使っての狙撃ではない。『麻酔弾』だ。


 今までのリサーチから、ジャックが寝てしまえば、彼の能力は発動しない。寝てさえいれば、たとえ泣こうがいびきをかこうが、天候は何も変わらない。

 だから、ジャックがリサの花嫁姿を見て、泣きそうになった瞬間に引き金を引くと、ノイズは決めていたのだ。


 本当なら事前に眠らせるのが確実だというのは分かる。しかし、娘の花嫁姿を親が見られないというのは――その機会を自分が奪ってしまう、ということをノイズは善しと出来なかったのである。

 だからギリギリまで譲歩したうえで、仕事をするつもりだった。


 銃を構え、スコープを覗く。

 十字の照準の中に、ソワソワしているジャックがいた。

 引き金に指をかけようとして、ノイズはそれを止めてスコープから目を離した。狙撃の姿勢から、自然な立ちの姿勢になる。


「酒は抜けたのか?」

 振り返らずにノイズは、自分の背後に居る人物に言った。


「あぁ。おかげさまでな」

 当然、そこに居たのはコリンズだった。彼は拳銃をノイズの背中に押し当てたまま、そう答えていた。


「結婚式の邪魔をするとは、あまりいい趣味とは言えないな」

「結婚式を利用しといてよく言うぜ」

「動くな。邪魔をするなら、――お前を殺さなければならない」

「――分かったよ」


 両手を上げて、ノイズが振り返る。

 コリンズは一瞬、ぎょっとするが、そのまま身体検査に入ろうとして。

 ノイズがその手を掴んだ。当然、コリンズはそれを振りほどこうとするが、それより先にノイズは行動を済ませていた。


 ノイズもまた、ジャックと同じアノマリーである。

 その能力は、わずかな電気を操る、という程度のものだが、それでも少し軽めのスタンガン程度の威力は出るのだった。

 バチっと音がして、コリンズの体に電流が走る。

 手が開き、持っていた拳銃が落ちる。

 すかさずそれをノイズがつかんで、そのままコリンズに向けて引き金を引いた。


 特にこれと言った発砲音もせず、弾は確かにコリンズの胴体に命中し、そのまま彼は仰向けに倒れていった。

 そして。

 閉じられた瞳と、わずかに上下する胸を見て、ノイズはため息をつくのだった。


「どっちも甘かったってわけさ」


 自分のスナイパーライフルと同じ弾が入っていたコリンズの拳銃を懐にしまって、ノイズは再びスコープ越しにジャックを見た。

 事前に調べていたスケジュールでは、もうすぐ花嫁の入場だった。

 泣くとしたらそのタイミングなのだが―――――――。


「は?」


 ジャックは既に泣いていた。

 新郎も新婦もいないというのに。まだ、何も特に始まっていないというのに、ジャックはもうすっかり泣いていたのだ。

 計画が狂った。今すぐ引き金を引くべきか。それとも組織への連絡が先か、と考えている内に、ある事に気が付いた。


「――雨、降ってねぇ」


 そう。

 ジャックは号泣しているのにも関わらず、空は変わらずご機嫌なままだったのだ。

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