豪雨を殺せ(前編)


 ノイズという少女は殺し屋だった。


 歳は一七歳。一般的には高校二年生ほどだろうか。

 しかし、彼女は学校には通っておらず、代わりに彼女の面倒を見ている組織の事務所で働いていた。

 その組織は――まぁ、ものすごく平たく言うと、ギャングのようなものだった。


 そして今、ノイズは炎の中に居て、崩れて来た天井の一部の下敷きになっていた。

 事務所の引っ越しをすることになって、それの手伝いに来ていたのだ。


 それで――。

 ――あぁ、これ、だめだ。


 考えをまとめようとして、一考にまとまらない自分に気づいて苦笑する。

 機嫌よく燃える炎とは逆に、今まさに消し飛びそうになっている自分の意識にしがみつく。けれども、それも徐々に闇に落ちていく。


 死ぬ前に今までの行いを思い出す、という話を聞いたことがある。

 日本では『走馬灯』というのだとか。

 これもその一つだろうか。


 なんとも下らない『殺し』の記憶をノイズは静かに思い出していた。


◆◆◆


「で、こいつが今回のターゲットだって?」

 組織の事務所で、ノイズは渡された資料を確認していた。


 ジャック・ノイシア、56歳。サラリーマン。結婚していて、子供は25歳になる娘が一人だけ。

 とりあえず、表向きはごくごく普通の人間のようだ。


 しかし、自分にこうして話が回ってきたという事は、何かロクでもない事をこの街でしようとしているのだろう。

 ノイズの仕事は、確かに残酷なものだが、しかし組織と彼女なりの流儀のもと、行われてきた。それはこの街を守るため、という前提だ。

 だから堅気の人間は殺さない。殺すのはクズだけ。


 そういう取り決めだった。

 だったのだが。


「ほかに資料は?」

 ノイズは目をぱちくりさせていた。(ちなみに彼女は、左目に生まれつき障害を抱えているので、そちらには眼帯をしている)


「ない」

 机を挟んで向かいに座る、でっぷりと太った老人が葉巻を灰皿に押し付ける。

「資料は……それだけだ」


 その老人こそ、ギャングのボスだった。

 普段なら何事にも動じないボスだったが、今日だけはどうやら違うらしく、何とも気弱な声でノイズに返事をしていた。


「それだけって……。こいつも、アタシがやるに相応しい、クズなんだろうな……?」

 ノイズが問う。しかしボスは何も答えない。

 答えられない、と言った風に目を伏せる。


「――おいおい。アンタたちに拾ってもらった事は感謝してるし、こうして働かせてくれてるのも有難いと思ってる。

 でも『約束』だったはずだ。お互いの正義を信じて行動すると。

 ……もし、その約束を破るって言うんなら、まずそれを言ってくれ。やるかどうかは、また別で考えるから」


 殺しに善いも悪いも無いだろうが、でも殺すんなら悪い奴がいいのだ。

 そう思う一方で、ノイズは親もなく、野垂れ死ぬしかなかった自分をここまで育ててくれた組織に――このボスに恩義も感じていた。


「――分かった」

 葉巻をもう一度吸い、煙を吐き出してからボスが言った。

「お前の言う通り、そいつは堅気だ」

「じゃあ何で」


 殺すメリットはないはずだ。このジャックという男は、いたって平凡な男。

 どこかの大企業の重役だとか。何か凄い発明をしているだとか。

 そういうものは一切ない。


「私たちはこの男を殺すべきだと考えている。この街のために。それはまず、事実だ。といっても、私としても……正直は馬鹿馬鹿しい話だとは思ってるんだが」

「だから、その理由は何なんだよ」


「――雨男なんだ、前代未聞の」

 

 少しだけ間があって、ボスの口から出た言葉がソレだった。

 その言葉の意味する所が分からず、ノイズはしばらくボケっとしてしまっていた。


「雨、男……?」

 そしてその一言をどうにか絞り出したのだ。

「そう、雨男なんだ。それも、単なる雨男じゃない、あの男が泣くと、雨が降るのだ」


 最近は忙しかった。

 この街でクスリを売ろうとする、よそ者たちの排除だったり、単なる殺したがりの狂人を追いかけたり。

 疲労がたまって、とうとう我らがボスはこんなことを言い始めたのだ。


「おい、分かる。分かるぞ、付き合いは長いんだ。お前が私の言った事を毛ほども信じていない事は分かる」

「さっきの説明聞いて納得して殺しに行ったら、それはそれで嫌だろ」

「あぁ……! あぁ、それは全くその通りだ」

 待て待てと両手でノイズを制した。


「つい最近、大雨が降ったのは覚えてるな」

「あぁ、殆ど洪水一歩手前だったあれな。組織総出で、地下街のホームレスたちを避難させながら、クスリ売りに来てたヨソの連中とドンパチしたっけか」

「そうだ。その時の事後処理で、スパイたちに街を監視させていると、妙な奴らが街をうろついていることが分かった。誰だと思う?」

 いつの間にかボスは興奮していた。


「クイズ大会は一週間前にやっただろ」

 組織設立の祝賀会を思い返す。事務所も大きくすると、そこでボスが言い、引っ越し予定日と、引っ越し先についても発表したのだったか。


「CIAだ。アイツらが街に入り込んで、こそこそ嗅ぎまわってたんだ。最初は、クスリの件かと思ったが、そうじゃなかった」

「このジャックってやつを調べてたと」

「そうだ。私も気になってスパイに調べるよう命じた。そうすると、だ。CIAの連中が大真面目に、ジャックと天気の相関関係についてデータを熱心に取ってる事を掴んだんだ」

「それだけでか」

「無論、データだけでなく、実際に連動している所も確認できた」


 自分の涙と天気が連動する男。

 そんな超能力みたいなものが――。


「ノイズ」

 ボスがそこで一息つき、冷静さを取り戻し、子供に言って聞かせるような声色で言った。


「彼も、お前と同じアノマリーってやつなのかもしれない」


◆◆◆


 世の中には不思議な力がある。


 手から炎を出したり、体を液状にして変形したり。

 ノイズはそうした力を少しだけ持っていて、それは『わずかな電気を操る』という能力だった。彼女の近くに居るとラジオにノイズが入るから、という理由で彼女はノイズと自分を名付けていた。

 ボスからはもっと女の子らしい明るく可愛い名前にしようと言われたが、これが自分なのだというと優しく、分かった、と一言言って引き下がった。


 自分に両親がいないのも、この力のせいだろうか。

 時折そんなことを考えることがあった。

 別に悲しいわけではない。自分にとっての家族とは、組織の皆だ。別に今更血のつながった、両親が欲しいという事はない。

 ただ、事実としてなぜ自分は一人だったのかを知りたいだけだった。


 とある会社のロビーでノイズは一人、ふかふかのソファに座っていた。

 長く伸びた銀色の髪は、後ろで一つにくくり、黒いスーツに身を包んでいた。

 ボスからの指令からは、結局殺しについて一旦保留となった。

 というのも、ノイズ自身がジャックの能力を見ていない事と、ボスが懸念する事案については、他に解決案があるのではと思ったからだ。


「やぁ、初めまして」

 誰かに横から覗き込まれて、そう言われる。

「ジャック・ノイシアです」

 それは資料の上で何度も見た、ターゲットだった。


 まずはジャックに接近することとなった。

 もちろん、そのまま会うわけにはいかない。今回は、ジャックが務める出版業界に興味があり、数日間、彼の元でインターン生として働かせてもらう、というのが表向きの筋書きだった。

 どこかの大学から出たことになっている資料を見ながら、適当に話をする。


「キャロルさんは、絵本は好きかな?」

 対面に座るジャックが、穏やかな笑みを浮かべながら聞いてきた。

 今はキャロルと名を変えたノイズは、「えぇはい」と返事をした。


「それは良かった。実は僕の最近の仕事は絵本関係でね。――私事なんだけど、もうすぐ娘が結婚するんだ」

「それはおめでとうございます」

「あぁ、ありがとう。それでね、まぁ、いつかは孫も生まれるだろうから、そういう日のために絵本関係の仕事を増やしておこうと思ってね。

 何というか、これから生まれるであろう、小さな子供たちのために何か出来ないかって、思っちゃったんだ」

 照れ臭そうにジャックが言う。


「ご立派です」

 作られた笑みを浮かべて、ノイズは頷いた。


◆◆◆


「CIAは最後に、この街でジャックを使って実験をする気らしい」

 資料を受け取った日、ノイズはボスから、さらなる情報を聞かされていた。


「威力テストだ。奴らはジャックの能力が、最大でどれほどの威力となるかを図るらしい。この街を実験場にして」

「具体的には?」

「降水量はジャックの流す涙の量で決まる。玉ねぎを切っていて、ぽろぽろ零す程度なら小雨レベル、といった感じだ」

「ってことは、ジャックをめちゃくちゃ泣かせる、ってことか?」

「あぁ。だが彼を誘拐して拷問したりとかそういうわけではないらしい」

「じゃあ、何だよ」


「彼の娘だが、1カ月後に結婚するらしいんだが――つまりこれだ」


◆◆◆


 一人娘の結婚式であれば、今までの比ではないほど泣くと考えても相違ないだろう。

 CIAなど関係なくとも、ジャックの力が本物であれば、すでに街は危険な状態だったというわけだ。

 ちなみに以前の洪水一歩手前の大雨の時は、娘からプロポーズの話を聞いて泣いたのが原因らしい。

 リハーサルでこれなのだ。本番になれば、どれほどの大惨事になるのか想像に難くない。


 幸いにもノイズはジャックに気に入られ、怪しまれることもなく、彼の傍で、彼の能力について観察できた。

 どうやら、彼の能力は雨以外にも、くしゃみをすれば風が吹き、欠伸をすれば少し気温が上がる、といった具合に、他の所作でも影響は出ているようだった。

 ただし、それは彼が起きている時のみ、影響するという事だった。

 寝ている最中は、いびきをかこうが、涙を流そうが、影響はどこにも出ない、という事である。

 ここが今回大事な所だった。



「妻の得意料理はパエリアでね」


 その日、ノイズはジャックの自宅に招かれていた。彼の元で黙々と仕事をこなし続けたノイズは、とうとう夕食に呼ばれるほどの信頼関係を築いていたのだ。

 四人掛けのテーブルには、ジャックとノイズが向かい合うように座り、彼の横には彼の妻が、そしてノイズの横には、彼の娘――リサが座っていた。


「とてもおいしいです。一人暮らしなので、自分も家で作ることもありますが、こう上手くは……」

「まぁ! ノイズさんって、わたしよりも若いのに一人暮らしをされてるんですか? どうりで凄いしっかりされているのですね」


 隣に座るリサが、目を輝かせながら言う。

 ノイズからしたリサの第一印象は、絵にかいたような箱入り娘だった。全体的に動作がとろくて、男慣れしていないようで、付き合った男は、今度式を挙げる男一人だけらしい。

 そのうち怪しい呪い品なんかを信じて買うのではと心配になるほど、とにかくリサは純朴で世間知らずだった。


「いえいえ、リサさんのほうがしっかりしてますよ」

 ノイズは心にもないことを口にして、そのままパエリアを口に運んだ。


 夕食後のコーヒーも堪能してから、ノイズはジャックたちに見送られて彼の家を出た。

 食事中の話題は、ノイズの仕事ぶりに関すること、そして結婚式の事ばかりだった。携帯でリサが婚約している男の写真とのツーショットを見せてくれた。

 彼女にお似合いの、いかにも優しそうな男性がそこに写っていた。


 時間は夜の十時過ぎ。女性一人では危ないとジャックが送ろうとしてくれたが、それは丁寧に断った。


 繁華街の大通りを一人歩く。

 家に帰る途中らしき、家族連れやら恋人たちとすれ違う。自分にもこうした未来があったのだろうかと。そんな甘い考えが頭をよぎったが――。


「で、ずっとつけて来てるアンタは誰なんだ」

 しかし、背後にただならぬ気配を感じて、ノイズは冷たい声を出した。


「お見通しってわけか。さすがだな、殺し屋」

 振り返るとそこには、黒のスーツにサングラスをかけた、いかにもな男が立っていた。


「CIAか」

「話が早くて助かる。俺はコリンズ。お前はこの街のギャングの殺し屋だな。ニックネームはノイズ」

「本名のつもりだよ。――それで、あたしに何の用だ」

「それはこちらのセリフだ。彼に何の用だ」


 ノイズは答えない。代わりに頭の中で考えを巡らせる。この男をどうするか、だ。

 本当の目的を言えば、武力行使に出る可能性もある。そうなると、不利なのはこちらだ。

 さて――。


「あ?」


 そこでノイズの思考は途切れていた。


 何故なら視界の端に、見覚えのある人物が女性と二人で歩いていたからだ。

 親しい仲なのか、男の方は女性の腰に手を回している。別に、そんなのはどうでも良かったのだが、その男が問題だった。


 そいつはリサと結婚する予定の男だったからだ。


「なんだ、何を見ている」

 コリンズもノイズの視線の先を見て唖然とする。


「お互い、優先すべき仕事ができたんじゃないか」

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