彼の周波数

 突然だが。

 20XX年。人類は超能力を手に入れた。


 ――まぁ、物を持ち上げたり、手から炎を出したりとか、そんなじゃない。

 いわゆるテレパシー能力だった。


 どこの誰が最初の人間かは分からないが、とにかくその人は、赤の他人の声がうるさくて仕方なかったらしい。

 自分と親しい人物の声だけを聴きたいと願ったその人が、それを強く念じた結果、その通りになったのだそうだ。


 友人、両親、恋人。

 それらの声しか聞こえなくなったのだ。しかも、自分の声も、先の人物にしか聞こえなくなっていた。

 この能力は『チャンネル』と呼ばれるようになり、やがて全ての人々がこの力を扱えるようになった。


 人にはそれぞれ固有の『周波数』があり、その周波数を念じることで、その人とだけ会話が出来るようになる。

 会話できるようになるというだけで、別に漫画みたいに離れていても声が届く、とかいう類のものじゃない。あくまで普通に喋っていて、聞こえる範囲で、という感じ。

 

 ――とまぁ、この何とも地味な特殊能力は、そのまま地味に日常生活を少しずつ変えていった。

 人々は機密性が高いこの会話法を気に入って、皆チャンネルを使って喋るようになった。

 授業もチャンネルを使えば、別に同じ教室で複数の授業をしていても問題ないため、体育館とかのデカい空間に、生徒を全部押し込んで、全科目を一斉にクラスごとに授業をし始めることになった。


 結婚式も指輪と別に、生まれた時に病院でもらう自分の周波数が書かれたドックタグを送りあう儀式が追加された。

 名刺交換の時に、お互いのチャンネルを交換するビジネスマナーも追加された。

 また、勝手に相手とチャンネルを合わせるのもマナー違反だと、それも追加された。

(ちなみにだが。初めての相手とチャンネル合わせをすると、少しだけ鼻の奥がツーンとするのだが、それで相手が勝手に自分とチャンネルを合わせていないかが分かる)


 で、だ。


 チャンネルが生み出した、デカい習慣がまたさらに別にある。

 学校生活における、クラスメイト同士のチャンネルの交換だ。


 あたしこと――朝霧ヒヨは、大教室で自分の席に突っ伏して眠ったフリをしていた。

 同性の間のチャンネル交換は速攻で行われる。それをやらんと、学校生活が大分しんどいからだ。


 問題は――異性。あたしの場合は、男子。


「ヒヨ、どうしたの?」

 ツンツンと頭を突かれて、あたしは面を上げる。

 目の前には、黒髪ロングで色白の儚い系の美少女が、あたしのほうを向いて座っていた。彼女の名前は園部サヤ。中学からの友達だ。


「――いや、ちょっと作戦会議を、ね」

 そして、視線を教室の隅に向ける。


 そこには男子数人と何かを喋っている、渡里ジンの姿があった。

 運動部らしく、体には程よく筋肉がついていて、でもそれでいて、雰囲気は全体的爽やかで。顔つきは少しだけ幼げで。


 ――と、あたしは彼については、そんな表面上の事しか知らないのだ。

 何故なら、あたしは彼の周波数を知らない。

 今こうして、男子と喋ってる内容も、何をしゃべっているのか、さっぱり分からない。彼の好物は何で、何部に入っていて、どこに住んでいるのかも、

 なーーーんにも分からないのだ。

 そして、非常にマズイことに、あたしはその何も知らない彼の事を好きになってしまっていたのだ。


「そらもう、本人から聞くしかないだろ」

 放課後、大教室の一区画の掃除当番だった、あたしが、サヤともう一人の中学からの友人(サヤと違って腐れ縁の)天音キリに、ジンのことを言うと、キリがため息交じりにそう言ったのだった。

 この腹の立つ頭のいい眼鏡は、いつもいつもあたしが一番嫌な答えを持ってくるのだ。そういうヤツなのだ。


「それが出来たら苦労してないっての」

「なら、そうせざる負えない状況に持ち込むのはどうかな?」とサヤ。

 可愛い顔で言っているが、その内容はどことなくおっかない。

「――でも、どうやってよ……?」


◆◆◆


「うそでしょ」


 その日は珍しく大教室ではなかった。

 というのも、物理の実験を行うので、専用の教室で行うからだった。


 一クラス分だけが収容可能なその教室で、今日は何班かに分かれて、実験をすることになっていた。

 そこであたしは、ジンと同じ班になっていた。

 なっていたというのは、後になって気づいたことだが、サヤとキリが何をどうやったかは分からないが、あたし、サヤ、キリ、ジンの四人で一班になるよう根回しをしたらしい。


 ――らしい、というのは、当の二人が揃いも揃って、今日に限って病欠しているからだ。

(いや、明らかに仮病でしょ、今日の奴は)


 ちゃんと今日も来てくれてたら、百点満点だったぞ二人とも、と心の中で叫びつつ、あたしは机の上に置かれた機材を確認していく。

 黒板に書かれた教師のチャンネルに周波数を合わせる。

 すべきことは分かるが、いかんせん二人だと少し手間だ。それに、あたしはジンの周波数を知らないから、しゃべることも出来ない。


 確かに。

 そうせざる負えない状況にはなっているわけか。


 ここには居ない二人の策士通りに事が運んでいるのは癪だが、事実としてそうなっているのだ。ここは乗るしかないだろう。

 あたしはジンの方を向いて、トントンと、喉を軽く叩いてから、胸に下げているドッグタグを少しだけ見せる。これは周波数を合わせましょうの合図だ。


 この流れなら自然なはずだ。何も疑われないはず。

 早鐘を打つ心臓をどうにか抑え込みながら、精いっぱいの自然体な笑みを浮かべてながらあたしが、そう投げかけると。


 ジンはやんわりと優しく笑っただけだった。


◆◆◆


「何でさ!!」


 翌日、大教室の自席にて。

 サヤとキリを前にして、あたしは大声で吠えた。

 ちなみにチャンネルを使って会話しているので、この大声は、二人にしか聞こえないので、周囲の迷惑にはなっていない。(周囲には二人を含んでいない)


「お前、何かやらかしたんじゃないのか」

 耳を少しだけ抑えながらキリが言う。

「普通、その流れなら、よほどの事が無い限り、周波数の交換は出来るだろ」

「そうだよね……。何か、覚えはない? ヒヨ?」

 キリはともかく、大人しくて優しくて可愛いサヤにまで、そのように心配されると中々来るものがあるので止めてほしい。

 本当にあたしがやらかしたみたいだ。

「何にもしてないって……」

 そう言い切ってから。


「――――――多分」

 と最後に心の弱さがポロリと口からはみ出た。


「いや、ちょっと何か思い当たる節あんのかよ」

「あるけど……でも、それだと思いたくないっていうか……」


 はぁ、とため息をついて、また机に突っ伏す。

 彼はどんな声で喋り、どんな風に話すのだろうか。

 あたしの目には、その様は映るが、大切な中身はさっぱり分からないのだ。

 それを知りたいのだ。


「っていうか、お前、何で渡里の事が好きになったんだよ」

「ちょッ! ななななな、何言ってんのよ! 別にあたしは、渡里君のことが好きだなんて」

 慌てふためく、あたしを前に、キリは怪奇現象でも見たような、驚きと困惑に満ちた顔をしていた。


「お前……! この流れでお前が、あいつの事を好きじゃない展開なんてあると思ってんのかよ……⁉」

「――そういうのは、分かってても言わないんだよ」

 め、とキリの頭をぺしとサヤが叩く。


「いやいやいや、本当に、あたしってば、渡里君にね! お礼をね! 言いたいだけだから!」

「お礼?」


「そう! お礼! 昔体育の時間に、熱中症で倒れちゃって。助けを呼ぼうにも、チャンネルも合わせらんなくて……。そん時に、渡里君に助けてもらったの! そんだけ! そんだけだから!!」


◆◆◆


 実際、お礼が言いたいのは本当で。

 サヤはあたしのバカみたいな言い訳で納得してくれた。

 しばらくは、チャンスを狙ってみたけど、結局それらしいものは訪れず。

 あたしが一番嫌いな恒例行事がやって来てしまった。


 冬のマラソン大会だ。


 なぜこんなクソ寒い季節に外に出なければならないのか。

 なぜこんなにも走らなければならないのか。

 どうしてこんなしんどい思いをしなければならないのか。

 

 あたしは憂鬱な気分でスタートラインに立った。

 合図が出されて、気だるげに走り出す。コースは河川敷をずっと走って、何かどっかの石碑の前でUターンして帰ってくるものだ。嫌すぎてコースもうろ覚えである。


 冷たい冬の風が、あたしの頬を撫でていく。

 右手に見える川の水は冷たそうで、入ったら死ぬんだろうなとか思う。

 左手に見える葉のない痩せこけた樹々たちは、彼らもまた寒そうだなと感じる。

 気づけば一人になっていて、あたしはあたしの吐息しか聞こえなくなっていた。

 まぁ、こうして走るのも悪くないか、と思うようになっていた。

 今この瞬間だけは、彼の事を忘れられているような気がするのだ。


 はずだった。

 ぐきりと嫌な音がして、あたしはそのまま前に倒れ込んだ。


「いっつつ……」

 誰に言うわけでもなく、あたしはそう漏らしながら、足首を見る。

 まさにしっかり、足首をくじいていたのだ。


 立つことも出来ず、何とか片足でジャンプして端に行こうとして、また転びかけて――。

 腕を誰かに捕まれた。

 はっとして振り返ると、そこにいたのはジンだった。


“大丈夫か?”

 そう言った風に、彼の口が動いたような気がした。

 あたしは何も言い返せなくて、ただ困ったように笑ってしまった。

 そして、足首を指さして、指でバツ印を作った。


 彼はそこで、目を伏せてから、自分のドッグタグをあたしに見せた。

 それと同時に彼の口が


“すまない”

 と動いたような気がした。


◆◆◆


 あたしはジンに負ぶわれていた。

 あれだけ知りたかった、彼の周波数をついに知ることが出来た。

 その事実にただただ驚きつつ、そしてはっとした。

 自分の周波数を教えていないのだ。

 これでは彼にあたしの声は聞こえない。


「あ、ちょっと待って」

 負ぶわれたまま、あたしが背中で言う。

 いや、この声も届かないんだっけか、と苦笑すると――。

 彼が歩き出さず、自分を待ってくれている事に気づいた。


「あれ?」

 何だか間抜けな声が出た。

 もしかすると、これは――?

「もしかして、あたしの声、聞こえてる?」

「――うん」

 ジンが頷いた。

「ずっと前に、朝霧が倒れた時も、倒れたまま何か言ってたから、それを聞き取りたくて、実は、勝手に朝霧のドックタグ……見ちゃって……」

「――ちょっと待って」

 いや本当に、ちょっと待って。

「ってことは、あたしの声、ってずっと、聞こえてたってこと……?」

「ごめん」


「――――ぁ」

 叫びかけたが、どうにかこらえた。

 周囲(ジン)の迷惑になるからだ。


「じゃ、じゃあ、何であたしと周波数の交換してくれなかったの!」

「い、いやぁ、男子が勝手に女子の周波数見たとか、アウトかと思って……。ほら、初めてじゃないってバレたら……」


「そ――」

 ――あ、うん。それは、多分、一般的には結構マズイ話だ。


「でも、別にあたしを助けるためだったんだし……」

「あとさ」

 ジンが照れ臭そうにつぶやく。


「俺の話し方、こっちやったら変やと思うし」

「あ」

 そこであたしは初めて彼の話し方に気づいたのだ。

「関西弁」

「っぽい何か、やな。親父、東京の人間でオカン関西で、俺は何でか中途半端な、エセ関西弁みたいなんになってもうて。――昔はそれで、色々言われたこともあって、ほんまに仲のいい奴にしか、周波数教えてへんねん」

「へぇ……」

 初めて聞く彼の声は、恥ずかしそうなソレだった。

 思っていたものとは違ったけれど、それでもあたしにとっては、ずっとずっと聞きたかったものだったのだ。


「っていうか、お礼とか別に良かったのに」

「へ?」

「俺に、あん時のお礼、言いたかってんやろ?」

 

 けろりと、ジンは真顔でこちらを横目で見ながらそう言っていた。

 どうやら彼は、かなり天然のようで。

 あの大教室でのあたしの馬鹿な言い訳を、心の底から信じてくれていたようだ。


 これには思わず、言い訳をしたあたし自身も深いため息をついてしまう。

 下でジンが「え? え?」と混乱していた。


「お礼以外にも言いたいことがあったの」

「何? 俺、何かしたっけ……?」

「ううん、あのね」


 あたしは口を開いて、彼に言葉を伝えた。

 それは二人だけが聞くことが出来る音。


 寒空の下、小さな告白の言の葉が鳴っていた。

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