及川チトセは人間か

 アンドロイドの一斉リコールが始まった。


 曰く、アメリカのどっかでアンドロイドたちの一斉暴走があったのだそうだ。

 命令のためならば手段を選ばなくなり、結果として人間に被害が出るようになったのだとか。


 とかく、そうした事件は海を越えて、ここ日本にまで飛んできて、アンドロイドの一斉リコールが起こったのだった。

 リコールに出したアンドロイドは、基本的にはメモリーを全て消されるのだそうだ。

(詳しくは分からないが、感情プログラムの修正を行うから、記憶を消さないといけないらしい)


 記憶の削除は、人間にしてみれば人格の死みたいなもんだ。

 当然、批判は強かったが、日本でも大規模な暴走事件が起こると、それも止む無しとなった。


 あぁ、そうそう。

 俺こと――百済リョウ(クダラ リョウ)は一般的な男子高校生。

 もちろん人間だ。


 今は学校の昼休み。

 イヤホンで周囲の喧騒を遮断しながら、自分の机でだらだらとスマホをいじっている。

 スマホの画面には、先のアンドロイドの記事が表示されている。

 

 どっかの漫画であったみたいな、アンドロイド狩りなんてのが、今起こってるみたいで、やっぱりリコールに出したくないって言うユーザーから、無理やりアンドロイドを引きはがしてる連中とかが居るらしい、とか。

 自我を持ったアンドロイドが逃亡を図って、人間に擬態して紛れ込んでる、とか。


 なぜ、俺がそんな記事を読んでいるのか。

 それは――。


「リョウスケくん、何見てるの?」


 隣の席の女子――及川チトセに声をかけられた。

 短い黒髪は、先端が少し内側にはねていて、肌は白く、瞳は愛らしいほどに大きく、あとスタイルもめちゃくちゃ良かった。


 誰にでも愛想がよく、笑顔は明るく、それでいて少しだけ抜けていて。

 実家は金持ちであるものの、それ特有のいやらしさはなく。

 チトセはクラス全員が認める、マドンナだった。

 そして、俺の小学生からの幼馴染であり――


 俺の記憶が正しければ、彼女はアンドロイドだ。


◆◆◆


 あれは俺が幼稚園の頃。

 彼女は俺の目の前でトラックに轢かれた。


 別になんてことはない。彼女が横断歩道を渡ろうとしたら、車がそこに突っ込んできただけだ。

 あの信号が赤だったか青だったかは覚えていない。

 ただ、急停止したトラックの下から彼女の血が流れてきて、ありえない場所から、手と足と――チトセの色のない瞳が見えていた事だけは覚えている。


 葬式は無かった。

 代わりにチトセは小学校の入学式で俺の前に現れた。それも五体満足で。

 記憶は消し飛んだのか、彼女は俺の事はうろ覚えで、いろんなことをもう一度やり直すことになった。


 事実だけをつなぎ合わせれば、チトセはあの事故で奇跡的に助かり、こうして自分の前に現れた、という事になるだろう。

 けれど、当時日本では故人を偲んで、その人そっくりのアンドロイドをオーダーメイドで購入する、という事案がいくつかあった。

 どれも金持ちが自分の妻や夫、そして子供を模して作ったものだったそうだ。

 中には死んだことを周囲に隠して、そのまま生活を続けていた家庭もあったらしい。


 そうした話をニュースで聞いて、俺はチトセを疑わずにはいられなかった。

 あの時見た彼女の瞳は、明らかに死の色をしていたのだから。


◆◆◆


「リョウスケくん、最近悩みとかあるの?」


 帰り道。

 もうすっかり二人で変えるのが当たり前になっていた。

 茜色の空をぼんやりと見つめながら、俺はチトセと一緒にトボトボと歩いていた。

 さすがにお前の事だよ、とは言いづらい。


「――もしかして、わたしの、こと……?」


 とか思っていると、唐突に重めのトーンでそんなことを言われ、ハッとしてチトセのほうを向くと、彼女の鋭い人差し指が、俺の頬にぶっ刺さった。


 ――やりやがった、この女。


「にひひひ! ほらー、スマイル、スマイル~」


 ぐりぐりと頬を指で押される。

 それでは笑顔が作れんだろうと俺が吠えて、彼女が逃げて。

 馬鹿な事をしながら、その日もいつも通り、家に帰った。


 リコールのニュースを見て以来、あまり食事が喉を通っていない。

 自室のベッドに寝転がりながら、天井を見上げる。


◆◆◆


 チトセと出会ったのは幼稚園の頃だったか。

 俺が公園デビューした時からの付き合いだ。

 家の近くの砂場と滑り台とブランコがある、オーソドックスな公園。

 今は事故かなんかで殆ど使えなくなってるだろうか。


 ともかく、俺と彼女はそこで出会った。

 公園に来たと言うのに俺はどうしていいか分からず、とにかく一人で穴を掘っていると、チトセが声をかけて来た。

 で、一緒に遊んでくれた。


 その日はものすごく晴れていて、声をかけてきた彼女はその陽を背にしていて、差し込んだ光の中から、自分を迎えに来た救世主みたいだった――は、言い過ぎかもしれないが。


 今もそうだが、俺は人付き合いがあまり得意ではない。

 だから、遊ぶのもチトセとばかりだった。

 彼女はそんな俺を特に嫌ってくれることもなく、いつも一緒に遊んでくれた。


 遊びには彼女の方から誘ってくれた。

 俺の家は一軒家で、俺の部屋は一階の庭側にあった。だから、彼女はこっそりと庭に忍び込んで、俺の家の窓をコンコンと叩くのだ。

 それが『遊ぼう』の合図だった。


 近くの森に冒険しに行ったり、背伸びして隣町に行ってみたり。

 いつも遊んでくれる彼女に、俺は何か返したくて、たまたま見つけた『綺麗な石』を渡したりもしたか。

 今思うと、あまりに子供っぽかったか。


◆◆◆


 翌日。

 学校が終わって、教室の掃除をして、それが全部終わって気が付くと、教室は俺とチトセの二人だけだった。

 恥ずかしい話だが、学校じゃ、俺とチトセが幼馴染なのは周知の事実だった。

 もしかすると、気を使われたんじゃないかとも思ったが、そうだと余計に恥ずかしいので、何とかその考えを頭から締め出した。


「あのさ」

 箒を用具入れにしまい込んでいると、背中からチトセに声をかけられた。

「――やっぱり、リョウスケくん、何か悩んでる、よね」


「……進路とかだよ」

 言う前に間があったから、自分でも『あぁ、これ嘘だってバレたな』って思った。


「昨日はさ、ふざけちゃったけど、あたしのことじゃない、よね」

 振り返ると、チトセが泣きそうな顔をして立っていた。


「あ、あたしさ……。ロボット、じゃないよね?」


 心臓が止まりそうになった。

 俺は静かに彼女の次の言葉を待った。いや、あるのか、次の言葉。


「あたしの仕草とか、何か、違和感ある、とか、思ってたりしてる?」

「どういうことだよ」


 俺の声は震えていた。

 聞きたくないものを聞かされようとしているのかもしれない。

 けれど、どうしてもハッキリさせておきたかった。


「あたし……。昔、脳が病気でね。殆ど死んでたんだ。

 だからそこに機械を埋め込んで治療したんだって。なんていうか、記憶と人格形成の補助? みたいな感じで。

 しばらくは埋め込んだままで、脳が良くなってきたら、安定してきたら取りましょうって。

 

 ――それで、その……一週間くらい前に、それ、取ったんだけど……。あたし、大丈夫、かな……?」



 そう言って自信なさげに笑うチトセは、彼女と出会って初めて見るような顔をしていた。

 俺の体から急速に力が抜けていった。

 その場にへたり込みそうになって、チトセに抱きとめられる。


「ごごご、ごめんね! いきなりこんな重い話しちゃって……! 

 でも、こんなのリョウスケ君にしか言えなくて、っていうか一人で抱え込んでられなくて……!」


 非常に申し訳ないのだが、俺の頭はチトセの胸にすっぽりと収まっていて、あぁでもだから、その向こうにある彼女の心臓がバクバクなっているのが聞こえてきて、俺はどうしようもなく、その音に安堵できたのだ。


◆◆◆


 夜。

 俺はまた自分の部屋で、ベッドに寝転がって天井を眺めていた。


 チトセはアンドロイドじゃなかった。

 その事実が、ずっと俺を安心させ続けてくれていた。


 結局は、彼女は奇跡に助かった、という話だったのだ。

 いや、そりゃそうだ。アンドロイドとすり替えていたんなら、どっかでバレた話だろう。

 今更ながらに、自分の妄想が割と愚かであったことに気づく。

 何だか笑ってしまいそうになって――


 こんこん、と窓を叩かれた。


 あ、と。

 懐かしい合図に俺はベッドから飛び起きた。

 窓の向こうを見るが、チトセの姿はそこにはない。代わりに小さい影が、家の前を横切るのが見えた。


 追いかけよう。


 問題が解決した俺は、何というかすっかり身軽になってしまっていて。

 家から飛び出して、その影が去った方に向かった。


 少し走ると、その影が待っていたように、またどこかに走っていって。俺がそれを追いかける。

 そんな追いかけっこをしていて辿り着いたのは、チトセと初めて出会った公園だった。


 そして、その影の主が、今は自分に背を向けて公園の真ん中で立っていた。


 それは、黒いワンピースを着た女の子だった。

 俺はチトセではない事に驚きながらも、その後ろ姿にどこか既視感を覚えていた。


「最期にさ、会っときたかったんだ」


 女の子が振り向いた。

 首には包帯が巻かれていて、よく見れば手足も型違いのパーツで素人仕事に修繕されたものだった。

 

 その顔には見覚えがあった。

 少女は、チトセだった。


「……ぁ」

 口から情けない声が出る。


 学校でチトセは、小さい頃は脳の病気で死んだようだった、と言った。では、いつから動き回れるようになったのか。


「ただの学習装置に過ぎないあたしを、あの家の人はこうして何とか修繕して、こっそりおいてくれて」

 チトセが俺に歩み寄る。手を取られて、何かを渡される。


「でも、もう迷惑はかけられない。だから、最期。最期に、リョウくんにだけ会ってから消えようって」

 ほら、とチトセが人差し指で俺の頬をつく。背が小さいから彼女は背伸びをする。


「スマイル、スマイル~。にひひひ」

 俺の胸は、もうどうしようもなく痛くなっていて、彼女を抱きしめようとしたけれど、そこでチトセはするりと俺から離れた。


「それじゃあ……」

 チトセはそこで言葉を少し詰まらせて、

「さようなら」

 

 そう言い残して夜の闇に消えていった。

 右手に渡されたものを見る。


 なんてことはない、ただの『綺麗な石』だった。

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