A氏のクレーム

 A氏は怒っていた。原因は政府が発表した新法案についてだった。


 聞けば、我が国は今後いかなる戦闘行為も行わないと、宣言しているではないか。

 不要な軍事力を捨てることで、こちらに戦争の意思がないことを示し、平和を築こうとのたまうのである。


 そんなものは夢物語だ、とA氏は思った。


 もし他国が侵略してきたら、一体どうするつもりなのだろうか。

 平和だなんだと言っていた連中は、そうなった時に責任を取ってくれるのだろうか。


 だからA氏はすぐさま、この法案に対する自分の意見を公表しようと思っていた。

 A氏はそこそこ名の知れたタレントであった。自分の今の立場が、この狂った法案を止めるのに役立てねば。


「それでワタクシを呼んだのですね」

 作成した文章を、A氏は事務所で自分の秘書に見せていた。


「文章として誤字脱字が無いか確認してほしい」


「拝見します」

 プリントアウトした文章に秘書が目を通す。

「誤字脱字はございません。ですが、表現が不適切な部分がございます」


「どこだ」

「まずは『この軟弱法案に対して』という部分ですが、このような言い方ですと、偏った政治思想を持っていると誤解されます」

「なるほど、確かにそうだな。感情的になりすぎたか」


「続いて『我が国を長年守り続けてきた方々を無職にするつもりなのか』という文章ですが、こちらは無職の方からクレームが来る可能性がありますので、表現を変更する必要がございます」


「ふむ……」


「さらに『他国からの侵略を受けた場合』という表現ですが、これだと他国の方からのクレームが来ます。

 こちらは追加説明を求められた場合も考慮し、全文削除がよろしいかと。

 また与党への批判と取られるような文章も、与党支持者からクレームが来るので、変更が必要です」


「それでは、内容が変わってしまう。そんな文章なら、私は公開しない!」


「それはいけません。

 こういった政治的大局で反応しておかなければ、政治に関心の無いタレントとして、クレームが来ます。

 自分の意見を、他人を傷つけないように発信しなければなりません。たとえ中身が無くても」


「クレームばかりだな……。大体、中身が無いというクレームは来ないのか」


「もう来ません。

 A様を侮辱するような発言をした方には、当事務所とA様のファンの方からクレームを送っているので」

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