N氏の日記

ガイシユウ

人形屋敷の愛

 

 ワタシは人形だが、自我があった。


 いつからあったのかは覚えていない。

 ただ気づけば、ワタシには心があり、目の前で何が起こっているのか理解できるようになっていた。


 一番古い記憶はどこかの市場だった。

 そこでワタシは競りにかけられた。

 案内の男が、ワタシの事を「等身大の少女人形」と言っていた。


 競りでは裕福そうな女性がワタシを買っていった。


 彼女はワタシを、誰もいない部屋に飾った。

 勉強机にベッドと、可愛らしいぬいぐるみ。


 自分はそのベッドの上に優しく置かれた。

 女性はワタシの頬を撫でながら、誰かの名前を呟いた。

 

 その声は震えていて、あぁ、だからこそ、自分はその少女の――彼女の娘の代わりなのだと分かった。

 その家ではそれきり。


 何年か経って、ワタシはまた売りに出された。売りに出された時、彼女に一言ごめんなさいと謝られた。


 きっと気の迷いだったのだろう。

 死んだ娘と同じ年頃の人形を買っても、それは何の慰めにもならなかったのだ。


 そうしてワタシはまた店に戻った。


◆◆◆


 人形を扱う専門店。一応、ワタシは物珍しかったおかげか看板商品になっていた。劣化しないように細心の注意は払われながらも、店の窓際の良く日の当たる場所で、椅子に座ったまま展示されていた。


 窓際に置かれた丸テーブルで本を読んでいる。そういう設定らしかった。

 たまに吹く風が、ワタシの髪の毛をさらさらと撫でていく。

 絵にはなっていたのか、画家志望の学生に絵を描かれたり、一時は人間だとも勘違いされていた。


 しかし、前のように買い手がつくことは、とんとなく。

 ワタシはただ時の流れに身を任せて、そこにあり続けるだけだった。


 そうした日々を幾年過ごしたか分からぬある日。

 一人の老人が、人形店に入ってきた。身なりの良い老人は、店の中をきょろきょろと見回して、そしてやがてワタシを見つけた。


 その時の彼の目を、ワタシは生涯忘れることは無いだろう。

 驚きと興奮とが入り混じった瞳が、ぐぐっと大きく見開かれたのだ。ワタシを見てそんな反応をした人物は彼が初めてだった。


 老人は店主を呼びつけ、何やら話し込んでから、ワタシの元にやって来た。ワタシの向かいに立ち、ワタシの頬を撫でて、誰かの名前を言った。

 ワタシにはその名前が誰かは分からなかった。


 老人はワタシを買い取った。


 彼もまた金持ちだった。豪邸とまではいかずとも、屋敷はそれなりの大きさだった。だが、それよりも驚いたのは、屋敷の至る所に置かれた人形の数々だった。


 その人形たちに一定の条件は無く、何やら目についた人形を片っ端から、この老人は買っているのではと思ったほどだった。

 ワタシはまた、屋敷のリビングに飾られることになった。


「いつか、キミの部屋も用意するよ」

 店と同じように窓の近くにワタシを飾った老人が言った。


 最初にワタシを買った彼女と老人は違った。とにかく老人はワタシによくしゃべりかけて来た。今度はこれを持ってくるだとか。もうすぐこの窓からは、こんなものが見れるようになるとか。


 また、話しかけるのと同じくらい、ワタシのケアも良くしてくれた。

 おかげでワタシは店に居た時よりも新品のようになっていった。

 それはまるで止まった針が動き出したようだった。


 彼はワタシが退屈しないように、いろいろな事をしゃべってくれた。


 彼は船乗りだった。ある船に彼は乗っていて、そこで新しい島を見つけ、島にしかない特殊な木の実を使った商品で一山当てて、それで今の財を成したのだと。

 その時の冒険譚を彼は面白おかしく喋ってくれた。


 仲の良かった船員。豪快な船長。

 会社を興してからは、そうした仲間たちとのまた新しい日々について。


 彼はワタシに、彼の人生のほとんど喋ってくれたのだと思う。けれど、一つだけ何も喋らない事があった。それは想い人の事だ。


 彼は結婚していないようだった。

 事あるごとに彼は、自分は独り身だからと言っていた。


 けれど、想い人の一人は居そうなものだとワタシは思って――そこで一つ思い至ったのだ。初めて出会った時の彼の表情を。

 彼は――彼の想い人は既に居なくなってしまっていて、彼女はワタシによく似ていたのではないだろうか。


 あぁ、そうだ。

 ワタシはきっと、もういない彼女の代わりなのだ。また。


 でも、と思った。


 それでも、ワタシは彼に応えてあげたいと思った。これほどワタシに尽くしてくれて。たとえその瞳の先に映るのが、ワタシではなかったとしても。

 ワタシの心をこんなに動かしてくれた優しい老人に、何か返してあげたいと思ったのだ。せめて一言、感謝の言葉を伝えるだけでも。


◆◆◆


 ある日の夜。


 おやすみの挨拶を彼が言って、ワタシはベッドに寝かせられた。

 明かりが消され、彼が部屋を出ていく。


「やぁやぁ、呪い付き」

 と、彼ではない誰かの声が部屋の中に響き渡った。


『誰……?』

 当然喋ることが出来ないワタシは、心の中でそう念じるしかない。けれど、その声はワタシのその念に応じるかのように、返事をする。


「ボクは人形の神さ」

『神……? 人形にも神様がいるの?』

「もちろん。人に神が居るように、人形にも神は居るのさ。さて、ボクは今日、キミの願いを叶えに来たんだ」

『願いを? なんでも叶えてくれるの?』

「あぁ。なんでもさ。――人間にしてやってもいいぜ」

 人形の神を名乗るその声は、ワタシの心を読んだかのように、そう言った。


 人間になる。


 彼と同じように人間になれれば、彼の話に相槌も打てるだろう。笑うことも出来るだろう。彼と一緒に、本当の意味で同じ時を過ごすことが出来るだろう。

 それの何と魅力的な事か。


『じゃあ、お願い。ワタシを人間にして……!』

「お安い御用さ。……ただし、物事には差し引きがある。代償は後で払ってもらうぜ?」

 その言葉にワタシは少しひるんだが、それでも彼と喋られることに比べれば、何ともない事だった。


『構わないわ……!』


 そう返事をすると、ワタシの体を何か暖かな光が包み込んだ。

 そして、ふとした拍子に『瞬き』をして、気づいた。


「う……そ……」

 それはワタシの声だった。


 腕が曲がり、足が曲がり、ワタシはベッドから自力で起き上がった。

 頬を自分の手で触れる。やわらかい感触が指先に返ってきた。


 ワタシは、人間になったのだ。


 早く会いたかった。


 ワタシはベッドから降りて、老人の寝室に向かった。

 足はまだ上手く動かないが、それでも引きずるようにして歩いた。部屋の場所は彼が昔案内してくれたから覚えている。


 重い扉を開けて、彼の寝室に入る。

 彼は当然ベッドの上で寝ていた。大きなベッドの上に、彼の細い体があった。


「おじいさん……!」

 レディにしては品が無いが、それでも今すぐに彼にこのことを教えたかった。

 ワタシはベッドの上に上がり込んで、彼の頬にそっと触れた。


「あぁ……。そうか、ようやく……」

 彼の目が開く。

 そこに驚きは無いようだった。彼はこうなることを知っていたかのように、そう呟いて、ワタシの頬を同じように撫でた。


 そこで、ワタシは彼の指が木のように固くなっていることに気づいた。

 それはまるで、人形のようだった。


「お、おじいさん……、これは……」


「よく、聞いておくれ」

 困惑するワタシをよそにおじいさんは淡々としゃべる。


「キミの名前は『エミリア』、ワタシの元の持ち主だ」


「持ち主……? どういうこと?」

「あの人形の神に願ったんだろう? 人にしてほしいと。あれは神なんかじゃない、悪魔だ。代償は他の親しい誰かを人形にする、だ」


「そんな……! そんな、ワタシ、おじいさんと、おしゃべり……!」


 何かが込み上げて来た。

 瞳から涙がこぼれる。熱を帯びたしずくが彼の指に落ちて、木材の指に吸い込まれていく。


「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」

「いいんだ、エミリア。聞いておくれ、私は人形だったんだ。あるべきところに帰るだけだ」

「え……?」


「キミが元の持ち主だと言っただろう。キミは、本当は人間だったんだ。それを――私が人形にしてしまったんだ。あの神を名乗る悪魔に頼んで。キミと語らいたくて。毎日毎日、私にしゃべりかけて、愛でてくれたキミに何かを返したくて」


 老人はぽつぽつと語り始めた。


 自分が元は人形で、持ち主がワタシで。

 ワタシを人形にしてしまった後、彼はワタシの家を逃げ出したこと。


 そしてそこから船乗りになった事。

 船乗りになってからも、ワタシの家――ワタシのその後について調べていた事。


 ワタシの家が、強盗に襲われて火事にあったこと。そのあと、物珍しい人形として市場を転々としていた事。

 ワタシを探すために人形店を巡るうち、同情の念から廃棄される寸前の人形を全て買ってしまったこと。


 ワタシが人間だった頃、彼が人形だった頃の日々の事。

 ワタシが語った絵本の話の事。

 ワタシが気になっている事。将来の夢の事。


 彼は、今まで語ってくれなかった事を語り、ワタシはそれに相槌を打った。


 ベッドの上で話し込んで、気が付けば朝陽が昇っていた。

 そこで、彼はもう何も言わなくなっていた。


 老人の皺くちゃの肌は、木材のソレに置き換わり。関節部分には丸い球体がはまっていた。

 

◆◆◆


 ワタシは屋敷に残り、老人の代わりにそこに住むことにした。


 人形たちの世話をして、老人が言っていた外の世界を見て、そして夜、彼にそれを言って聞かせるのだ。

 この言葉が届いているのかは分からない。


 彼に自我があるのか分からない。

 けれど、ワタシもそうしたいと思ったのだ。


 かつて彼がそうしてくれたように。

 遠き日のワタシが彼にそうしてあげたように。

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