第25話 真の勇者誕生

 今日も今日とて、俺はギルドに向かっていた。

 こうやって毎日出勤するのは悪くない。

 魔王軍にいた頃は、同じ部屋で缶詰なんてしょっちゅうだった。


 朝も夜もないような仕事をしていた頃に比べると、今の生き方は健全だ。

 冒険者の仕事も、四天王の業務よりかは遥かに温いしな。


 人間の街に行くと決めた時は、不安でいっぱいだったが、あの時の決断は間違っていなかったようだ。


「……っと」


 すると、横から急に飛び出してきた少女にぶつかった。

 転けそうになったが、俺は寸前で堪える。


「あっぶねぇ。大丈夫か、嬢ちゃん」


「あ……」


 少女は無事のようだが、持っていた風船を離してしまったらしい。

 風船はまるで少女の手元から逃げるように空へと上っていく。

 それを見て、少女の瞳に涙が浮かんだ。


「わわわわ……。待て待て。今、お兄さんが取ってくるから、泣くな」


「おじさん、ホント?」


 お兄さんって言ったろが……。

 なんで言い変えた?


 おっと……。

 さすがに子どもに凄むわけにはいかないな。


「お、おう。任せろ」


 とぅ!


 俺は天高く跳び上がる。

 前にも言ったが、亜屍族デミリッチは怪力だ。

 身体能力も総合的に高いから、跳躍力もある。

 俺は周辺の建物の屋根を飛び越し、空へと上っていく風船を追いかけた。


 ついに俺の指が風船にかかり、風船をキャッチする。


 その瞬間だった。


『かあ……!!』


 鴉だ。

 俺の目の前を横切り、街の東側へと飛んでいく。

 そのまま建物の中へと消えた。


 俺はそのまま落下し、街の地面に着地する。

 地上で待っていた少女に風船を差し出した。


「ほら……。お兄さんがヽヽヽヽヽ取ってきてあげたぞ」


「ありがとう、おじさんヽヽヽヽ


 ぶれないな、この子。


 そして少女は遅れてやってきた母親と一緒に街中へと消えていく。

 一方、俺は翻って東の空を見つめた。

 そのまま街の東側へと歩き出す。

 先ほどの鴉が街路樹に留まっていた。


 その鴉に導かれるように、俺は人気のない裏路地に入っていく。


 裏路地に怪しげな人物が、3人立っていた。

 フードを目深にかぶり、顔は見えない。

 いや、暗い深淵に近い雰囲気があった。


 先ほどの鴉が中央の人物の肩に降り立つ。

 魔法で作られた鴉は、霧が晴れるように消えてしまった。


「やっぱりお前らか……」


 俺はため息を漏らし、3人を睨むのだった。



 ◆◇◆◇◆



「はっ――――!!」


 シャロンは大きく目を見開いた。

 同時に、背中をバッサリと切られた騎士のように背筋を伸ばす。

 たちまち白い肌に、脂汗が浮かんだ。


「どうしたの、シャロン?」


 シャロンの突然の奇行に、パフィミアは慌てた。

 ちょうど次のクエストについて相談を受けていたカーラも、心配そうに見つめる。

 悲鳴ような叫びを聞いて、周囲にいた冒険者たちも視線を動かした。


 シャロンは胸に手を置いて蹲る。

 荒い息とともに、言葉を吐き出した。


「悪意が……。たくさんの悪意がやって来ます」


「え? それって――」


「もしかして、予言ですか?」


 パフィミアとカーラは互いの顔を見つめた。


 シャロンは『予言の聖女』と呼ばれている。

 その予言の的中率は高く、それによって幾多の危機を救ってきたことは、パフィミアもカーラも伝え聞いていた。

 だが、まさか予言の瞬間を目撃することになるとは思わず、2人は固まる。


「悪意じゃと……」


 ちょうど2階から降りてきたマケンジーが険しい顔を浮かべた。

 慌てた様子のカーラが駆け寄る。


「マケンジー様……。悪意とは一体……」


「それは聖女殿に聞くしかあるまい。だが、おそらく――――」


「魔族……」


 パフィミアは息を呑んだ。

 それは他の冒険者たちも同様であった。


「そんな! ここは単なる田舎町ですよ。主要都市でも、戦略的な要衝というほどの場所ではありません! 何故、魔族が――――」


「そ、それは、わたくしにもわかりません」


 蹲っていたシャロンは、よろよろと立ち上がる。

 パフィミアに支えてもらいながら、シャロンは言葉を続けた。


「ですが、この感覚……。覚えがあります。おそらく魔族で間違いないかと」


「聖女殿、もう少し詳しい事はわからないのですか?」


 マケンジーは質問を重ねる。


「予言はいつも断片的で不確実なことが多いのです。しかし、わたくしに見えたのは――――」



 地を埋め尽くすような魔族の大軍……。



「そんな……」


 カーラは口に手を当てる。

 大きく開いた目から、今にも涙がこぼれそうだった。


「おそらく間違いあるまい」


 別の声がノイヴィルのギルド内を満たした。

 皆の視線が入口に立った甘いマスクの男に注がれる。

 銀級冒険者ミステルタムだった。


 王都では『絶閃のミステルタム』といわれる彼だが、何故かこの時エプロンを着て、焼きたてのパンを小脇に抱えている。


「ミステルタムさん。……何か根拠でも?」


「私の魔力感知が膨大な魔力を捉えた。それで先ほど使い魔を放ったのだが、大量の炎蜥蜴リザードンが、街の西からこちらに向かっている。突然現れたところをみると、おそらく転送魔法だろう」


「まさか――大規模儀式級の転送魔法……。そんな大軍を、何故こんな街に――」


「さすがの私にもわからぬ。だが、魔族の考えることだ。私たち人間には考えもしない理由があるのだろう」


「して――。規模は?」


 マケンジーはやや興奮気味に尋ねた。


「ざっと1万といったところだ」



 1万……っ!



 ギルド内が、一瞬にして凍り付く。

 かつて銀級冒険者であったマケンジーですら、口を開けて固まるほどだった。

 1万の魔族軍――。

 人類の正規軍が対する相手としては、小規模な方だが、田舎町からすれば大軍も大軍だった。


「まずい……。下手をすれば、この街ごと飲み込まれるぞ」


 マケンジーは言葉を絞り出した。


「いかがしましょう、マケンジー様」


「むぅ……。もはや街を捨て、皆で避難するしかあるまい」


 街を捨てる――と聞いても、誰も反論しなかった。

 ノイヴィルに、魔族の軍勢に対抗出来るような軍隊はいない。

 衛兵は少数で、冒険者によって周辺の治安維持が保たれているような状況だ。

 人類と魔族の戦いが激化する中、田舎町に軍隊を派遣できるほど、戦力は余っていないのだろう。


「ミステルタム、魔王軍の到達時間は……」


「1日……いや、半日といったところか」


「わかった。わしが市長と掛け合ってくる。お主らも逃げよ。なんとしても生き残り、再起に――――」


「ボクは逃げないよ!」


 ギルドの中心で勇ましい声を上げたのは、パフィミアだった。

 正気を疑うような発言だったが、彼女の瞳の輝きは一切の揺らいでいない。


「勇者パフィミア様……」


 シャロンはその雄々しい姿を見て、思わず呟いた。


 すると、パフィミアは口角を上げる。

 この絶望的な状況の中で、笑ったのだ。


「そう――ボクは勇者だ! シャロン……『予言の聖女』に選ばれた勇者なんだ。目の前に魔族がいる。目の前に困った人がいる。魔族を駆逐し、人を助けるのがボクに与えられた――いや、シャロンがボクを選んでくれた理由なんだ」


 おお……。


 その神々しき姿。

 頼もしい言葉。

 皆の視線が注がれる。

 真の救世主誕生に、皆が感動し、打ち震えていた。


 すると、ゴンッという重たい音が鳴る

 何事か振り返ると、マケンジーがいつの間にか棍棒を振り上げていた。


「勇者とはいえ、若造にそこまで言われて、わしが退くわけにはいかんじゃろう」


「ま、マケンジー様! 戦うのですか?」


「カーラ、悪いがわしの代わりに市長に報告してくれ」


 マケンジーの目はすでに据わっている。

 パフィミアの言葉に触発されたのか。

 それとも、元から戦うつもりだったのか。

 古い冒険者の顔は、すでに現役のものに戻っていた。


「私も戦おう」


 参戦を表明したのは、ミステルタムだ。


「田舎町で相棒とパン屋をしながらゆっくり過ごそうと思っていたが、街がなくなってもらっては、パン屋どころではない。……それに若い女勇者1人に戦わせるとあっては、『絶閃』の名がすたるというものだ」


 ミステルタムはエプロンを脱ぎ捨てる。


 ギルドマスター、マケンジー。

 『絶閃』の名を持つミステルタム。

 そして、『予言の聖女』に選定されし勇者パフィミア。


 いずれも銀級あるいは銀級の能力のある猛者達ばかりだ。

 その戦力を思いだし、冒険者達は沸き上がった。


「よく考えたら、すげぇなあ」

「ノイヴィルにこんな戦力がいたなんて……」

「もしかして勝てるんじゃね?」

「ああ……。希望が見えてきたぞ」


 おおおおおおおおおお!!


 まだ戦いも始まっていないのに、鬨の声を上げる。

 中にも「おれも戦う」と武器をかざす者も現れた。


 さっきまで絶望に沈んでいた人々の顔に、希望が灯っていく。

 その姿を見て、パフィミアは少し泣いていた。


 シャロンは、そのパフィミアの手を取る。


「ご立派ですわ、パフィミア様」


「勇者としての当然のことを言っているだけだよ。それに師匠なら絶対に逃げないと思うから……」


「ん? そう言えば、カプアはどうした?」


 マケンジーは視線を巡らせる。


「宿にはいませんでしたが、こちらには来ていないのですか?」


 シャロンの質問に、カーラは首を振る。

 ふっと息を吐き出し、腕を組んだのはミステルタムだった。


「ヤツがいれば助かるのだがな……」


「でも、いつまでも師匠に頼ってばかりいられない。これぐらいの危機を乗り越えないと、ボクは一生師匠に追いつけないような気がするんだ」


 そうでしょ、師匠――。


 パフィミアはギルドから見える東の空を望むのであった。

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