第24話 燃え上がれ! 野心の炎!
四天王が集う執務室で作業をしながら、ルヴィアナはチラリと視線を動かした。
先日までそこにあった机が消えている。
その跡が残っているだけだ。
ちなみに追放されたカプソディアではない。
「ブレイゼルの部屋へ行ってくるわ」
「おう……」
ルヴィアナは対面に座るヴォガニスに断りを入れる。
ブレイゼルが部屋を出て行った後、すっかり怠けるようになっていたヴォガニスは、机に足を投げ出し、椅子の背もたれにもたれかかりながら、事務作業をサボっていた。
ふっと溜息を吐き、ルヴィアナは部屋を出て行く。
すぐ隣の部屋の扉をノックした。
「誰だ?」
「ブレイゼル、私よ」
ルヴィアナは少し声を強ばらせる。
緊張した喉を緩めるために、軽く咳払いをした。
「入れ」
ブレイゼルの許可を貰い、ルヴィアナは部屋に入った。
中にいるのは、ブレイゼルただ1人だけだ。
落ち着いた雰囲気の中で、ブレイゼルがペンを走らせる音だけが響いている。
ここはブレイゼル専用の執務室だ。
つい先日まで一緒の執務室で仕事をしていたが、ブレイゼル1人だけが、専用の執務室を与えられた。
経緯はこうだ。
ブレイゼルは魔族を束ねるという軍務以外にも、ある研究を行っている。
それは魔獣の研究だ。
火属性の魔法は、合成魔法と非常に相性がいいと言われている。
そのため、様々な魔獣を掛け合わせ、戦力となる魔獣の開発を昔から続けていた。
そして、その長年の研究がついに魔王様の目に留まることになる。
その褒賞として、ブレイゼルの
「どうした、ルヴィアナ?」
「え? ごめんなさい」
「もしかしてお前も部屋がほしいのか?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど……」
「お前も何か武功以外で、魔族に貢献することをすればいい」
ルヴィアナは部屋を軽く見渡した後、答えた。
「私はいいかな……」
「何故だ?」
「それは……」
ルヴィアナの脳裏に、古い記憶がよぎる。
それは自分たちが2代目四天王として選ばれた直後だ。
初代四天王たちは、今のブレイゼルのようにそれぞれ執務室を持っていた。
だが、2代目になってからは、四天王は同じ部屋で働くようになったのである。
ある四天王の提案で……。
『俺たちが結束しないといけない時に、部屋を別々にして働いてたら、本末転倒じゃねぇか。みんなで一緒の部屋で仕事しようぜ』
『それにお前らとワイワイガヤガヤ言いながら、仕事する方が楽しいだろうし』
その一声で、四天王は同じ部屋で働くことになった。
もっともその四天王が1番執務室の外で働いていたのだが……。
「で? 何用だ、ルヴィアナ?」
「昨日、頼まれてた資料をまとめたわ。目を通してくれる」
ルヴィアナは資料を差し出す。
だが、ブレイゼルは手に取ったのは、資料ではなく、ルヴィアナの白い手であった。
「ちょっと! ブレイゼル?」
「ルヴィアナ、今日こそ一緒にどうだ?」
「いや、今日もちょっと……帰って犬にご飯を上げないと」
「そう言って、毎回断っているだろう。どうにかならないのか? 側付きのものに任せるとか」
「ごめんなさい。最近病気がちで……。体重も減ってて、心配なの」
「ダメだ……。何とかしろ」
「痛い! ブレイゼル、痛いわ」
それでもブレイゼルは手を離さない。
逆にルヴィアナの細い手首を握りしめた。
さらには、そっと顔を近づけてくる。
ややしかめっ面のブレイゼルの顔を見ながら、ルヴィアナは手に魔力を込めた。
「報告します!!!!」
いきなりドアが開く。
魔族の兵士が突然、ブレイゼルの部屋に飛び込んできた。
ブレイゼルの眉間がピクリと動く。
同時に背中から怒りの炎が噴き出した。
兵士もブレイゼルがルヴィアナの手を取っているところを見て、すべてを察したらしい。
すべてを理解した兵士の顔が、青ざめていく。
ブレイゼルが魔法を使おうとした瞬間――――。
「待って!!」
ルヴィアナがピシャリと言い放つ。
同僚を目でも制すと、ルヴィアナは兵士に尋ねた。
「何事かしら?」
ルヴィアナはひどく冷静に尋ねる。
ブレイゼルはチッと舌を打ちした後、手の平にかざした炎を握りつぶした。
兵士はホッとしたのもつかの間、声を張り上げて一大事を告げる。
「ご報告します。……数日前にブレイゼル様の命令で解き放ったヒドラロード改が、何者かに討伐されました!
「な、なんだとっっっ!!!!」
ブレイゼルは絶叫する。
驚きと戸惑いの表情がありありと浮かんだ。
「ヒドラロード改って……」
数年前、ブレイゼルはある村で暴れ回っていたヒドラロードを回収した。
それを自前の研究所に持ち込み、コツコツと改良を加えたのが、ヒドラロード改である。
その基本能力は、従来の3倍以上。
人間たちのランクでいえば、Aランク――いや、Sランクにすら匹敵するような化け物に生まれ変わった。
その性能テストのために、大規模な儀式魔法を使って人間の一地方に転送したのだが、国どころか一地方都市すら壊滅させることなく、討伐されたという話だった。
ブレイゼルは言葉を失った。
当然だ。
ヒドラロード改の強さは、あの魔王すら称賛するものだった。
この執務室も、言わば自分の実力が魔王に認められた証であった。
しかし、肝心の実地試験では惨憺たるものになってしまう。
ギリッ……。
ブレイゼルは強く奥歯を噛む。
眉間に皺を寄せた怒り顔は、死神すら
「一体誰だ!? 誰があのヒドラロード改を討伐したのだ」
「く、詳しい事は調査中です。ただ調査に同行していた研究員の話では、『絶閃のミステルタム』と『不沈のヴェルダナ』の姿があった、と――」
「聞いたことがあるわ。人間側では名の知れた銀級冒険者よ。2人とも伝説級の武器を使う厄介な手練れ……。でも――」
「あり得ない! 銀級ごときが、我のヒドラロード改を倒すなどありえん!」
「は、はい」
兵士は息を呑んだ後、頷いた。
「仰る通りです。ヒドラロード改は2人を追い詰めていました。あと1歩というところで、ヒドラロード改がいきなり崩れ落ちた、と」
「一体どうやって……?」
ルヴィアナが尋ねると、兵士は首を振った。
「不明です。たまたま研究員が少しの間目を離したら、やられていた、と」
「どういうことかしら……。考えられるとしたら、毒だけど……」
「ありえん! あのヒドラロード改には、あらゆる毒耐性を仕込ませておいた。人間の毒如きで死ぬものか!!」
ブレイゼルは机を叩き、激しく取り乱す。
一方、報告を終えた兵士は1歩後退る。
部屋を出ようとした。
「そ、それでは私はこれで……。魔王様にもご報告を――」
「待て……」
ブレイゼルの冷たい言葉が響く。
怒りに満ちた顔を、兵士に向けた。
「よく報告してくれた。これは褒美だ」
ブレイゼルは炎を放つ。
高速で打ち出された炎弾は、たちまち兵士を包んだ。
「――――ッッッ!! ――ッッッッッ!!!!」
凄まじい炎熱は兵士の声すら奪う。
のたうち回ることもなく、兵士は消し炭になり、やがてこの世から消滅した。
あまりのことに、ただ見ていることしかできなかったルヴィアナは、眉を寄せてブレイゼルに抗議する。
「ブレイゼル! あなた、何をしているの!!」
「愚か者! こんな失態! 魔王様に報告などできるか!!」
「だとしても……。これは魔王軍にとって一大事よ。Sランクに匹敵する魔獣を倒せる戦力が、人間側にいるということよ。人間たちの王都ではなく、たかだか一地方の田舎にいるの。つまり、人間側にはそれほどの戦力が揃っているということよ。これは四天王が結束して――」
「そんなことはしなくてもいい! これは我の失態だ! 我の失敗は、我が払拭する。それで文句あるまい」
「そんなことは言ってない。誰もあなたの失敗を責めたりしない。今はとにかく私の言うことを――――」
「黙れ! ルヴィアナ、お前も誰かのように追放してやろうか?」
ブレイゼルの顔に、寒々しい怒りの表情が浮かぶ。
殺気と野心に溢れた姿を見て、ルヴィアナは何も言い返せなかった。
一方でブレイゼルは机に地図を広げた。
ヒドラロード改を解き放った土地を指差した後、近くに街があることに気付く。
「いくらヒドラロード改を倒したとはいえ、無傷ではすむまい。必ずこの街に立ち寄り、傷を癒やしているはずだ」
「ど、どうするの、ブレイゼル?」
「決まっている! 我が炎獣軍団を差し向ける……」
「炎獣を…………」
それはブレイゼル直属の軍団だ。
1匹1匹、すべてにブレイゼルの力が宿っている。
そのほとんどがCランク以上という炎獣で構成され、幹部であればBランク以上という精鋭の軍団である。
魔王軍最強とも謳われ、その軍団が通った跡は何も残らず消滅するという。
人類にとっては、最凶にして最悪の軍団であった。
「くくく……。見ていろ、人類共。この
ブレイゼルは高笑いを執務室に響かせる。
歪んだ視線は、地図上のノイヴィルという名前の街に注がれていた。
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