第三章

第19話 帰ってきた番犬

 ◆◇◆◇◆ 魔族side ◆◇◆◇◆



「先に上がるわね、ブレイゼル」


 一足早く仕事を終えたルヴィアナは、椅子から立ち上がった。

 まだ事務仕事をしているブレイゼルに声をかける。

 ルヴィアナの前には、ヴォガニスもいて書類を見ながら首を傾げていた。

 こういう事務作業が苦手なのだ。


「待て、ルヴィアナ」


「なによ?」


 ルヴィアナは思わず眉間に皺を寄せる。

 すると、ブレイゼルが立ち上がり、ルヴィアナにそっと耳打ちした。


「今夜は空いてるか? 美味い竜頭酒を出してくれるバーを見つけたのだ。一緒にどうだ?」


「悪いけど、今日も早く帰らないといけない用事があるの」


「用事? 前にも同じようなことで断ったではないか!」


「そうだっけ? あなた、昔から根に持つタイプよね」


「なんだと!」


 ブレイゼルは眉間に皺を寄せる。

 だが、ルヴィアナは毎度のことなので無視した。

 最近、いつもこうなのだ。

 いやカプソディアが追放されてから、こうして誘われることが多くなったような気がする。


「悪いけど、同居人を待たせているの。帰るわ」


「ど、同居人!! 同居人とは誰だ?」


 ブレイゼルは慌てて尋ねる。

 その狼狽する表情を見て、ルヴィアナはついクスリと笑ってしまった。


「ペットよ、ペット。早く帰って、餌をあげないと」


「ぺ…………ット…………?」


 ルヴィアナはまた微笑を浮かべて、その場を後にする。

 執務室にぽつんと取り残されたブレイゼルは、まるで餌を待つ犬のようにポカンと口を開けていた。





「ケルベロス、帰ったわよ」


 ルヴィアナは自分の領地の屋敷に戻ってきた。

 扉を開けて、カプソディアの元愛犬を呼ぶが現れない。

 うちに居候するようになってからは、毎日のようにルヴィアナの胸に飛び込み、甘えてきたのだが、最近めっきり元気がなくなっていた。


「ま――。餌の時間になれば戻ってくるでしょ」


 ルヴィアナは鼻唄を歌いながら、餌を作り始めた。



 ◆◇◆◇◆ カプソディアside ◆◇◆◇◆



 その日のギルドはいつになく慌ただしかった。

 多くの冒険者が詰め、輪になって誰かを取り囲んでいる。

 その中心にいたのは、パフィミアとシャロンだった。


「2人ともどうしたんだ?」


 俺は慌てて駆け寄る。

 シャロンは無事だが、パフィミアは怪我をしていた。

 命に別状はないようだが、かなりの深傷だ。


「し、師匠……。ごめんなさい」


「別に謝らなくていい。誰にやられた」


「魔物です」


 代わりにシャロンが神妙な声を上げる。


「魔物?」


「私が説明しましょう」


 進み出てきたのは、カーラだ。

 その説明によれば、この近くの森に凶悪な魔物が棲みついたのだという。

 並大抵の冒険者では歯が立たず、カーラは溜まらず『予言の聖女』シャロンが選定したパフィミアに依頼を出した。


 しかし、そのパフィミアですら、太刀打ちできなかったそうだ。


 パフィミアの能力の高さは俺も認めるところだ。

 このところのクエスト依頼で、実戦経験もかなり積んでいる。

 そのパフィミアですら、歯が立たなかったとなると、相当厄介な魔物であることは間違いあるまい。


「しかし、よく生きて帰ってこれたな、2人とも」


「それがわたくしたちにもよくわからないのです」

「あいつは、ボクを使って遊んでいた。相当強いよ、あいつ」


 強者の余裕ってヤツか。


「特徴は?」


「鋭い牙に、赤い目をしていて……。あと頭が三つもあるんだ」


 んん?


 鋭い牙に、赤い目……。

 頭が三つ。

 まさか――ケルベロスか?


 いや、間違いないだろう。

 特徴としては合致する。

 それにあいつほどの強力な魔物が、こんな辺境にいる理由もある。


 おそらく俺を追ってやってきたのだ。


 ふふ……。な~んだ。

 意気揚々とルヴィアナのところに向かったから、俺に対する未練なんて何もないと思ってたけど、やっぱり俺のことが心配だったんだな。


 いヤツめ……。


「しかし、どうしましょうか? パフィミア様でも太刀打ちできないとなると、うちのギルドでは討伐が難しいかもしれません。他に銅級以上の冒険者なんて」


「わかった。俺が行こう」


 俺はどんと胸を叩く。


「ええ!? でも、カプア様は確か魔物とはあまり戦いたくないと」


「事情が事情だ。ここは俺が行くべきだろう」


 きっぱりと言い放つ。

 その姿を見て、カーラは「おお」と声を上げた。


「し、師匠が戦うの!? なら、ボクも――」


 パフィミアは傷を負った身体を持ち上げた。


「やめておけ。その傷では動けないだろう。ゆっくり休め」


「でも、師匠が戦うところをボクも見たいんだ」


 パフィミアは真剣だ。

 その顔を見て、俺も「いいぞ」と言いたくなったが、さすがにパフィミアを連れていくのはまずい。

 俺とケルベロスの関係を見られたら、間違いなく俺が魔族だとバレてしまうだろう。


 パフィミアには引っ込んでもらわねば……。


「ダメだ。お前を傷つけたほどの手練れだ。おそらく俺も本気にならなければならないだろう」


「師匠の本気……」


 パフィミアは思わず息を呑んだ。


「その時、お前をフォローしてやる自信は俺にはない。本当に死んでしまうかもしれないぞ」


「それは……」


「パフィミアお嬢ちゃん……」


 声をかけたのは、いつの間にか輪に入っていたマケンジーだった。


「言うことを素直に聞いた方がいい。こやつはこう言いたいのだ。お主が側にいれば、本気で戦えない。それほどの相手ということじゃろう」


 マケンジーの爺さん、ナイスフォローだ!


「わかったよ、師匠! ……勝ってね」


 パフィミアは今にも泣きそうになりながら、俺に勝利を託した。

 少し可哀想なことをしたかと思ったが、俺は親指を立てる。

 早速、現地に向かおうとした俺のローブの裾を掴んだものがいた。

 振り返る。シャロンが両手を組み、切なそうな目で俺を見つめていた。


「どうかご武運を……」


 声を震わせ、今に泣き出しそうだ。


 そのシャロンの頭を俺は撫でた。


「勝利の女神が祈るんだ。必ず戻ってくるよ」


「はい!」


 最後に少しだけ笑顔を見せて、シャロンは歯切れのいい返事を響かせる。


 こうして俺はケルベロスと再会するべく、件の森へと向かうのだった。

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