第12話

 冷房の効いた安アパートの一室。

 コンプレッサーの駆動音と扇風機の回る音だけが部屋で空しく響き渡る。

 切通きりかは寝返りを打ったまま、朝の微睡から抜けられずにいた。

 この前の事件のせいで疲労が蓄積していた心身。

 筋肉痛といった痛みなどはない。どちらかといえば風邪をこじらせたような体のだるさが抜け切らない。ある種、脱力の極地かもしれない今の状態は苦しいのか気持ちいいのか自分でも判別がつかなかった。

 放っておくと夕方まで眠り切ってしまうような体たらくであったが……。


「寝過ぎは体に良くない。背筋が衰えるぞきりか」


 うるさい同居人が声をかけてくると否応なく意識が立ち上がり始めた。

 薄く目を開けて観察すると肌色のイモムシのようなグロい生物が机の上に。首から上(?)は愛らしい顔をしているのが救いの名状しがたい何かがそこにあった。

 眠っていたいのが本音であったが、健康を損ねると指摘されてしまうと警官としての職業病か自分の肉体を維持したい気持ちが膨れ上がってくる。

 ___まだ10時を回った頃か。

 朝食のパンと牛乳、そしてゆで卵を3つ口に放り込む。お世辞にも美味いとは思えない取り合わせだったが動物性たんぱく質の摂取は欠かせない。ボディビルダーのような生活習慣だがきりかは可能な限り卵を食べるようにしていた。


「何もしたくないわねぇ」


 気の抜けた独り言。

 普段であればもっと早い時間に起床して早朝ランニングでもしている頃合いだが、今日は何もするつもりはない。痛痒を引きずった肉体は休めと脳に訴えかけている。

 それにしても、


「アンタ、実体化できるようになったの」

「この前やった視覚情報の投影、その応用だよ」


 現実世界には干渉できないイモムシはまるでそこにいるかのように机の上で転がって……否、浮遊してテレビを見ていた。


「だからイモムシはやめろと」

「ごめんだけどこればっかりは抑えようが……」


 本気で不快に感じていると知っているだけにやや申し訳なさを覚える。

 視界から外してしまえば余分な雑念を思い煩うこともないと、雑誌を手に取り他事に意識を向けることにした。

 テレビに目を向けたまま、カエシが尋ねてきた。

 

「彼らは君の知り合いだったのかね」

「あんなゴリラ見たことないわよ。もし挨拶する機会があったとしたらまず覚えてるわ。忘れたくても忘れられないタイプのキャラだったし」


 過日相見えた二人一組の兵士。

 銀灰色のレムセル、セスタス08。黄土色のレムセル、セスタス09。

 初戦で夢魔に両断されたレムセルに比してアレらが隔絶した実力を持っているのは明らかだった。それも純粋に性能の問題ではない。通常のレムセルはどこか現実兵器の延長線上にある兵装を使用していたように思う。しかして十把一絡げの雑兵とは根源的に違う……異能じみた力を彼らは持っていた。

 そんな強敵から別れ際に告げられた問い掛け。


「まぁ正味気にしてないわ。一度下したあいつらにもあんまり興味はない」

「随分傲慢だね。私がいたから勝てたようなものだろう」

「勝ちは勝ちだもの。どんな形であれ白黒はついたのよ。第一、あっちは二人でこっちも二人だった。数の上でも同等じゃない」

「連携を見抜けなかった向こうのミスは確かに決定的だったが……そうでなければ負けていたのはこちらだったと思うが」

「拾った勝ちだといいたいわけ?」

「そこまでは言わんがね」

「本当なら負けていた~とか実力では劣っていた~とか勝ったあとでわざわざ思い返すのはただの卑屈じゃない?むしろ戦力で劣っていたところを埋め合わせて勝ったのだから上々。その戦力差にしても付け焼き刃の戦術で埋め合わせられる程度の開きだったということ」

「まあ、それは真理かもしれんね。つまるところ戦術で埋められる性能差などたかが知れている」

「ということは最初から勝てる範疇の相手だったってこと。そして立ち回りで勝ったの。反省点なんかないわ」

「回顧は結果の価値を損なうと……それも一つの考え方か。まぁ否定も肯定もせんよ」

「強いて気になるとすれば連中の装備ぐらいね」

「ああ」


 そこは気になるのか。

 言葉とは裏腹に勝ち誇っている風でもなかったきりかの様子。

 あの常識を超えた現象を引き起こした力、セスタスを名乗る彼らが今のきりかと比べて明らかに一歩進んでいた点はそこだった。重力場の形成、質量の増大……大規模な施設があれば実現不可能というほどでもないが、仮に兵装として人間サイズに収まっているとしたら図抜けた話だ。

 そんな代物は人類文明を超えた部族トライブでも実現できていない。

 夢界の恩恵を受けし者にだけ与えられた特権の一つだろうか。

 彼らと同格以上の雰囲気を纏うきりかに同じ異能が使えないとも思えなかったが……。


「どちらにせよ、今のままでは勝てないわね。純粋に数が多すぎる」

「ああ、8番と9番というナンバリングが確かなら残り7人もいるということだ。いやゼロエイト、ゼロナインということは二桁番台の隊員もいるな。なら総員最低10人の部隊ということか」

「絶望的ね~」


 あっけらかんとモーニングコーヒーを啜るきりかに危機意識は微塵も感じられない。

 理で考える故に、戦うとなれば負けると覚悟している。

 その結果を既に受け入れている。


「まぁ20人ほどでかかられたら一溜りもないのは事実だろうが、君はドライだね」

「一応全部で10人だと思うわよ、多分」

「何故そう言い切れる?」

「推測だけど、鉄拳セスタスって手で握り込む武器なのよ。だから指の本数になぞらるんじゃないかなって。だから10人」

「なるほど……」

「ひょっとしたら右手と左手になぞらえて指揮系統は2つあるかもしれないわね。あいつらの感じだと1から5番、6から10番の括りで」

「その考え方が正解なら悪くないな。少年を殺せと任を受けた6番から10番の隊員だけを相手にすればいいということになる。想定の半数だ」

「5人でも10人でもそう変わらないわよ。向こうが本気で殺る気ならとうの昔にやられてる。逆にそれが身の安全の保証にもなってるけど」


 派遣された隊員が8番と9番のみであった事に理由があるのなら、人数をあえて絞った所以があるのなら。希望的観測の一つとして、初めから少年の命を狙ったものでなかった、という可能性は考慮に値する。

 ならば……狙いが別にあったとすれば何が考えられるか?

 きりかの意見を反芻しながら無言で俯き始めるカエシ。

 その仕草が段々と愛らしく思えてきてちょっと末期かもと思うきりか。

 悶々と考えを巡らすカエシがはっと思い出したように顔を起こすときりかに尋ねた。


「そもそも君はセスタスと戦う、という方針で良かったのかね?」

「どういうこと」

「ほぼ間違いなくセスタスというのは人類側の軍隊に属している存在だろう?そうした組織が何らかの命を受けて、地球侵攻の窓口たらんとする悠哉少年を処分しようと判断したよしで、そこには一定の理がある。あの子を殺せばもう私の同族は攻めて来れないのだから。勿論、ホストと呼ばれる人間は悠哉少年だけではないだろうから、他の人間に当たりをつけるまでの期間限定だがね」


 カエシの疑問とは立ち位置の確認であった。

 それを言うならお前こそどうなんだと、思わず目を細めるきりかであった。目の前のクリーチャーに対する諸々の疑問は何一つ払拭されていない。

 自分の種族よりも人類の方が強い可能性が高いから戦争すべきでない、という本人の主張に穴が多すぎると感じるのは決して間違いではない。

 疑問はそれだけではなく、夢界についてカエシは知ってることが多すぎる気がするし、大前提として7億以上いる人間の中で如何にして悠哉という少年を見つけ出すことが出来たのか。考え始めると疑問は腐るほど湧いてくる。

 と、そこまで考えてカエシのマスコット顔の眉がハの字に曇る。

 きりかの思考はカエシにある程度筒抜けなのだ。


「まだ私、信用されてなかったのかね」

「不可抗力と思って欲しいわ。貴方の外見を……その……心なく傷付けてしまうのと同じくらいのね」

「私は君に恩を返しつつ同胞を慮っているだけだ。私の奉ずる全ての知識と知恵に誓って嘘偽りなどない」

「でも隠してることはあるんでしょ」

「黙秘権を行使する」


 冷や汗を流しながら答えるカエシ。

 黙秘権。不利になるから隠したいと宣言するようなものだがこの場合、一体誰の不利になるというのか。

 依然変わりなく朝の呆けが抜けきらない態度で尋ねた、まるで圧をかけたつもりのない質問だったが、カエシはこんな事にも嘘をつけない性格なのか、一々狼狽えていた。


「つくづく真面目よねぇ」

「普通に振る舞っているだけなのだが」

「いやいや、超真面目よ。アンタの種族って皆そうなの?」

「どうだろう……確かに偽証という概念は私の種にはないよ。かといって真実を全て話すという事もないが……地球人を知って初めて受けたカルチャーショックの一つだな。あと夢という概念もない」

「まるで機械ね」

「私に言わせれば地球人が乱雑過ぎるのだがね……記憶は捻じ曲げぬよう正確に、記憶は一つ残らず記録に。これが基本だろう」

「世界中の人間がそのスタンスだと会話がなくなりそう……」

「……会話はあるだろう?共有すべき情報は無限に存在する。個々人が積極的に共有ライブラリを閲覧したとしても限界がある。そのために優先度の高い情報を口頭で伝えなければ業務に支障をきたすではないか」

「そこかもねー。人間は何でもかんでも覚えられないから努力はホドホドだし、仕事は概ね分業制で分かってる奴がいたら丸投げだし」

「調べたところマルチスキルという概念はあるそうだが」

「未だに古臭い会社はその手の都合の良い何かを追いかけてるそうね」


 やはりこいつはサイエンス・フィクションの生き物だ。

 日本語でいうところの鉄人という表現がふさわしい。

 スペックが高いが故の精神性か、精神性故に高いスペックを得たのか。いずれにせよ人間の視点から見れば極端過ぎる。きりかから見ればタガが外れているようにしか見えない少数派マイノリティでも、カエシの種族では多数派マジョリティなのだろうが。


「ところできりか」

「ん?」

「バラエティ番組というものの存在意義がいまいち解せんのだが……解説を頼めるだろうか」

「何も考えない時間を生み出してくれるの。脳の疲労回復が目的といえば分かるかしら」

「なるほど……地球人の知恵だな」

 

 その後もカエシの大真面目な詰問が続いた。

 きりかはのらりくらいと適当な返事で適当に応対した。


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