第10話 ある少年の屈折(前編)

 夏場の体育といえば、プールだ。

 うだる暑さの中、冷たいプールで泳ぎ回るその爽快感はまさに清涼剤。しかし、本番はむしろプールを出た後の授業だと悠哉は考えていた。

 教室で授業を受ける最中に不思議な倦怠感や浮遊感に見舞われ、だんだんと心地よさが全身を支配していく。

 後々になって知ることになるがこういう感覚を「ととのう」というらしい。曰くサウナトランス。サウナの正しい入浴法には温冷交代浴というものがある。サウナで体を温めてから水風呂に入ることで体は急激な温度変化に対応すべく血管を収縮させる。その間に脳内物質が分泌され多幸感をもたらすという。

 夏場では日差しの強い場所からプールという手順がサウナから水風呂という流れに似ているがために同じ現象が起き得る。

 その快感を多くのクラスメイトと共に悠哉少年は教室の片隅で味わっていた。

 先日の事件があってから悠哉の心身は万全ではなかった。疲弊しすぎて目は虚ろになり、口数は平時よりもぐんと減っていた。

 それ故に、ととのう快感は抗い難く眠気と共に悠哉に襲いかかっていた。

 だが、その脳裏にはいつも戦場を駆け回る一人の女声がいた。

 あの日の出来事は深く目に焼き付いている。ここ数日はそれを回顧し続ける毎日であった。

 今も幻視している。ここではないもう一つの世界にある教室で、彼らが自分の目の前に立っていたことを。



◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆



 上空の部族トライブの戦闘艦が4隻、きりか達を睥睨していた。

 黒白の格子が幾重にも絡まった異形の戦艦の節々の穴が明滅していた。きりか達を索敵していくことは想像に難くなかった。

 立て続けに降りかかる問題。つい先程まで死闘に興じていたきりか達にとっては間の悪い来客だった。

 まだレムセルとも決着がついていないというのに……ときりかも不機嫌そうな顔を隠そうともしない。

 それを察して口を開いたのはセスタス09であった。


「いやぁよかったよかった。程よく点数稼げそうな相手が来てくれて」


 心底ほっとしたと苦笑いの男は天に座する船に己の右腕を向けた。

 その右腕は大筒のような異形に変形していた。

 セスタス09の能力は重力場の形成。要撃用のその異能は戦場において対象が大物であればあるほど真価を発揮する。

 セスタス09は敵艦と重なる座標に限界近い出力で力場を発生させた。

 大きく軋む部族トライブの戦闘艦。格子状で構成されているため、船体そのものが歪んでいるという現状が分かりやすく視認できた。


「捕まえた」


 余裕の笑みで右腕を振り回すと、その軌跡をなぞるようにして敵艦はまるで掴まれたように、否、本当に掴まれたも同然に翻弄され付近の戦闘艦に激突した。

 航行装置に致命的な故障をきたしたのか、どちらの船も浮力を失い大地へ墜落していく。

 あっというまに二隻を仕留めた。


「あと二隻」


 呆然とそれを見守るきりかの目線を受けて、セスタス09は軽く笑顔で返した。

 尋常ならざる事態に残る二隻の船が攻撃を開始した。

 きりか達のいるであろう座標にあたりをつけて、降り注がれる無数の光線が瓦礫の山を消し飛ばしていく。

 しかし、無鉄砲な攻撃ではきりか達の所在地にかすりもしない。同様にセスタス09の不可視の腕に掴まれた船は抵抗もできず2隻とも地面に叩きつけられた。

 時間にして1分にも満たない出来事であったが、敵性部族トライブは全滅した。


「これで手打ちって事になんないっスかね」

「あはは……」


 少年のように屈託なく笑うセスタス09。

 毒気を抜かれたきりかは、ただ乾いた笑いで返すしかなかった。



◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆



 酷く傷んだ教室。

 きりかとカエシは休戦を受け入れた。

 売られた恩であったが無下には出来なった。

 必然的に話し合いになり、全員が輪になるような形で打ち捨てられた校舎の一角に佇んでいた。

 先刻まで殺し合いをしていただけに多少よそよそしい雰囲気を醸し出していたが、わずかな沈黙を経てきりかは問いを投げた。

 

「アンタら、任務はいいの?」

「そうっすねぇ……まぁ素直に無理でしたと頭下げてきますわ」

「あっさりしてるわね」

「そっちが兄弟を見逃してくれるんならこっちも筋は通しますよ。これって要はそういう取引でしょ?」

「私が心配する筋ではないが……大丈夫かね。命令違反は厳罰が常と思うが。」

「それもどうでしょう……無理って報告するの地味に初めてですし、そもそもウチはペナルティとかそういう汗臭いのがある組織なのかなぁって……なんなら続きやります?」

「え?やるなら受けて立つわよ」


 元より首を刈り取って終わるつもりだった。

 第三勢力の介入と壊滅があって興醒めした感は拭えないものの、当初の目的に立ち帰れるのなら意義はない。

 きりかの意思は本物だと悟るとセスタス09は慌てて前言を撤回した。


「嘘です!嘘!冗談!あははまっさかぁー姐さんにゃもう盾突きませんて!」

「やるのはいいとしても次はわだかまりなくがいいなぁ。具体的にはそこのガキをアレするとか、そういうの抜きでな」

「お前は余計なこと言うな」

「あはは。分かってるわよ。言ってみただけ」


 その目は笑っていなかった。

 

(デカブツを壊してみせりゃこっちの株が上がって向こうが萎縮してくれるかと思ったが……当てが外れたな。この女は力関係を分かってやがる)

(ちょっと頑張ってそこのガキとマスコットを消してもどうせ姐さんで詰まるだろうし結局任務は果たせないのよなぁ)


「僕……どうやってここから帰るんですかね?」

 

 悠哉は心底嫌気が差したように疑問を投げかけた。

 自分が殺されるかもしれない、という物騒な話題がようやく集結したのだから、あとはこの場から立ち去りたいと思うのは自然だった。

 

「あ、私も知りたい」と同調するきりか。

「え?姐さんたち夢界ここから出る方法ご存知でない?」

「この世界で寝ればいいのではないかね」

「それでもいいけど、リスクデカイぜ。夢の中で寝るってことはより深い階層の夢界オネイロスに行っちまう可能性もある」


 意外そうな声を上げるセスタス09。

 その反応を目の当たりにしたきりかとカエシはある事実に気がついた。

 自分たちはこの世界についての理解が浅すぎる。対して目の前の二人は求める情報を全て持っている可能性があった。

 故に知識欲の権化であるカエシが好奇心を抑えていられるはずもなかった。


「ここは……夢界とはそもそもどういった世界なのかね?」

「言いにくいね。俺らからすればあんたは敵国の人間なんだぜ」

「人類に危害を加えることはしない。私の信仰するこの世の摂理全てに誓う」

「誓われても……」

「そいつクソ真面目だから言ったことは多分守るわよ」

「……まぁ姐さんには伝えておいたほうがいいか。そこの坊主にも」


 カエシは地面においてある小石を一つ手にとると、訥々と語り始めた。

 

「知っての通りここは夢界と呼ばれてるが、俺たちは本当に夢の世界に入り込んでるわけじゃない。ここは現実世界と同等の、一種の異界なんですよ」

「我々の常識でもこの空間はある種の上位次元だと定義されてきた。しかし、地球圏の夢界は専用のスーツがなくとも活動できるし地面も空も人工的な被造物もある。我々の夢界にはなにもない。あるのは虚無だ。この違いは何故だ?」

「それは……言ってみれば人間とあんたらの能力差だろうな。どういう事かというと、この世界は廃棄場なんですよ」

「廃棄場?」

「記憶や思い出、怒りや悲しみといった一過性の感情って基本的に忘れていくものでしょ?でも実際は違うんですよ。不要と思って捨てたもんは全部消えずに存在し続けていて、ある場所に放逐されてる。まるで家庭ゴミが最後に行き着く場所、ゴミの集積場みたいなトコにね」

「それが夢界ここってこと?」

「ええ。ただそれだけの世界です。本来は」

「能力差……私の種族は記憶能力に長けている……みなが地球人でいうところの完全記憶能力者といってもいい。当然、記憶を整理整頓するための夢など見ないし必要としない。能力差とはそういうことか」

「そ、アンタのとこの夢界に何もないのはそういう理由。何も捨てられてないクリーンな場所ってだけ」


 顔と両腕が再生してきたセスタス08が力を機能を再確認するように誇示するように、右腕を大盾に変形させる。


「でぇ……ここに廃棄されたあらゆる情報……感情だけじゃなく歴史や神話もあるわな。そいつと個々人の感情ってのは全部力の源になるのさぁ」


 力の源。

 確かめるようにきりかも右の肘から先を鋭利な刀剣へと変化させる。

 実感がないが、これらが廃棄された情報を利用した代物だという。


「私や悠哉君がそうなのね」

「そこの坊主はホストって呼ばれてるタイプ。単独で夢界一個を成立させちゃう……まぁ生まれつき人並み外れた精神や世界観を持ってる特別個体っすね」

「ん、私は?」

「レムセルはねぇ……実はよくわからないンス。ただ当たり前の了解として夢界ここから力を取り出しているヤツで、命令があれば戦わされる役割って扱い」

夢魔エンプーサは?」

「さぁ……やたらクソ強い事以外は何も」


 どんどん不明瞭と化していった説明に呆れ果てるものの概要を知ることが出来たのは僥倖であった。

 その説明を受けて、考え込む一匹の蟲。カエシは説明に満足していないのか首を上下に揺らしながら思案していた。イモムシが首を振る光景に皆、言葉を失っていた。


「純粋に疑問なのだが……その程度の理解で良いのか君等は。もっとこう……関心を持つべきだろう?」

「なんでだ?おれぁ戦場ここが楽しい。それ以外知ったこっちゃねえ」

「しかし……そうなのだからそうなのだろうでは短絡的すぎんか」

「どんなのが相手であれ敵は敵。んで、銃をぶっ放すのに弾が飛び出すカラクリなんざ知っとく必要はないっスね」

「なるほど……人間の価値観は様々だな」


 あまりに二元的な考え方であったが、その反論に納得したのかカエシはそれ以上何も言わなかった。

 代わりに、疑問を口に出したのはそれまで黙っていた悠哉だった。


「僕が狙われるのは何故?」

「ホストだから……だと説明不足か。宇宙人が地球侵略できない理由は分かってますよね?」


 怯える悠哉の様子を悟ってか、セスタス09は柔らかく話始めた。

 代わりにきりかが答えた。


「強制的に夢界へ放り込まれるからね」

「イエス。侵入者はここ、レムセルとエンプーサが徘徊している超危険地帯に放り込まれます。例えば星が吹っ飛ぶような戦略兵器で地球を攻撃したとしてもここに飛ばされて終わり。ジ・エンド」


 セスタス09は立ち上がって黒板にチョークでなにかを書き始めようとするが、上手い絵が何も浮かばなかったらしく断念した。


「通常放り込まれる夢界はもっとカオスなところでね。不特定多数の人間達が捨てた情報からなるでっかい夢界なんですよ。この夢界は全員が全員ホストなんだけど巨大で複雑だから誰もホストの権限を使えない。いわばゴミの集積場っス。一度放り込まれちゃったら誰も見つけ出せないくらい膨大な情報の海みたいな」

「ここは違うというのかね」

「坊主が一人で作った独自の夢界ですからね。いわば家庭用のゴミ箱。なんかの間違いで大切なものを捨てちゃってもすぐに見つけ出して拾い上げられるぐらい小さい」

「じゃあ悠哉君がホスト権限を使えば……!?」

「現実世界に引き上げられます。彼一人の裁量で。だから連中は捕まえて洗脳かなんかしようと思ったんじゃないスかね」

「なるほど……なら私はさながらゴミの分別業者によって救い出された例外というわけか。いや、よく分かった。さっきは無礼なことを言った。非礼を許してほしい」


 セスタス09の説明は理解しやすいよう噛み砕かれていて、その誠意が伝わったのかカエシは一転して好意的な反応を示していた。

 だが、肝心の悠哉は怯えたまま。無理もない。お前はこれからも狙われるんですよと宣告されたに等しい。


「そう怯えることはねぇよ坊主。ゴミ箱に蓋……っつー例えはアレだが鍵をかける事はできる。ここはお前の夢界なんだからな」

「鍵をかけるって……具体的には?」

「自分で見つけんだよ」

「ええぇ……」

 

 セスタス09の遠慮のない言葉に一瞬たじろぐ悠哉だったが、あまりに屈託のない笑顔だったのですぐに苦笑いに変わった。

 天然でやっているのかもしれないがこの男は意外と人を安心させる才能があるようだった。

 少なくとも光明はあると知ることが出来たのは収穫だ。悠哉の顔は自然と緊張から開放されていた。

 その反応を見届けると、セスタス08と09はおもむろに立ち上がり、要は済んだとばかりに教室の勝手口に足を向けた。


「……あ、姐さん。今度は俺から質問なんですが」

「なに?」

「俺っちの部隊にね。剣をもたせりゃべらぼうに強いパイセンがいるんですがね。俺たち、初対面ですよね?」 

「いやーアンタみたいな筋肉ダルマ知らないわね」

「ですよねー」


 苦笑しながら、大男二人は歩き始めた。

 どこへ行くのか、きりかもカエシも察していた。

 部族トライブが陣取っていた崖の上。戦闘艦を落としたとはいえ、それで完全に無力化できたとは思えない。艦内にはまだ戦える者が残っているかもしれないし、生存者を見過ごすつもりはないのだろう。


 こうして、休日に読書をしていただけだった悠哉の長い一日は終わったのだった。

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