第8話 8番と9番(前編)

「走って!」


 虚空から女の声が聞こえた。

 走れと言われてもとうに性も根も尽き果てていた。だって、どうしようもないから宛もないのに助けを求めたのだから。

 なんとなく手を差し伸べられている気がしたのでそれに応えようと右手を前に掲げようとする。しかし、もう力が入らない。前のめりに躓きそうになる。

 手を伸ばしても届きそうになかったので、代わりに首を振った。もう自分は動けませんと表明するために。


「だらしないわね」


 強い力で持ち上げられるや否や気付けば悠哉は女の背中に身を預けていた。

 おんぶされていた。男に比べればずっと狭い肩幅で、なのに不安を感じさせない力強さ。あまりにどっしりとしていたので、絶体絶命の危機だというのに目を閉じてしまえば意識が落ちてしまうほどの安らぎが抗いがたく押し寄せてきた。

 眠気は唐突だったが、肉体よりも先に精神が限界を迎えていた悠哉にこの誘惑を跳ね除ける余力はなかった。

 もう無理だ、落ちる。

 そう受け入れた刹那、何かが悠哉の眠気を断ち切っていた。


「なんだこのイモムシ」

「無礼な。万物の霊長に向かってイモムシとはなんだねこのサルが」


 枕代わりに顔に押し当てた物体の柔らかさに恍惚を覚えたのも束の間。

 まるでケムシが体を這っているような猛烈な不快感に見舞われた。というより肌にそのケムシのような足が触れてきた。

 はっとなってその物体を注視するとどう見ても巨大なイモムシだった。

 イモムシはこちらに伝わる念波を送ってきた。


「私の名はカエシ。状況は概ね掴んでいる。君を助けに来た」

「ありがたいけど……逃げ切れるの?」


 自分が呼び出した異形の人形と比べると、今自分を背負って走ってくれている彼女はどう見ても普通の人間だった。

 先程自分を持ち上げた手並みといい、人一人を抱えながら疾走する速度といい並の身体能力ではない事は伺えるが……。

 相手はさながら戦車や戦闘機で、なんならSFじみた武器も所有している機甲部隊だ。戦いはおろか逃げられるのかどうか。

 大体、前例からして人形が呼び出されるものと思っていたのに何故人間の女性とイモムシが……?


「順当に考えれば無理だろうな。見たところ隊長機が一機残るのみだが戦闘スーツに組み込まれたビーコンがあればば、増援はいくらでも送り込める」


 視認できる距離にいるというのに敵機は動かない。

 砲撃してこないのは悠哉を無事に確保したいという狙いがあるとしても、こちらを追ってこないのはやや不自然に思えた。

 いや、敵からすればどこからともなく呼び出されたきりか達は未知の脅威だ。軽々に仕掛ける事はしないのかもしれない。カエシの言う通り、増援が着いてから行動していく方針で固まっているのかも……。

 おまけにきりか達の現在位置は見渡す限りの平野で、高所である崖上を取れている敵は見失う心配がない。これではどこまで逃げようが徒労に終わる。


「不味いわね。ここは見晴らしが良すぎる」

「懸念は理解している。少年、頼みがあるのだが」

「え、僕?」

「そう、君だ。恐らく君はこの夢の主だ。領域区分は分からんが少なくともここら一帯は君が支配しているはず。何かこう……地形を変えたりできないかね?敵の視線を切れるような」

「無茶だよ……そんなのできっこない」

「常識を疑いたい給え。君は既に何度も奇跡を起こしているではないか。その上で何ができて何ができないかはまだ検証していないだろう?ならば確かめてもいないことを出来ないと判断するのは早計と思わないかね?」

「アンタそれ励ましてるつもりなの」

「仮説、検証は道理だろう。後ろの兵士が怠慢している今しか時間はない。やって駄目なら他の手を考える」

「クソ真面目……」

「実際のところ、根拠もある。この一見、地球環境ではありえない地形がそうだ」


 その一言ではっとした。イモムシの如き眼の前の物体Xは一体何を見ていたのか。


「……僕の本読んだ?」

「ああ、主人公が旅をする異世界にこれと同じ地形がある。一定以上の紫外線を浴びるとありえない変形をはじめる摩訶不思議な金属で敷き詰められていて、結果不自然な凹凸の絶えない地形が形成されるという。地の文からこういう光景をイメージしたのだろう?」

「言われてみればそうかもしれないけど……じゃあこの世界は本当に僕が作った世界ってこと……?」

「そうだ。これは君の夢だ」


 そんな魔法のような奇跡を起こす力が自分にあるとは思えなかったが、確かにイモムシの言う通り、既にありえないことが起こっている。いや、にわかに信じがたいが自分が起こしたのだろう。

 だけど、具体的に何をすればいい?

 奇跡を起こせといわれても魔法の杖は持ってないしそれらしい詠唱も知らない。

 

「きりか。何かアドバイスできないか」

「というと?」

「君は腕を刀剣に変形させられただろう?彼にコツを教示してやれ」

「いや無理。もう感覚忘れたし出来ない」

「ええぇ……」

「あのときは無我夢中だったから……勝手に右手も元通りに戻ったけど戻そうと思ってやったわけじゃないし」

「では、何かヒントだけでも」

「んー……戦わなきゃと思ったら刀になったし、敵を斬って状況が終わったなと思ったら元通りになった……かも」

「参考にならん。じゃあ質問を変えるが、何故武器に刀を選んだ」

「一番イメージしやすいのがそれだっただけ。実家が登録証付きの日本刀を持ってて割と身近な凶器だったのよ。後から振り返ってみれば別に銃でも良かったわね」

「つまり、変に考えすぎず身近なものをイメージしろということだな」

「……やってみるよ」


 要点は確かにシンプルかもしれない。求められているものは居場所を隠せるような、要は敵の視線を切るための遮蔽物。

 それをイメージしやすい身近なもので作り出す。なんでもいいのだ。ビルだろうが草木だろうが、大きいものならきっとなんでもいい。

 巨大なものを意識しすぎた結果、形成に失敗してハリボテが出来上がるかもしれない。となれば作るのは内装を熟知しているものに限られてくる。自分の行動範囲でそこまで見知った建物はそう多くはない。


「……形成」


 直後、目の前で起きた出来事をなんと表現すべきだったか。

 ある建物は虚空から現れ、ある建物は地面から生え、ある建物は空から落ちてきた。それらが干渉しあいぶつかり合って、まるで積み木を倒したような、歪なゴーストタウンが瞬く間に出来上がった。

 土煙で何も見えないきりかは咄嗟に路上よりも屋内にいたほうが安全と判断し、形を成したばかりの建物へ飛び込んだ。

 その数と大きさに驚かされたがよくよく観察するとどれも既視感のある外観だった。この世界に飛ぶ以前、全力で駆け上がった校舎。誰もが見知った全国的に展開しているショッピングモール。どれも100階以上はあるのではないかというあり得ざる高さで顕現しているが……。

 何もなかった平野がわずか数秒で、鉄筋コンクリートのジャングルと化した。

 


「身近なもので固めてきたわね……」

「こういうことでしょ?」

「完璧だ少年」


 ともあれ、相当な撹乱にはなったはず。この状態からきりか達を見つけ出すのは至難の業だろう。

 大地震が起きたような揺れが収まってから、きりか達は移動を再開した。

 校舎は見通しが良すぎる。三人で相談して、窓のないショッピングモ-ルで腰を落ち着けることにした。



◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆



 たどり着いたモールの動かないエスカレーターの脇に設置された椅子の前。

 ようやく落ち着ける……ときりかは悠哉を降ろした。

 悠哉は一向に力が入らない様子で、体育座りで両足を抱いたまま、椅子に座っていた。もうこれ以上は何も受け付けない、受け入れたくないという心境を態度で示すかのように目を閉じて壁にもたれかかっていた。当然、悠哉から口を開くこともない。

 無理もないか、ときりかも悠哉の態度に合わせていたのだが、そこらへんの思いやりがない畜生が一匹いた。


「……という事なんだよ。状況は理解したかね」

「そうなんだ……地球は……狙われていたんだね……」

「きりか、彼も君と同じリアクションだが絶滅の危機というのに地球人はなんだか冷めているね」

「この子は疲れているのよ」



 カエシは事のあらましを、きりかとの出会いから自分の目的まで丁寧に伝えた。それを悠哉がどこまで聞いていたかは定かではないが、相変わらず目を閉じたままであった。幾分渋そうな顔だったので聞き流しているという事はないようだが。

 きりかは悠哉の様子をしばらく見守っていたが、埒が明かないと思ったのかやがて悠哉の方から口を開いた。


「質問なんだけどさ。連中はなんで地球に攻めてきてるのかな」

「地球圏の夢界がより優れている可能性があり無視できないからだ」

「つまり……未知の技術や概念を蒐集したいんだよね?」

「然り。読書家は柔軟だね。話が早くて助かるよ。こちらとしては別に資源惑星として地球が魅力的だから欲しいという事はない。奴隷にしたいわけでもない。労働力なら無人ロボットで間に合っているからね」

「つまり地球人を滅ぼすメリットは特になくて調査のついでに滅ぼすかぐらいの娯楽感覚ってこと?ストレス発散か知らないけどさ。いい迷惑だから調査だけしてとっとと帰ってくれないかな……」

「えっそーだったの」と意外そうなきりか。

「娯楽感覚というのは当たっている。が、鏖殺する必要性の是非はともかくとして、地球人と衝突するメリット自体は有るのだよ」

「僕やそこのお姉さんみたいな能力者と接触できるからだね。むしろ大本の目的を遂行する上では必要不可欠か」

「そうだ。だがそこがまさしく私の懸念でね。端的に藪をつついて蛇が出るからやめておけと思うのだよ」

「心配性だねぇ。明らかに君たちのほうが高度な文明じゃない。」

「私は目で見たものしか信じない。数値なりなんなり必ず勝てるという保証をカタチにできなければ争うべきではないと考える」

「じゃあ勝てると判断すれば掌を返すわけだ」

「いや……それは、その……極論だろう。私は基本的に平和主義であるからして…」


 横で聞いていたきりかは頬杖をついてカエシの様子を観察していた。

 カエシは何を戸惑った?悠哉の言う通りだろう。

 勝てる保証が見つかればもはや別種のニンゲンに遠慮するところなどないはず。

 突き詰めた理屈屋であることと、博愛は両立するのか。

 もしや平和主義者などとのたまったのは味方でいるための演技か?短い付き合いだがそんな器用さがカエシにあるとはとても思えず……。


「何か隠してない?」

「い、いや?」


 ほら、平時ならこんな風に口ごもることはない。

 腹に一物あることは確認できたがここで問い詰めても状況は好転すまい。

 喉が渇いたと周囲を見渡せば、モール内には自販機がチラホラと。


「飲めるかしら」

「分からん、確かめてみるほかない」


 きりかは立ち上がって、自動販売機に歩み寄る。

 その一歩を踏み出す瞬間であった。

 大きな縦の揺れ。宙に浮いたかと思えば床に叩きつけられる。

 モール内の家屋、服や靴の陳列棚は一斉に倒れ、一瞬で周囲は惨憺たる光景に。

 いきなり大きな揺れに見舞われる地震は直下型に分類されるものだが、この地においては天災などではないだろう。

 敵の砲撃、そう見做す他ない。


「馬鹿な。こんなことをしても無駄だ」


 無人地帯にある程度当たりをつけての砲撃であろう。

 しかし、カエシの言う通り、示威行為にしかならない。こちらの心身を消耗させる作戦かもしれないが、標的を無事に確保したい狙いからズレているし迂遠に思う。

 不可解な敵の行動に訝しんでいたが……揺れはたったの1回で収まった。

 砲撃ではない?

 きりかはある可能性に至り、構えを解いて辺りを見回す。

 モールの外壁がまるで紙屑のように吹き飛ばされ、土煙とともに何かが現れる。

 

「おーっス」

「誰かいますかぁ」


 身の丈半丈ほどの巨躯の影が2つ。

 異形の人型、間違いなくレムセルだ。

 黄土色と銀灰色の巨人はモールの外壁を吹き飛ばし、悠々ときりか達に歩み寄る。

 右肘そのモノが筒のような形状をしている黄土色のレムセルは右手を前に出して、指もないのにひいふうみいと数え出した。


「お客さんと、侵入者と……メガネの女は何だありゃ」

「わかんねぇ……尻がやべえ柔らかそう」

「なに、味方?」


 自然と冷や汗を垂らすきりか。これまでの機械的なレムセルとは一線を画す存在。

その立ち振舞は濃密な存在感を醸し出していた。気配のみで直感的に悟った。今まで生きていて初めて遭遇したがこいつらは自分と同類だと。

 自然と後ろの悠哉とカエシを庇うように前に進み出ていた。

 そんなきりかの警戒心を感じ取ったのか、ちゃらけたように黄土色のレムセルは両手を上げて嬉々として語りだす。


「そーっすよぉ。通報がありましてぇ……家にムシが入ってきてるって」

「助けに来てくれたなら話は早いわ。近くにヤバいのがいるからとっとと退治して頂戴」

「いやぁそれなんスけどねえ」

 

 瞬間。

 振り下ろされる剛腕。

 右腕は虚空を切っていた、そこはなにもない空間のはず。なのにあたかも巨大な鉄球を受け止めたかのような傾斜で地面が潰れる。


「お、早い」

「仲良くする気はないってわけ」

「ははぁ、すいませんね。いや命令オーダーがね?皆殺しでって注文だったもんで」


 たった今、触れてもいないのに地面を潰したヤツの右腕。何かある、アレに近づいてはいけない。

 そして傍らで闘気を充溢させながらこちらを睥睨してくる銀色のレムセル。見間違いでなければ、地面を押しつぶした黄土色のレムセルが右腕を振り下ろした際、その軌道上と重なっていたはず。なのに微動だにしていない。あの奇妙な圧力は対象を選べるのか、それとも銀色のレムセルが歯牙にもかけていなかったのか。

 いずれにしてもこの二人はこれまでの敵と質が違う。エンプーサのような畜生ではなく、経験を積んだ戦士だ。


「おい、そこのガキ潰しに行くから、お前は女を狙え」

「ガキなんざどうでもいいだろうがぁ!あんな上物の別嬪さん、ちゃあんと戦わないともったいねぇだろぉ?」

「おいおい、あのガキとキショイムシを狙わない手はないだろ?あいつらを狙ってそれを庇いに来る女を横からドカッとだな……」

「ヒキョーじゃねぇか。スッキリ戦わせろや!!!」

「ああ?じゃガキ共やってからあそこの姉さんとスッキリ勝負すりゃあいいじゃねぇか」

「そういう問題じゃねぇんだよなぁ。却下だ却下!」


 うるさい声で会話が筒抜けだったが、きりかは敵の様子をつぶさに観察していた。

 黄土色のレムセル。右腕に巨大な筒を持ち、左腕にガトリング銃を持つ。

 銀灰色のレムセル。両腕が大盾のようになっており、火器らしきものはない。

 共通して言えることは通常のレムセルとは比べようもないほどの体躯でそれに見合うだけの筋肉量だということだ。鍛え抜かれた肉体が横並びになっている光景は阿吽像を彷彿とさせる。

 がみがみと喧しい声が止まらないので、軽く手を挙げてからきりかは声をかける。


「話はまとまった?」

「ちょっと待ってろぉ。今どっちが先にやるか決めてっから……」

「そんな話してねーだろ!二人がかりでやるんだよ」

「いいわよまとめてかかってきて」

「「あ?」」

「まとめて相手してあげるっていってんの」

「「ああ!?」」


 疑問の声が怒声に変わる瞬間、何かを吐き出すような……息が詰まって咳き込んだような音が漏れた。

 間髪入れずに踏み込んだきりかの斬撃は相対するレムセル二体の喉を深く深く切り裂いていたのだ。

 そのままきりかは二体を飛び越えて、外壁が吹き飛ばされて露出していたモールの穴から高く高く跳躍した。

 暫し呆気にとられていた二体であったが、やがて再起動し、きりかを追いかけ始める。彼らの態度に姿を表した当初の余裕は消え失せていた。


「「ぶっ殺す!!!」」

 





 

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