第7話 再び夢中へⅡ

 息を詰まらせながら、身をかがめて窪みに潜んでどのくらい経つか。

 聞こえるのは汽笛のような駆動音。追手は近い、見つかるのも時間の問題だ。

 故に、次に少年が起こした行動は軽率だったのか、それとも妥当であったのか。

 そろりそろりと、音ひとつ立てないように四足歩行で動き出す悠哉。

 地形がうねっているため二足で動けばうっかり何かに躓き足音を立てる恐れがある。仮に物音を立てても連中の駆動音で相殺されるかもと思ったが、それを置いても探知させられるのではないかと子供ながらに考え、四つん這いで動いたほうが良いと判断した。

 とにかく、あの不快な甲高い駆動音から遠ざかることが先決。

 ひたひた。

 ひたひた。

 ひたひた。

 乾いた土のようで土ではない、粉々になった鉱物が敷き詰められた大地を恐る恐る進んでいく。

 先は見ない、ただ俯きながら一歩一歩踏みしめていく。

 慣れない修羅場で驚くほど悠哉は平静をを保てていた、しかし、心はともかく体は悲鳴を上げていた。胃袋が締め付けられ、だんだんと息苦しくなってきていた。気付けば息を殺すことも困難になり、しゃっくりのような音を立て始めていた。

 極限状態は相当なストレスを及ぼす。体が崩れ始めると心も同様に脆さを見せ始めた。


 誰か助けてくれ。家に帰りたい。


 そう思ってしまうと反芻が止まらない。

 余計なことを考えていると自覚できても、易易と払拭などできず、心の弱音は次第に大きくなり、悠哉は身動きがとれなくなってきていた。


「ゴホッ、ゴホッ……」


 不意に息が詰まり、大きく咳き込む。

 その音を聞き逃さなかった、赤目の異形が宙からにじり寄ってきた。

 悠哉は気付かない。もはや体の自由が効かず、ただ疲れ果て涙を流しながら地面に身を預けていた。


「こちらスコダ02。標的補足」


 言葉は分からなかったが、見つかってしまったことは悠哉にも分かった。

 見上げるとアレがいた。

 一転、これまで押し殺していた声は叫び声になった。

 頭の中が真っ白になり、手元にあった石のようなものを投げつけて、ただ力の限り声になっていない声を叫んだ。

 かん、かんと衝突してきた石が薄い金属板に響く音。赤目の異形がそんなもので止まるはずもなく、ただ静かにマニピュレーターを悠哉に向けて伸ばし始めた。

 その行動がここにきて自分の立場を再認識させる。と。

 故に次の言葉は先程までの喚き声ではなく、具体的なもので。


「助けて!」


 満腔の思いで誰かに呼びかけるものであった。



 連絡を受けたスコダ01は現地に急行していた。

 任務遂行間近となり、移動のさなかブリーフィングを回想する。

 曰くあの少年さえ抑えれば事は成る。

 学者連中の言っていることは理解できない。然るにこの任務の全貌は分かっていないが、肝心の意図は承知していた。この作戦は我らが総軍を敵地へ攻め入らせるための橋頭堡を作る事であると。


「何のこともなかったな」


 未知の土地で未知の敵と会敵する危険性。

 相当な緊張感を以て臨んだつもりであったが、なんとも肩透かしを食らったような結果だ。いや、原住民の無力な子供を捕らえるという、ただそれだけのつまらない任務になにか期待していた自分がそもおかしかったのか。


「スコダ01、応答を」


「どうした」

「救援求む。レムセルが現れました」

「了解した。標的は巻き込まぬよう火器使用は慎重に」

「了解」


 良かった……と真っ先に感じてしまった。

 これはいけない。自然と声が高鳴っていたことをスコダ01は自覚していた。助けを求めたのに嬉々とした声音で対応しては部下も不愉快だろう。気を付けなければ……自戒の気持ちを持った次の瞬間、意識は未知の獲物へと切り替わっていた。

 そう遠くない地点で同じく捜索していたスコダ03の姿が見えた。3機がかりで叩く。2秒も立たぬうちに合流できるだろう。それが敵の最期だ。

 合流ポイントに着いたスコダ01は大きな轍が幾つも刻まれているようなすり鉢状の崖を覗き込んだ。


「見当たりませんね」

「真っ当な地形ではないな」


 風や流水、地殻変動といった自然現象が形成する真っ当な大地でないことは見てみればよく分かった。

 近くに標的がいることは明らかであったが……瞬間、急接近もとい急浮上する物体が視界を遮った。

 スコダ02とそれに張り付いたヒト型の何か。

 石灰色の隆々とした筋繊維、それを取り纏める魚類や鳥類を彷彿とさせる異形の骨格が節々から垣間見える。貝殻上の装甲の隙間に手を入れ込み生物に許された限界点を遥かに上回る膂力で強引にこじ開けようとしている。

 完全に不意を衝かれたようで、スコダ02は抵抗するまもなく装甲を破断され、中枢を剥き出しにしてしまっていた。レムセルは最後の止めをせんと、指先をピンと張り詰め、中枢核を突き刺そうと構える。

 しかし、スコダ01がそれを許すはずがない。

 赤色の光線がレムセルの右肘を透過し、態勢を大きく崩される。

 スコダ01の存在に気付いた灰色のレムセルはそのまま空中で身を捩りながら二射目三射目を紙一重で躱していく。

 無傷で三点着地し、大破させたスコダ02の背後に隠れる。

 伝え聞いた話によるとレムセルは五体をありとあらゆる兵器に変形させる規格外の発展性を持つという。だがその姿はヒトのそれと何も変わらず、鋭利な刃も勇壮な砲も見当たらない。よくできたマネキンのそれだ。

 スコダ02を盾にしたとはいえ、こちらは多勢。スコダ03が回り込み、レムセルのみを狙い定め機銃を放つ。しかし、弾丸がレムセルを刻みつけることはなかった。

 灰色の人形は再びスコダ02を盾にして付かず離れず位置取りを変える。


「浅知恵だな」


 射線が重ならない一瞬を突いて、スコダ01が光線を放つ。

 承知の上だったのか、寸毫の所で胴と頭を貫かれぬよう素早く身をくねらせていた。が、それでも右肩が溶け散った。

 このとき、スコダ01は勝利を確信していた。我々と同じく夢界を知る者として、レムセルとは如何ほどの存在か、相応に警戒していたが蓋を開けてみればそう驚異でもないことがわかった。無視できるほどではないにせよ攻撃力も防御力もこちらが優位にあるとみて間違いない。

 


「これで終いではないだろう。どれ、もう何度か小突いてみれば化けるかな?」

「それでは私が」と応えるスコダ03。

「よし。スコダ02、生きているなら援護してやれ」


 こちらの優位性を確信しているのはスコダ03も同様の様子だった。だからこそ強気にもやや前進し白兵戦に臨む選択をとった。

 前方からスコダ03の銃撃。

 しかし、またしてもスコダ02の影に隠れる形でレムセルは逃れようとする。

 芸がない、とその場にいた全員が同様の感想を持ったが次の行動に瞠目することとなった。

 残った左腕をスコダ02に突き入れたかと思いきや、その引き抜いた腕が砲塔のような形状に変化していたのだ。

 呆気にとられている隙に轟音が響き渡り、スコダ03の正面装甲が大きく歪んで……否、破砕されていた。


「無事か」

「なんとか」


 戦闘スーツはあえて装甲を柔らかくすることで、衝撃を分散する構造になっている。どれだけスーツが破損しても核となるパイロットルームには一切攻撃が伝わらないように壊れ方にあらゆる導線が仕組まれている。

 逆にパイロットルームは持ち得る技術全てを注ぎ込んで錬成された複合装甲により、超絶的な防御力を有していた。叡智の炎を含むヒトの持ちうる全ての兵器を零距離で受けたとしても一切傷がつかない、現行の文明では逆立ちしても届き得ない代物。

 それでも、決定的な一打であったことは間違いない。

 数の上ではこれで互角の一対一。

 戦況はレムセルに傾いていたが……。


「面白い特性だが、そう簡単に使いこなせると思うなよ」


 胴に拳1つ分の風穴が通っていた。

 射撃時の反動制御ができず、左肘が伸び切って大きくよろめいていた。

 スコダ01はその隙を逃さなかった。

 砲は見事に命中。先刻まで見せていた機敏さが失われてしまったのだ。

 膝から崩れ落ちてそのままレムセルは微動だにせず、沈黙した。

 

「お見事です」

「世辞はやめろ。単機を相手にこのザマではな……スコダ02、あれはどこから来た?」

「すみません、突然のことで……標的の背後から表れたと思いますが……」

「また呼び出されては敵わん。応援を呼ぶ」


 僚機が身動きの取れない状態だったので、スコダ01は標的のいると思しき、螺旋状にアーチがかった崖を降下していく。

 中々厄介な地形だ。地形のうねりが隠れ場所を増やしていて手間取らせる。先の戦闘で時間を稼がれ、仮に逃げ切られてしまっては元の木阿弥どころの騒ぎではない。

 しかし、それも杞憂であった。

 標的である件の少年の走り去っていく姿が、彼方に見えた。

 

「もうひとりいるな……女か」



 悠哉が助けを求めたときにそれは現れた。

 目の前には赤目の宇宙人がいて、自分を捕らえようとしていた。

 赤目は何かを分析しているのか、絶えず明滅しながら高速で右へ左へと忙しなく動いていた。声も出せずただ引き攣った顔でそれを眺めていると、古臭い洗面台に備えられている金属製のチューブのような触手が伸びてきていた。そこにきて、声を張り上げて助けを呼んだ。

 今まで助けてくれなかったのにはっきり声にすることでようやく姿を現すなんてまるで特撮ヒーローのような都合のいいタイミングではあったが。

 何もなかったはずの背後から無機的な腕が伸びて、触手を掴んだかと思いきや勢いよく飛び出して赤目の巨体を抱え込んだ。そして、悠哉から遠ざけようと崖の上に、つまり悠哉から見て上層へ移動したのだ。

 何が起きたのか、確信はなかったが悠哉は理解できていた。突然現れたあの人型は自分の呼びかけに応えてくれた味方で、謎の追跡者と戦うためにこの場に参じたのだと。

 今、何をすべきか?依然変わりなくこの場から逃げる事だろう。

 それがこの瞬間も時間を稼いでくれている助っ人に対する礼儀でもある。

 しかし、悠哉の体は動かなかった。中学上がりたての少年には全くの初体験だったのだが腰を抜かしてしまっていたのだ。動かねばと分かっていても、体はぴくりともしない。胸中では焦燥に駆られ、絶えず動け動けと念じているのだが……第三者からはただ呆然と壁に寄りかかっているだけにしか見えなかったろう。

 数分立って、心がほんの少し落ち着いた頃だ。

 戦況が全く伺いしれない位置に悠哉はいたが、激しかった発射音が鳴り止んだので、一区切りがついたのだと思った。恐らく、呼び出した人形の敗北という形で。

 その間も全く動けず、これでは元の木阿弥になるというところで悠哉は一つ気づきを得た。

 つい先程、灰色の人形に助けられた事を回想する。自分は具体的に要求を声に出した事で、つまり助けを求めてアレが呼び出された。であれば、もう一度再現することは出来ないだろうか?

 自分にそんな異能力があるとは思えなかったが、試してみることにした。

 掠れ気味で息を吸うことも精一杯だった喉から無理矢理に声を引き出した。


「誰か……ここから逃してくれ」


 誰かが、自分の手を引いた。







 

 



 

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