第6話 再び夢中へ
そこはまさしく空中庭園だった。
雲の上に陸があり草木が生えていた。とても美しい華華が咲いていた。
だというのに日照りは弱く、まるで黄昏のようにただ温もりだけがあった。
一面、黄色い日差しが包み込んでおり、天上楽土のような地平であった。
裕哉はその情景に暫くの間呑み込まれていたが、あるものが目に映った。
それは巨大な赤目の騎兵だった。
耳障りな甲高い駆動音とともにがしゃんがしゃんとこちらに向けて歩んできている。反射的に、悠哉が逃げ出した。
今の状況を夢か何かだと思っていた悠哉にとって情報の吟味するという考えはなかった。ただあの赤目が禍々しく感じたから、根拠はなくともそれを恐れたから。気付けば走り始めていた。
「はっ……はっ……なんだよ……あれ」
独りごちてみても誰も答えてはくれない。赤目の騎兵は3機ほど、依然変わらずこちらを見据えながら前進してくる。重火器のような武器が箇所箇所に見受けられるものの、使用してくる気配はない。ただ、こちらを逃がす気はないように思えた。
追いつかれない事を祈りながらただ息を切らして走り続けるのみだった。
「っ……」
この奇妙な陸地は平地ではない。形状し難い歪曲をしており、岩場も多い。身を隠せる場所はそこかしこにあるはずだ。体力には限りがあるし、こうして走り続けていてもきりがない。ある程度距離を離した所で地形を利用して敵の視線を切り、どこかに隠れてやり過ごそうと悠哉は考えた。
緩いスロープ状になっている坂道を下り終えて、後ろを振り返ると例の騎兵は影も形もない。ここで身を隠そうと意を決して、手近な小さな横穴へと潜り込む。
足を抱いて蹲り、目を瞑ってただ何もかもが通り過ぎることを祈っていた。
「なんなんだよ……」
感極まって漏れ出た声は誰に宛てられたものでもなく……すすり泣きながら悠哉は声を押し殺そうと我慢した。
「こちら、スコダ02。標的を発見できず」
「スコダ03。同じく」
「了解した。引き続き捜索されたし」
忌々しい……分隊を率いるスコダ01は子供一人探し当てられない現状に苛つきを覚えた。
こちらはもとより片道切符を買ってここに来ているのだ。本体との連絡通路を確保することができれば作戦成功となるが、その最初のステップで躓くとは。
少年を確保することは容易だと認識していたが、どうやら甘かったらしい。こちらの計器類では少年の位置はおろか、自分たちの現在地すら補足できない。夢界が異次元であることは百も承知だが、だからこそそういった空間で作戦行動を取ることは初めてであった。それもこの地は自分たちの知る夢界とは全く異なる。恒星の日が刺し、大気のようなものがあり、およそありえない高度に陸地と草花がある。これを人間たちは幻想的と表現するのだろうがスコダ01にはただただ不気味であった。
「まぁ子供の足ではそう遠くまで行けん。じっくりと探し出すさ」
危険ではあるが、この調子で進めば決して困難な任務ではないと考えていた。
ただ、子供を捕らえるだけなのだから、当然だ。こんなもの誰にでも出来る任務だ。
懸念を挙げるなら、やはりレムセルの妨害だろう。断片的な報告のみで不明点も多いが連中の戦闘能力は侮れない。もし相手をすることになれば、現在の戦力で確実に処理できるかどうか……もっとも戦闘になればそれはそれで面白い。この任務は偵察でもあるから、戦闘データは取っておきたい。
もっとも、奴らがこんな上空に出現すればの話だが……。
あの少年に接触すれば防衛反応としてレムセルが現れ、すぐさま戦闘に発展というシナリオも想定していた。だが、そうはならなかった。少年は人類にとってのアキレス腱ではないのか?まだまだ不明点が多すぎる。
「まぁなんであれ……好奇心が満たされるのは快感だ」
そう、長く生きていてもこんな刺激的な体験はそうない。眼の前に広がる非現実的な光景も全て貴重なものだ。この瞬間も撮影し記録に残し続けている。後でいつでも見返せるように。
「スコダ01に報告。少年らしき反応を検知。これより確保する」
「了解。丁重にな」
下らぬ思考を走らせているうちにどうやらゲームセットのようだった。
きりかは全力で疾走していた。
力の限り、声を振り絞って。
「悠哉くん!」
無人の廊下で空しく声だけがこだまする。敵に見つかることを承知で声を張り上げているのだが、何も起こらない。
きりかとカエシが今いる場所は、彼女らがエンプーサと戦った教室棟だった。
「見込みが甘かったか。至近距離で眠ったからといって、同じ場所に入り込めるとは限らないというわけだな」
「どーすんのよ!何かアイディア出しなさいよ!」
「そういわれても……少年の情報がなさすぎるのだよ……」
カエシはずっときりかの背中に掴まっていた。どうもこちらの世界では実体を持てるらしい。カエシは申し訳無さそうに、指のない手で頭を掻いていた。
「あんた、悠哉くん目当てで地球にきたんでしょうが!前もって調査したんじゃないの?!」
「知っていることといえば住所くらい。情報量は君と変わらん。いや、市町村単位でしか知らされていなかったから、番地まで調べ上げた君以下の情報量だな」
「ッ……使えないわね」
毒づきながらもきりかは足を止めない。廊下を爆進しながら、部屋を回りきったと思えば上階へ登り始める。
こんなサイクルを先程から15分は続けているが一向に息が切れる気配はない。
通常、人間の全力というものはそう長く保たない。全力とは力が上昇しきったピークを指すものであり、陸上選手ですらいわゆるトップスピードはものの数秒が限界、分単位の維持などありえない。それを可能とするのは正真の鉄人だけだ。
いよいよ人間離れしてきたと、きりかもカエシも感じ始めてきた。
先日の戦闘できりかの中の何かが変わってしまったのか。当たり前にこれくらいの動きを実現できてしまっていた。
「ずっと登り続けてるけどこれが正解だと思う?」
「分からん。いささか無軌道ではあると思う」
焦るきりか。自分が冷静だという自覚が持てなかったので、気付けばカエシに意見を求めていた。
カエシの返答は明らかに含みがあって、静止を呼びかけてきていた。
しかし、特になにか不快に思うことはなかった。他ならぬ自分がカエシの諫言に納得していた。先の質問も今の状態のままは危ういと感じていたが故に繰り出された言葉だった。
落ち着いて考える必要がある。
「じゃあどうするの」
「立ち止まって考えてみよう」
すかさず、前方に向けて右足を前に出し急ブレーキを掛ける形でそれまで全力疾走だった五体を無理やり止める。
気を取り直してあたりを見回してみると、教室棟の景色は一向に変化がない。唯一、変化があるとすれば、廊下にあるフロアの表記『253』の文字であった。
「随分走ってたのね」
「振り落とされるところだったよ」
実際、とうの昔に握力は尽きていて、どこでカエシが地に落ちていてもおかしくはなかった。ただ、きりかが手で支えながら走ってくれていたからそうはならずに済んだ。厳密には抱きかかえてる格好であったが。
「まずひとつ、このまま上の階に登り続けていればいずれ少年を見つけることが出来るのか」
カエシの疑問は語弊がある。ただすべての部屋を虱潰しにしているだけで、その結果として上の階に登っているのだ。決して上へ登っていればそのうち見つかるだろうという見込みあってのものではない。
「分かっているとも。だがそのサイクルを253回繰り返して尚見つかっていない」
「それは……この建物の大きさからしてしょうがなくない?だって信じられないくらい高いもの。ここのどこかに居るならそりゃ見つからないわよ」
窓から顔を出して上を覗き込んでみても分かる。屋上が見えないほど、誇張抜きで空に届くほどこの校舎は高く、現在位置はまだ全体の2割にも満たないほどで、例えるなら軌道エレベーターかのような巨大さ。際限ない階層構造は、現実にはきっとありえない不合理を孕んでいるのだろうがそこは夢界、こんな頓珍漢な建物も成立してしまうのだろう。
「そこだよ、きりか。『この建物のどこかに居る』という前提で動いているが果たして正解か?」
「いや……でも、それを除いて考えても始まらないでしょ。カエシの言ってる事はわかるけど」
「この可能性は考慮すべきだよ。逆に問うが、まさか校舎を虱潰しにして探せば、その他の一切を無視しても許されると思ってないかね?それは怠慢だろうよ」
ぎくっ。
顔が露骨に歪んだのを感じた。
自分が漠然と考えていたことを明らかにされた気分だった。いや、実際暴かれてしまったのだろう。
やや狼狽えながらも、きりかは謙虚な姿勢に立ち返り、疑問を口にした。
「正直、どこに居るのか検討もつかない……カエシはどう思う」
「この建物内にいると思う」
「おい」
流れを断ち切るように即答するカエシ。
こいつの相手は徹頭徹尾こんな感じだから疲れてくる。恐らく本人の中では一筋の線で話が通っているのだろうが……。
「勘違いしないでくれ。要は君のアプローチの仕方に問題があると……」
「いいから。いいから続けて」
「うむ。図書館での状況を考えると、やはり近い座標に飛んで居ると考えるのが自然だと私は考える。となれば、悠哉少年はここにいる可能性が高い」
「でも、いないわよ」
「夢界ならば、位相が異なる場合があるのかもしれない。きりか、この校舎に見覚えは?」
「見覚えって、前回ここで戦った場所としか」
「そうではない、例えば学生時代の学び舎と似てはいないかね?」
口元に手を当て、思案する。冷静に記憶を掘り起こす。
……暫し考えた後。
……いいや、似ていない。最初からこの場所に既知感はなかった。
「知らないわね。外観が全然違う。こっちは淡白な色合いだけれど、私が通った学校は明るい塗装がされてた」
「ならば、この夢界を形成しているのは君ではなく悠哉少年の可能性が高い。それがそのまま所在のヒントにもなるのではないか?」
カエシの言葉を反芻し、ある事に思い至る。自分の行動に足りていなかったのは何か、人影を追っていただけで教室そのものを調べていなかった。
清水谷くんの調書にクラスや出席番号も記されていた。
「たしか一年C組の……出席番号は15番」
教室の札を見ると『1ーA』『1-B』『1-C』という表記が目に映る。
なるほど、異常だ。
「なにか分かったのか」
「1階は事務室や保健室があるから、中学1年生の教室は2階、二年生は3階……って感じで、大体学校の校舎ってのは学年ごとの教室と階層が決まってくるもんなのよ。」
「253階に1年生の教室があるなんておかしな話だと」
「そういうこと……なんで疑問に思わなかったんだろう」
蒙が開かれた気分だった。自分は何一つ見落としていない。どれほど登っても変わらない教室の札も配置の変わらない机と椅子も、全て見てきたはずなのに。この空間のせいか、何も疑問に感じなかった。
恐らくカエシの言葉がきっかけだったのだろう。あれがなければ永遠に何も気付かないままであったに違いない。
「悠哉君の席は確かど真ん中……のへんだったはず」
机の中に詰め込まれた本を取り出す。その奥に、教科書で遮って見えないように置かれた小説が一冊。深い山林に入ろうとする旅人の背中が描かれた表紙、彼が図書館で読んでいた本だ。
無言で本を開き、読み進める。彼とのつながりを辿るために。
自然と自分がすべきことが分かっていた。
このまま文字を追い続けていけばどうなるか。
ぴょこんと、頭から何かが顔を出してきた。肩から這い上がってきたカエシだ。
「何かね?私も読みたい」
それなりに大きな生物、それも見た目が芋虫状の何かを頭に乗せるという体験は初めてだったため、背中を悪寒が走ったことは言うまでもない。
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