第4話 夢落ちⅡ

 自分がどういう存在なのかについて気付き始めたのは中学生の頃だった。


 どうやら私は強いらしい、物理的に。


 両の手で数えられる程度の歳ならば女子が男子を正面から倒すことがあったとしてもそうおかしくはないだろう、珍しくはあれど不思議がられはしない。

 だが第二次性徴を迎え、女は女らしく男は男らしく変化する時期にあっても尚、私は男子に対して常に優位であった。腕相撲をすれば男子が相手でも誰であれ勝ったし、体育の授業では常に男子以上の結果を出した。こうなると流石に私を見る周囲の目が変わった。

 あちらとこちらは違うはずだと、そのように常識は語りかけてきたが残念ながら、実感として私が男子に対して何かハンデやコンプレックスを感じたことは一度もなかった。ただ全力を尽くした結果、自分が常に一等であっただけ、それでも異常な空気を感じ取ることは出来た。次第に男子からも女子からも平等に気味悪がられ始めた。まぁ同時にそれなりに女子からは尊敬を集めたと思うが。

 そんなとき決定的な事件が起きた。クラスでも有名な矢島という喧嘩っ早い不良が勝負を挑んできたのだ。いきなり目の前に現れ挑発したと思いきや殴りかかってきた。彼がやりたかった事は単純明快。一位であった私に皆の前で顔に傷をつけ、敗者として晒し者にしたかっただけ。せいぜい2日3日、保冷剤やガーゼを顔に着けて登校する私をみてけらけらと笑い溜飲を下げたかっただけに違いなかった。

 だが、彼の思惑通りにはならなかった。彼の拳は空を切り私の拳は彼の鳩尾みぞおちに深く沈み込んだ。彼は倒れ伏して、暫くうずっていたがやがて鼻と口から血と吐瀉物を垂れ流し始めた。

 その日、ようやく私は深く理解することが出来た。女の身でありながら自分は、少なくとも学年という一つの集団の中で一番強い人間なのだと。体育の成績を知っていた親もこの件で娘の真実、その一端を知ることとなり、やはり私に対する目が変わってしまった。自分と世間とのズレに悩み始めたのはそれからだ。

 多少身体能力が高いからなんだというのか、大人になった今ならそう一笑に伏せるが多感な時期にあってはそうもいかない。事実、周囲の目線がまるで異物を見るようなそれであったのは間違いなく辛いものだったのだから。

 暫く、人との交流を絶って引きこもっていた事もあった。

 だが、そんな私に対して両親は優しかった。早々に答えを授けてくれた。


「きりかはその力を人のために使うといい」


 そういって泣いている私を慰めてくれた。私はその言葉を己の使命として受け取った。もっとも自分はドライな性格で正義感といった殊勝なものは持ち合わせてはいなかった。ただ、自分の力に対する認識として、人生の指針として『これ』は世のため人のために使うべきだと、親の言う通りに結論づけた。そして、そのように生きることにした。

 要は孤独感を使命感へと昇華させることで心の平衡を保ったのだ。まだ中学生だったが、警察官を志望することはこの時、決めていた。

 強いということ、これまでの青春時代はそれを自分の属性と割り切って生きるために必要な儀式だったのだ。そうして私は警察学校で訓練に励み続けたのであった。

 驚くべきことにそこでも私は驚異的な力を発揮した。純粋に腕力だけなら見劣りすることもあったがそれでも男の上位陣に食い込めており、トップ争いに参加することはおろか、一等に輝くこともあった。

 じゃあ、自分は天狗になっていたのかというとそうでもない。普通であれば益々己の強さに自信を持ち、調子に乗るのが当たり前だろう。しかし、その頃の私はむしろ飄々としていて、気楽に構えていた。強いことがコンプレックスだった時期を脱し、いちいち卑屈になるような感性など拭い切って、余裕があったからだ。事実、強いことが一体何の損になるというのか、強さを求められる今の環境にあっては自分にとって福音でしかない。だからといってそれを鼻にかけるほど子供でもない。

 そして、余裕を持つことで見えてきたものもある。私は己という存在の異質さと向き合っているうちに、一つの確信を持ったのだ。

 恐らく自分は孤独ではない。上には上が、随分いるのだろうと。



 無人の荒野。

 呆けていた私は視界に映る一面の黒々とした残骸に意識を向けた。敵を全滅させてからどれだけの間、寝ぼけていただろう。機械にとって時間とは全て等価である。待機時間が1秒でも365日でも同じことだ。決められた時間に決められたことをこなすだけなのだから。

 よって、今この瞬間に意識が表層化したのは一つの意味があった。


「こちら、セスタス01。セスタス05応答されたし。休憩は楽しめたか?」

「は、隊長。心地よくまどろんでおりました」

「それは結構。次の任務だ」

「はい」

「俺に随行してドグマへ降下してもらう。セスタス07にマーカーを取り付けてもらうからこっちまで自力で飛んでこい」

「yes sir」


 久々の通信に事務的ながら熱を帯びた声で応える。

 これが本作戦の大詰めになるだろう。そもそも地下に最終兵器があるとかいう触れ込みで我らセスタス部隊が派遣されたのだ。戦争に勝つだけなら上空の宇宙艦隊だけで十分事足りる。

 

 ぱきぱき、ぴきゅうん


 空間がひび割れる音と共に分解された私は次なる座標へと飛んだ。

 肉体の崩壊はある種の死を意味しているが問題ない。壊してまた作り直す。レムセルは決して滅びない。

 感覚としては、生物の就寝に近い。寝る前と起きた後とで肉体と精神の状態はまるで違う。主観的に見て大きな変化が起きたように感じてもおかしくないはずだが、そのことに対して生物は別に苦痛だとか快楽だとかはいちいち思わない。そういうものだからである。同様にレムセルもまた、肉体がかき消えてからまた作り直されてもどうとも思わない。

 意識が飛ぶと幾何学模様の空間に魂が弾き飛ばされた。

 あらゆる時間が同時となり、あらゆる距離がゼロであり無限となる世界。

 模様のうねりのどこかに身を投じれば指定の座標に辿り着けるだろう、そのための目印は既に取り付けてある……見つけた。赤い真円が刻まれた、一際アーチがかったうねり。


「あはは」


 最初からマーカーなど不要だ。赤い真円、隊長の膨大な質量が上位の次元にも影響を及ぼしていた。



 

 地下数百メートルほど潜った深淵。その底に広がる大空洞。

 うねりに飛び込んだその先へ、隊長……セスタス01がいた。

 我ら10人の鉄拳セスタス部隊を束ねる分隊長、数多の星々を滅ぼしてきた殺戮者。

 その頭部は魚類とも爬虫類ともいえぬ、目や口に当たる部位が存在しない名状しがたい意匠、強いて輪郭だけを捉えるなら御伽話の竜が近いか。その体表は赤黒く、鍛え抜かれた隆々の筋肉が力強い存在感を放つ。他のレムセルと異なるのは四肢がヒトのそれで何の武装も保有していないという点だろう。少なくとも見かけ上はそのようにしか見て取れない。

 最強のレムセルは鋼鉄の手すりに手をかけ眼下の何かを見下ろしていた。


「あれが最終兵器とやらですか?」

「報告を受けていない。恐らく司令部もどんな形状かなど把握していないのだろう」


 見たままを表現するなら、船や航空機に備え付けられるような、巨大な機関部のような何か。鈍い黒々とした表面から緑色の光が所々から漏れ出ており、けたたましい騒音が絶えず鳴り響く。ヒトの鼓膜であれば秒で破れ、ただよう臭気ガスに耐えられず狂っている事だろう。


「壊すとしても……どこから手をつけるやら」


 この局面でセスタス01もとい隊長が自分を選んだ理由が分からなかった。破壊力に関して言えば他の隊員のほうが優れている者がいるだろうに、何故私なのか。


「いよいよとなれば星ごと宇宙の藻屑に変えてやるさ」


 隊長はあっけらかんとした様子で最終兵器に見上げる。


「セスタス05、この兵器をどう思う?何か感じないか?」

「そう言われても……いえ、分かりません。何なんです?これ」


 不意の問いに答えられなかったのは呆然としていたからではない。分からない。理解できない。直感だが、この兵器はとてもおぞましいものだと、心の奥深くで警鐘が鳴っていた。

 滲み出る緑色の閃光一つ一つがこれは良くないものだと、本能が告げているのだ。

 探知神経を広げてみると空間内の情報量が僅かに減少しているのが分かる。ならば、この場のなにかを吸い取ってなにかに変換しているであろうことは推測がつく。


「とりあえず、斬ってみましょうか」


 差し出がましい物言いだが、こんな場所に長居などしたくない。とっとと任務を遂行したい。私は両手から生えている刀を軽く交差させ、上官に目を向けた。


「お前じゃ無理だよ。俺がやる」

「じゃあ、何のために私呼んだんですか」

「連絡係……兼、回収係。俺がこれぶっ壊すから、爆発する前にすぐ来た道を通って地上に戻れ。そんで隊員全員を拾って1光年ぐらい先まで退避」


 露骨に肩の力が抜けたのを感じた。そうなのだ、結局この人は自分の力で何でもかんでも解決しようとする性格なのであった。

 嫌味の一つでも言ってやろうか。いや、縦割り社会に生きるサラリーマンの如く上司への気遣いを忘れない私にそんな子供じみたことは出来ない。

 はいはいわかりましたよ、と言わんばかりにへらへらと肩をすくめた。せめてボディーランゲージで若干の不服を表明してもバチは当たるまい。


「悪いな。こういうときでなきゃお前の剣術を拝みたかったんだが」

「いーですよ。早く終わらせてください」

 しかし、全員回収となると会いたくない奴とも顔を合わせなければならないではないか。嫌な思いはしたくないが……これで作戦が終わるとなれば我慢するべきだろう。

「任せろ」


 隊長は右腕をぶんぶんと振り回しながら手すりの上に飛び乗り、前のめりにふらっと身を投げ出すとやがて対象に向かって超音速の速さで吶喊した。

 空間全体が朱色に染まったのではないかと錯誤したのはそれほどに超超高エネルギーが放出された証左だろう。兵器として強力なレムセルの中にあって尚、理外と表現せざるを得ない純粋な力の発露。

 赤い閃光が最終兵器と激突する瞬間を視認することは出来なかった。見届ける前に、元いた座標にとんぼ返りしたからだ。結果を見るべきかとも思ったが激突の余波を喰らえばレムセルの肉体といえど保つ確証がなかった。恐らく判断は正しかったと思う。

 直前の事象を振り返っている暇はない。与えられた仕事をこなさねば。


「セスタス07。皆のマーカーは」

『設置済みよ。いつでも』

「了解。全員そっちに転送してから、もう一度ジャンプする」


 時間の猶予はない。目の前でマントルに押し上げられ、地殻がめくれ始めた。

 異常事態はセスタス01の攻撃が星の核まで届いたことを意味していた。

 ひび割れる大地、そこから吹き出るマグマ。砂漠を押し潰すほどの大瀑布。

 この星は死に始めたのだ。




 朝の日差しが入るようにカーテンは常に開けたまま。

 まどろみ、まだ眠っていたい自分を叱咤するように陽光が瞼の隙間から入り込む。

 何か、怖くて途方も無い夢を見ていた気がするが靄がかかって全く思い出せない。ろくでもない悪夢を見たせいか寝汗でびっしょり布団が濡れていた。何やら猛烈な不安を抱いていた気もする。体は正直なもので無意識に自分の肩を両手で抱き締めていた。形状し難い不安感はそうして暫くしていると脳裏から溶けて消えていった。

 とりあえず、今日のことを考えよう。

 まだ時間はちょっとだけ早い。シャワーを浴びて汗を流して出勤までの準備をしても、署には十分間に合う。朝食は適当に食パンとアイスコーヒーだけでいい。メイクは……まぁ通勤中に車内で済ませてしまおう。


「確かに20分ほど猶予のある行動予定だ。だが大丈夫かね?君はトイレと朝の通勤ラッシュによる渋滞を加味して考えていない。記憶から読み取れる経験則から算出すると、より正確には1分32秒ほどしか余裕はないぞ」


 うるさい。少し黙ってろ。

 朝になれば全て元通り。日常に回帰したなどと、なんとも甘い考えだった。

 口うるさい『非日常』が頭の中でこびりついて離れない。


 



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