第3話 夢落ち
きりかとカエシは教室棟のなかで比較的損傷の少ない一室にいた。
それでも戦闘の余波で無残なものだ。天井は切り裂かれ上階が垣間見えるし、窓辺は一部崩落している。そこから見える景色は殺伐としたもので、この世界には学校の他に何もないのか、外は砂漠がただ広がっていた。
壇上にカエシ。相対するきりかは学生の席に座り、さながら授業を受ける少年少女のように難しい顔で頬杖をついていた。ちなみに体は全快し、刀剣と化していた右手は自然と五指揃ったヒトの手に戻っていた。
「さて、どこから説明したものか」
カエシの丸い目とギザギザの口が特徴の顔つき、小学生が鉛筆で書いたようなでデフォルメ顔が緊張感を失わせるものの、言葉は真剣そのものだった。
カエシは黒板を利用した図で何かを表現したそうだったが、芋虫の如き体躯ではチョークすらまともに保持できない。しかし、諦めていないのかリーチの足りない手足でチョークをふるふる構えようとしていた。
平時であればその仕草に頬を赤らめ、可愛らしい珍生物に萌えていたかもしれない。だが命のやり取りを終え、かつてないほど
「そのままでいいから……」
「むぅ……図解したほうが分かりやすいと思うのだが」
放っておけばいつまでもカエシは悶々として講義を始めなさそうだったので、こちらから切り出すことにした。
「この世界は何?」
「
いわゆる、ドリームランド。夢の世界。距離や座標の概念が存在しない、単純な歩行や飛翔では到達できない異次元空間。
「実のところは言葉の通り、我々が長年に渡り単なる裏の世界と定義していたものが、君たちの星では全く違うあり方を示していた。これを解き明かすために我々は派遣されたのだよ。」
裏世界と、カエシの語った言葉の意味は要領を得なかったが、その印象が思わず顔に出ていた。思うまま所感を口に出してみる。
「ごめん。全然分からないから分かりやすくお願い」
「我々が認知していた裏世界には何も存在しない。厳密には幾何学模様の背景が広がっているが、そこにはオブジェクトが一切設置されていない。レムセルもエンプーサもいないし、こんな学び舎だの砂漠だのといった風景自体成り立たない空間なのだよ。しかし君たちの星系では違った。これは中々、衝撃の新発見でね」
要は地球の裏世界とやらがカエシが住まう母星の裏世界と違いすぎるから調べてみる気になったと、そのフィールドワークに自分は巻き込まれたということか。
まぁ、それならそれで平和的でいい。別にレムセルだのエンプーサだの奇妙な怪物共の正体など知りたいわけではない。自分の右腕が刀に変化したのはとても気になるがそれも悪い夢と思って忘れよう。
「良かった。私はてっきり君たちが地球侵略に来たのかと思ってたわ」
「いや、実はそうなんだ」
「…………………ええぇ」
天然か。よしんばそれが事実だとして私に伝えるべきことなのか。完全に言葉を選ぶという概念が欠落しているだろう。情報を全て伝えることが誠意と思っているのなら、ますますかつての同僚を彷彿とさせる愚直な朴念仁ぶりだった。
「うん、ひょっとして今この瞬間って私が貴方を殺さなきゃいけない流れなのかな?人類代表として」
「誤解しないでほしいが私は戦争反対派なのだよ。だからこそ、まず調査に乗り出したのだ。想像してみたまえ。裏世界、いや君たち流に夢界で統一しよう。我々はその夢界を主にワープ航法に用いている。物流のほぼ全てを担う我が種族においてなくてはならぬ代物だ。無論、ワープ航法は我々に無量の祝福を与えたよ。だが実はそれ以外の、否、それ以上の可能性を秘めていたとしたら?そして我々が知らぬ使い方を君たちが既に知っているとしたら?」
「強大な力に対して、より深く理解している相手に自分たちは喧嘩を吹っかけるべきか、気になったってことね」
「その通り」
カエシの言い分は概ね理解できた。やはり実直な性格なのだろう。自分は無害な人間ですよ、とアピールして警戒を解くことはコミュニケーションにおける基本だろうに侵略戦争の下りを伏せない辺り、その手の打算がまるで見受けられなかった。その天然さで結果的にきりかの信頼を勝ち得ているのだから正解ともいえるが。
未成熟な男性を見るかのような目で半ば呆れていたのだが、カエシは気にせず、説明を続けた。
「つい最近まで理論でしかなかったが夢界は三種の物質で成り立っていることがわかった。モーフィアス、ポペドール、ファンタニカ。そのうちモーフィアスとは夢を形作る全ての素材、現在夢界で構成されている我々の肉体もこの建造物も全てモーフィアスでできている。長らく夢界はこの単一の物質で成立していると考えられてきた。だが我々はこの宇宙で君たちという存在を発見した。そして、君たち地球の夢界を調査することでモーフィアス以外の物質を裏付けられるかもしれない可能性を知ったのだ。そして人類種はそれに精通しているのではないかと今日まで議論が交わされてきた」
「へぇ……勉強熱心なのね。それで敵を知るために調査を何度も続けていたと。ところでそのモーなんとかは貴方達が命名したの?」
「恐らく。というのも今や行方不明になった先遣隊が当たり前のように使っていた単語でね。
自分たちが優位である可能性を懸念しての調査活動。恐ろしいことに『地球は狙われていた』のだ。それも人類より文明の発達した異種族に。
カエシから繰り出される言葉はどれも荒唐無稽な与太話だったが、それでも信じるほかなかった。自分の目の前に宇宙人がいて、今まさに異世界に立っていて、確かに真実だと実感しているのだから。
「未だに戦争になっていないのはその調査が終わっていないからなのね」
「いや、ここからが話の本筋でね。第一に軍事行動は既に始まっている。何故なら主戦派が大多数だからだ。警鐘を鳴らしているのは我々だけで人類なぞいつでも捻り潰せると
「じゃあなんで侵略は始まってないの?」
「君たちに手こずっているから。地球の全域には夢界鏡面という結界のようなものが張り巡らされていてね。我々が予想するに対異星人用のキルボックスなんだが、探査であれ侵攻であれ目的を問わず地球文明と接触を果たした『異物』は全てこの空間に飛ばされる。内部にはレムセルとエンプーズが徘徊しており、侵入者は尽く殲滅される。ちょうどつい先程までの私のようにね」
「……うん?」
「何かね?」
「つまり、私達がいま夢界にいる理由はその夢界鏡面に触れたからってこと?」
「その通り。私はさておき君までここに来るのは想定外だったが」
すべてカエシに巻き込まれた結果だったというわけか。だからどうということもないが、壇上で講釈を垂れる小動物に対するきりかの視線はさらに冷めたものへと変化していた。しかし、腑に落ちない点はまだある。そも、きりかは突然成層圏まで飛翔、もとい浮上し、
「君は特別なんだろうね」
こちらの思惑を見透かすようなカエシの言葉。
特別と言われても思い当たるフシはない。強いてあげれば女だてらに腕っぷしには自信があるが当然訓練した男にはかなわないし、別に女性の中で一等ということもない。まぁ仮に日本中の女性を集めて異種格闘大会でもあれば上位100名ぐらいには食い込めるかもしれないが。
「どうかね?強さに限定して考えてみても、君が卑下しているだけではないかな。素手であの質量の瓦礫を持ち上げる、その瓦礫を生み出した怪物を両断する。論ずるまでもなく君の強さは異常だよ。只の拳で鉄を砕くなど造作も無いだろうね」
それはあのレムセルとかいう怪物から力を取り込んだから……。
いや、カエシの言葉からはなにか別の意味を感じた。こいつは私の知らない私を知っているのではないか。さっきからやけに確信じみた言動が鼻につく。
「よくわからないわ。その話はいいから、さっさと本題に入ってよ」
「ああ、脱線した。我々の種族が君の星を侵略しようとしている、という話だった」
「できるのそんなこと?」
否、できてしまえば最悪の展開だ。
つい先程までの自分の暮らしぶりを思い返すとそんな終末時計の針が頂点を指すような事態は世界で起こっていない。そのはずだ。
「結論を言うとまだ出来ない。が、そのうち出来るとおもわれる……だな。一番の問題点は夢界鏡面に一度放り込まれると脱出できないことでね。一方通行の袋小路に追いやられてしまえば、もう手の打ちようがなかった……これまでは」
「これまでは……?」
「ああ、突破法を発見した。君の存在がその証左だ。我々ではどうすることもできないが、人間を使えば掻い潜れる」
どうやって?そう言ったが、それきりカエシは黙り込んでしまった。
「言えないのね」
「うむ……語り得ぬことには沈黙する他ない」
「私が敵だから?」
「いや、実証されていないからだ」
「バカ正直極まってるわね」
「すぐに分かる」
喧しい騒音。舗装された道を踏みしめる無数の通行人の足音。眩いネオンの光。
きりかが目覚めるといつものそこは見慣れた大通りであった。厳密には先程の自分が歩いていた通りの。
意識が霧がかったようにはっきりしない。
さっきまでなにかしていたような気がする。
どうやら夢を見ていたようだ。感覚としては宙に浮いてどこぞの異世界に飛ばされていたような気がするが、さほど時間が経過したという実感がない。だが、たしかに自分はうたた寝をしていたようでその証拠に背中が少し濡れており寝汗をかいたのだと分かる。
教室の廊下のような場所で大立ち周りを演じていたような気がするが、何分夢のことなのでもう思い出せなくなっている。
かろうじて残っているのはそれが死ぬほど辛い体験であったことくらい、しかしそれも歩きながら往来で渡り鳥さながらに眠ってしまったのだという気恥ずかしさに塗り替えられようとしていた。
(私、寝てた……?)
「寝ていたとも」
(ふぇっ!?)
「やはりと思っていたがこれで実証されたな」
「ど、どういうこと……?」
「喋らないほうがいい。この声は君にしか聞こえていないが、君の声は皆に聞かれてしまうぞ」
ぐっ……なんなんだこいつ。
なんで付き纏ってくるんだよ……。
誰だっけ……名前は……カエシ?だったか。
「思い出したかね。君は先刻までエンプーサという怪物と戦っていた、そしてそれを討ち倒した」
カエシの言葉をきっかけに記憶が克明に蘇ってきた。
そうだ、自分は先程ナニカと死闘を演じていた。
「私が、勝った?」
「そうだ、君が彼奴の頭部を両断したのをはっきりこの目で見たぞ」
馬鹿な話をするなと思ったがカエシの声は幻聴ではないし、記憶と共にあのエンプーサとかいう害虫を斬った感覚が右腕に蘇ってきた。
と、同時に理解する。今この場でカエシと会話できている、それは一つの事実を意味していた……。
「夢界鏡面を突破したということだ。私は条件をクリアーした」
なんとも誇らしげな調子でカエシは語りだし……声に自分の仮説が実証された喜びが滲み出ていた。対するきりかは憂鬱であった。カエシが人界に降りることが出来たのなら、同様の手口で他の侵略者もこちらに干渉できるようになったということ。
「どういうからくりなの?」
「単純な事だ。君が私を無害な存在だと見做した。だから私は地球への入門が許されたのだ」
「嘘でしょ……いや待って、今ここに身体があるわけじゃないのよね?」
「ああ、意識だけが君にへばりついている状態だ。実体はない。ひょっとすると元の体は夢界に溶けたやもしれんな」
なんてこともないようにカエシは返答する。
肉体の喪失、それはともすれば死と定義されかねない一大事であろうに声の調子は全く変わらない。
「当然だろう?長く生きてきたがこんな新感覚は産まれて初めてだよ。実体がない精神の自分なんてね。ああいや、オカルティックな霊魂などというものはこれまで信じてこなかったが、これは常識がひっくり返ったな。霊魂があるならもしやそれが行き着く先も、つまり死後の世界とやらもあるのでは?どう思うねきりか」
「気持ち悪いから黙ってて」
カエシの思考が流れ込んでくる。抑え切れない純粋な好奇心が自分の心に伝播されてくるのが分かる……恐らく、この状態は危険だ。
一人分の肉体に二つの精神、共存はできない。
「つまり、侵略ってこういうことなのね」
「物理的に不可能であればこういう攻略法があるということだな。ああ、今回の作戦概要がようやく理解できた」
「目論見が成功したカエシさん、これからどうするの」
「無論、君の味方を続けるとも。私は自分の意見を翻さない」
「へぇ……どうだが」
「もはや本心を共有する仲だ。探ってみればいい」
と、言われても具体的にどうすればいいのか分からない。今の状態なら読心ができるというのか。
目を瞑ってこめかみに手を当て、自分の内面に居る存在を意識する。
が、平時と何も変わらない。それよりも何食わぬ顔で渡り歩く通行人に気が向いてしまう。ああ、誰でもいいから私の苦労を悟ってほしい。
「味方だというに……」
「うるさい。黙ってろ」
「分かった。信頼の証としてこれを見てほしい」
少し疲れたようなカエシの言葉の後、目の前に一枚のオブジェクトが現れた。目の錯覚ではない、畳一畳分ほどの大きさの写真が現れた。
少年の写真だ。入学祝いにご両親と思しき二人と並び校門の前に立っていた。
桜が舞い落ちる樹の下で笑いながら写真に映っていた。
「私の任務はこの少年の調査だった。この少年こそが夢界鏡面攻略の鍵になると司令部から聞かされこの地球まで来たのだ。だが、私個人は紛うことなき非戦派で、君の味方だ。だからこの写真を見せた」
「貴方の種族はこの子を狙っているのね?」
「間違いなく。恐らく司令部は夢界鏡面の攻略に目処を立てていた、それが私と同じ手法かどうかはさておき、この子がすべての鍵になる。我々種族の手に落ちれば全面戦争が始まるぞ」
きりかはいよいよ、立ち尽くして夜空を仰ぎ見ていた。
カエシの言葉はまるで現実味がなく、受け入れられるものではなかった。
自分は今日何をしていた?ちょっとした捜査の手伝いをして、旨い酒を飲んで帰宅するところだっただろう。
一体何がどうなってこんな目に遭わなくてはならないのか。
「悪い夢だったら良かったのに……」
でも関わってしまった。知ってしまった。
私はもう逃げられない。
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