第2話 変身

エンプーサと呼ばれる怪物。爛れた身を隠すようにボロ布を身に纏い、両腕に鋭い鎌を持ったそれは死神を彷彿とさせる風貌だった。

 振り下ろされる鎌。初撃をかわすと豆腐を斬るようにして壁に一筋の線が刻まれる。

 なるほど。あれは受けたらそれで終いだ。

 きりかはカンヅメ型宇宙人を抱えて逃げ出した。意外にも軽い。


「私はきりか。あんた、名前は?」

「ありがたい。カエシだ」


 エンプーサなる怪物は、鳩が豆鉄砲を食らったかのように立ち竦む。


「逃げられると思う?」

「いや、すぐに追いついてくるさ」


 カエシの言葉の通りに、移動を始めたエンプーサのスピードは尋常ではなかった。ゴキブリを人間大にするとこれほど早くなるのかもしれない。100メートルはあったかという距離がほぼ一瞬で詰められてしまった。

 横薙ぎに振るわれる一閃。

 身を沈めることでどうにか躱したが、尻もちをつき、大きく体勢を崩してしまった。カエシを抱えてもう一度走り出す、という行動はすぐには起こせない。故に、二撃目の対処は絶望的で。


「ごめんカエシ」


 何もできなかった。目の前にいる怪物は当たり前だが本物の怪物で、私はただの人間、当然のことを今更ながら意識させられる。

 次は躱せない。死を覚悟して、カエシを抱き締め背中を向ける。あとは死を待つのみ。


「大丈夫だ」


 カエシからそんな声が聞こえてきた。一瞬の出来事だったから気のせいだったかもしれない。

 轟く爆発音。

 黒い煙にエンプーサが覆われる。

 逃げるなら今だ、と体が反応していた。


「よく分からないけど私ダッシュ!」

「ノンレムだな。エンプーサを追ってきた部隊かもしれん」

「さっきから何!?ノンレムとかエンプーサとか!!」


 そして原初の疑問に行き当たる。


「そもそもここはどこなのよぉおおおおお」

「この世界は見ての通り異次元で……まぁいいとにかく走れ」


 またしても轟音。それとともに燻る煙から複数の影が現れる。

 ヒト型の体躯。その体はゲルのような半透明の素材で構成されているようだった。人間に似た隆々の筋肉が力強さを感じさせる。何より特徴的だったのが頭部だ。銃口が取り付いている。リボルバーのような意匠も見て取れる。


「なに、あれ」

「レムセル。なにといわれても……あれはお前たちで、お前たちの主力だろう?」

「あんな改造人間みたいなの知らないわよ」

「知らないのか?」

「もちろん」

「そんなはずは……まぁとりあえず逃げてくれ。私は両方から狙われる立場なんだよ」


 仮に味方だと言われてもあんな全身凶器の物体に安心感など微塵もないし、近づこうなどとは思わない。今は遁走あるのみである。


「敵の敵は味方にならない?」

「それは知的生命体に限った話だと思う」


 エンプーサを遠ざけようだとか、それがかなわないならせめて、釘付けにしようとか、そもそもレムセルと呼ばれた物体にこちらを援護しようという意思は見受けられなかった。

 煙に隠れていたがかすかに両腕が機関砲の形状に変化していた。それをエンプーサに打ち込み続ける。歩兵が運用する小銃のそれを遥かに超えた威力。発破で建物を解体するが如く、鉄筋の校舎は揺れに揺れて、階段を降りるどころではない。


「どうやら助けに来てくれたわけではないようね。」

「倒壊も時間の問題だな。生存率を計算してみたがほぼゼロに等しい」


 きりかは首肯する。計算などせずともカエシの言葉が正しいことは理解できた。窓から中庭が見える高さとはいえ、目測で二十階ほどの位置に自分たちはいる。

仮に下まで降り切れたとしても果てしなく高い上層のフロアが重力に惹かれ、地面に叩きつけられるわけで……どこにいても生き残れるとは思えない。

はっきりいってあのレムセル達はエンプーサ以上の厄介事といえよう。


「どうしましょう……」


 死ぬ。建物に押し潰されなすすべなく。揺れが大きくなればなるほど、その可能性が次第に現実味を帯びていく。


「おそらく大丈夫だ。この喧しい音もじきに止む」

「どうして?」

「エンプーサは強い」


 上階が吹き飛ばされた。暴風に晒されたかのような衝撃。木材や鉄骨が砕け散り、ノンレムが宙を待っていた。上半身と下半身が泣き別れた状態で。

 石灰や木材の独特な匂いに燻られながら悠然と姿を現すエンプーサ。見る限り無傷でダメージを負っている様子ではなかった。小鳥のように顔を小刻みに動かしながら、獲物を探しているようだった。そして、首が止まった。


「こっち見てない?」

「なるほど。あいつらよりも俺とアンタのほうが珍しいらしい」


 一も二もなく駆け出すきりか。

 馬鹿げた威力はこの目で見た。あんなものに近づかれれば命がいくつあっても足りない。とにかく今は逃げ出すほか無い。それに僅かでも時間を稼げばまたレムセルと戦いをはじめてこちらへの注意が散るかもしれない。


「なんとかする方法はないの!」

「……あるにはある」

「だったら教えて!早く!」

「お前がアイツを倒す」

「へぇ、私が……」

 ………。

 ………。

 ………いや、無理だろう。

「人間はあんなのを倒せるようにできてないから」

「こちらは真剣なんだが?」

「レムセルとかいうのならどうにか渡り合えてたみたいだけど……」

「大差ないはずだ。何故ならお前もレムセルなのだから」

「私は生まれも育ちも日本で、そのレムなんとかじゃないけど」

「生まれ……ううむ面倒だな。解説しようにもお前らの生態は研究途中でよく分かっておらんのだ」


 ぎぃこぎぃこ、とカンヅメ頭を掻くカエシ。声の調子に焦りが見え始めていた。

 問答している時間はない。きりかの必死の走りで距離は離しつつあるがエンプーサの気分次第で一気に詰められ、容易く刈り取られてしまうだろう。一刀両断されたあのレムセルのように。


「というかアンタこそあの怪物どうにかしてよ。宇宙人でしょ?なんかあるでしょインベーダー特有の凄い科学の力的なアレ」

「地球人の期待に応えられず申し訳ないが今身に付けているのは作業用のスーツだ。戦闘はできん」

「え、地球侵略にきたんじゃなかったの?」

「何故そうなるのか。偏った認識を持っていると人心を失うぞ」


 軽口のつもりかは分からないが、謎の宇宙人とコミュニケーションを取れている事実に若干感動を覚えるきりかであった。


「ところで今全力で階段降りてるけど。何処行けばいいんだっけ?」

「戦闘不能のレムセルの所へ行ってみよう。何か分かるかもしれん」


 上半身と下半身が泣き別れたレムセルならば中庭に真っ逆さまに落ちたはずだ。

 きりかはカエシの狙いがわからなかった。故に即答できず……だが、体は中庭に向かうため階段を駆け下りていた。

 思えば、この正体不明の宇宙人とコミュニケーションを取っている現状が信じられないし、カエシの指示も本当なら鵜呑みに出来るものではない。しかし、不思議と猜疑心はなく、素直に耳を傾けていた。


(自分がお人好しだからか、それとも……)


 恐らくカエシという宇宙人の言動に誠実さを感じているのだろう。カエシからすれば私もまた宇宙人。しかし、躊躇いながらもなるべく嘘をつかず誠実に話そうという努力をカエシから感じた。

 それと、刑事課時代の元同僚と近いものを感じているのもあるかもしれない。

 いずれにせよ、従うことに否はなかった。


「知的生命体なら敵の敵は味方、でしょ?」

「素直じゃないか。助かる」


 二十階から一階まで降りる時間は全力を尽くして3分半ほどだった

 花壇にカーネーションが並び、登下校用の下駄箱を置くためのコンクリート状の小屋が中庭にはあった。その小屋を落下の衝撃で半壊させた地点に、ノンレムはあった。仰向けに倒れたまま微動だにせず沈黙していた。


「このあとは?」

「調べてみてくれ」


 何を言うのかと思ったが、言われるがままにレムセルの頬に触れてみる。金属の甲冑に触れているかのような冷たさと硬さを感じる。無機的かと思えばそれだけでなく有機的な人体の筋肉を模したかのようなそれらの意匠が混在した造形であった。当然脈などはなく、二度三度とさすってみるが反応はない。

 カエシの方を振り返って困惑を伝えようとするも、当のカエシもまた何やら苦慮している様子だった。


「動かないわね」

「接触してみても何も起こらんか……」


 直に触れてみれば変化が起きるのではないかと一縷の望みに賭けたが……結果はそう甘くはなかったようだ。無論、彼女に非はない。むしろ異常事態だろうに落ち着き過ぎているくらいだ。

 しかし、これは手の打ちようがない。きりかという女性が唯一この状況を打開する鍵なのだが、実のところその鍵の扱い方を自分は全く分かっていないのだ。中庭に行けと言った自分に対して、猜疑心を押して従ってくれたというのに申し訳がない。


「来た!」


 怒号とともに降り注ぐ瓦礫。

 エンプーサはこちらの刈り取りを優先したようだ。


「校舎に逃げ込め。このままだと潰されるぞ!」


 カエシの叫びを聞くより前にきりかは動いていた。

 それは常人ならば目を丸くするほどの俊敏さだった。しかし、それでも厳然たる人間の限界があり……きりかはあっけなく瓦礫に押し潰されてしまった。


「ふざけるな……認められるかこんなことが」


 自分の過失で誰かを死なせるなどプライドが許さない。

 カエシは機械の四肢を瓦礫の間隙に滑り込ませ、きりかの状態を確認する。


(胴の右半分が潰れているが……脳と頭部は無事のようだ。完全に致命傷だが幸いここは3次元空間ではないのだから、成分の循環が止まってもまだ生きるはず)


 あとは彼女の意識さえ保てれば……アームの感触だけでは意識の有無など判断できない。もはや祈るしかないだろう。

 直にエンプーサが中庭に降り立つ。

 自分は一分一秒でも時間稼ぎをしなければならない。例えそれがどれほど空しい抵抗だとしても、諦観をおくびにも出さず自分という重荷を抱え最後まで走り続けた彼女にせめてもの礼儀を尽くさねばなるまい。

 非力な自分にできることは何か。


(囮がせいぜいだ)


 弱々しくもアームを駆使してどうにか三点倒立するカエシ。あたかも亀の歩みだったが、キリカから少しでも離れるべく移動を始めた。

 必然的にエンプーサの注意はカエシに向けられる。夢界の存在するのはきりか、カエシ、レムセル。この中で最も関心が高い種はカエシのようだった。


(…………)


 ボロ布を纏った処刑蟲は動かない。しかし、銀色の容器を興味深そうに、首を傾けながら見つめ続けていた。

 息を飲み込み、その様子を見守る。もはやいつ刈り取られてもおかしくない距離に居る。

 ____瞬間、風が吹いた。

 からん、と地面に何かが落ちた音がした。いうまでもなく、それは銀色の……。


 きりかはその音を聞いていた。胴が潰れ行き場をなくした血が目鼻耳から噴きでていても辛うじて聴こえていたらしい。金属が地面に落ちる音。碌に聞き取れたわけではないが直感的にカエシに何かが起こったと思った。

 ここで立ち上がらなければ死ぬ。

 意識が朦朧としていたが、それだけは理解できた。故に渾身の力を込めて五体を駆動させんとする。

 三尺はあろうかという巨大な瓦礫を押し除けて、薄く開いた目で茫然と敵を見据える。それは女の力で成し得ない不可能であった。

 あの処刑蟲もこちらに気付いたようだ。

 どうする?決まっている。あの害蟲は切り殺す。

 胴と一緒に潰れていた右腕を見る。先刻までひしゃげていたが、今は肘から先が細い刀に形状変化していた。

 エンプーサは静かに、右腕を振るって必殺の斬撃を放つ。距離はそれなりに離れていた。だがあの剣気はそれを無視して自分の首に届くと直感した。

 故に身をかがめてやりすごし、一気に突貫しようと構える。

 そうしたきりかの所作すらも見越して、先のと合わせて十字を描くように今度は左腕で斬撃が放たれる。

 これは躱せない、真横に跳ねる間もないと理解したきりかは自分の右腕で受けることにした。

 次の瞬間、強烈な圧力が五体を揺さぶった。

 コンクリートジャングルを、戦闘マシーンを豆腐のように切り裂いたそれを防ぐ事に成功していた。

 大きな発見だった。どうやら自分の右腕はあの怪物の刃と同等の硬度を持つらしい。ならば何も憂うことはない。

 右足で地を蹴り、音の壁を超えて急速に接近するきりか。

 狙いは頸だ。

 向こうは二刀。こちらは一刀。ならば斬っても容易に防がれる。

 突きが最も効果的だろう。

 右肘を曲げて、溜めに溜めて……そうして過たず突き込まれた先端は虫の肉に届いた。

 エンプーサは悲鳴一つ上げなかった。ただ全身を蠢動させて、苦しんでいた。

 顔を小刻みに振り、両手をわなわなと動かし、後退りながら、レムセルと同じ粘り気のあるゲルを頸から垂れ流していた。

 そうして暫く動き続けていたがやがて力尽きたのか、その他のレムセルのように地面に溶け落ちた。


「やった……」


 無意識にそう呟いていた。だがカエシはもういない。辺りを見回しても彼の遺体はどこにもない。彼が身に付けていたであろうカンヅメのような宇宙服も見当たらない。両断されて何か意味を失ってしまったからか、目の前の蟲と同じく地面に溶け落ちてしまったようだった。


「……ごめん」

「生きてるぞ」


 ひょこっと顔を出す白い芋虫のような、顔がマスコットキャラのような馬鹿げたフォルムの物体X。


「スーツを自立稼働させて、陽動に使ったのだ。1秒でも時間が稼げればと」

「はぁ…………」


 きりかの意識はそこで溶け落ちる。

 安堵の余り、言葉も出なかった。

 


 

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