第1話 カンヅメの宇宙人

 彼女が目を覚ますまで大体二〇分ほどかかっただろうか。

 グラスを磨きながら閑散とした店内を気怠げに見回す。客は目の前の女性一人だった。


「ひょっとして寝てました?」「ええ」


 寝惚けた顔に苦笑しながらも、既に彼女が次に頼むであろうカクテルを作るための準備が始まっていた。表情を見るとまだ寝惚けているようで軽く目を掻いていた。

 彼女はしばらくグラスを傾けながら呆けていた。


「お疲れの様子ですね」


と話しかけると


「ほんと不思議。なるべく疲れが溜まらないように気をつけてるんだけどね」


 と、寝ぼけた声から急速に声色を正常に戻して声が返ってきた。

 繁華街にバーを構えてまだ日が浅いが、彼女は中々奇妙な客だった。

 バーに連れもなく一人で飲みに来る女というだけでも印象的だが、足繁く通ってくれる割に見るからに面倒くさそうに注文をつけてくる中々やりにくい客だった。しかもかなりのザルで、アルコール度数の高いものばかり飲みながらまるで酔った様子がない。その代わり、仕事の疲れが吹き出るのか常に眠そうであった。決まって彼女は不機嫌で、せっかく店に来てくれたのにいつも面白くなさそうにしている。上手く言えないが事務的な印象すら受けるのだ。オーナーとしては店の雰囲気を楽しんでいただきたいのだが……。せめて酒ぐらいは美味しいと思っていて欲しい。

 嫌そう、眠そう、めんどくさそう、酒に強い。ほら、ちょっと個性的でしょ?

 はっきりいって、何を求めてこの店に通ってくれているのか分からない、というのが正直なところだ。


「何か作りましょうか?」

「あ、じゃあカレーで」

「……」


 これである。別にカレーぐらい作れるが、というかやたら注文してくるので作り置きしてあるが、彼女はバーをバーらしく楽しんでくれないのである。

 自分の美学を詰め込んで拘り抜いた内装もメニューも台無しである。

 改めて私、飛騨康成は彼女を見る。

 いかにもOL然としたレディーススーツを着こなし、パーマを掛けたショートヘア、きつい眼差しの瞳とそれを強調するメガネに端正な顔立ち。まとめると生真面目な性格を連想させる。いかにも働く女性像そのままを描いた美女で……やはり、美女だけに風変わりな態度が気になって仕方がない。というかカレーはもう頼まないでほしい。青いネオンに照らされた店内でそんなもの食べないでほしい。

 いや、カレーを出すバーなんてそれこそ、沢山あるからウチだけおかしいということもないだろうが……ともあれ、贔屓にしてくれる常連客に対して心の中で愚痴るのはよくない。顔に出てからでは遅いし。


「用意万端ですので、すぐに」


 と、そそくさとバー裏でカレーの詰まった鍋を持ち上げる。

 ニッコリ笑う彼女を横目に苦笑いを隠しながら、ふと店内を見回す。

 いつのまにか男性客が三人ほど入っていたようで、小さな声でなにやら話し込んでいるた。注文のタイミングを掴めず困っているのだろうか?

 彼女にカレーを出したら注文を取りに行かねば……そう思って盛り付けを始めた。


「最近、ここで寝ていると夢を見るの」

「へぇ……いつも疲れてるように見えます。きりかさん」

「ほんとよ……この店はひょっとしたらパワースポットかもしれないわね。ここに来ると眠くなるし、金縛りにもよく合うのよ」


 ええぇ……それは自分の店に関わることだけに衝撃的な発言だったが納得できなくもない。微睡んでいるときの彼女はよく苦しそうにしていたから。


「どんな夢ですか?」

「よく覚えてないけど、とてもリアルな夢よ。本当にリアルだけれど夢だと分かるの」


 ははぁ……適当に相槌を打っていたが話はしっかり聞いていた。つらつらと夢の内容を語る彼女の声色に少しずつ熱が帯びてきたから、面倒だがここは聞き役に徹さねばならないだろうと真剣な表情をつくりながら聞き入るようになっていった。


「夢ってさ。脈絡なさすぎて説明できないこと多いよね。特に自分が何故そこにいるのか、とか。現実なら当然説明できること。私がここにいるのは仕事で疲れて酒が飲みたくなったからで、あなたがここにいるのは営業時間だから」

「確かにそうですね。自分自身を説明するのは簡単です」


 一方、夢だと場面が飛び飛びになっても、何故そこにいるのか疑問にも思わない。

そこが夢と現実との決定的な違いであると要はそういうことだろう。遊園地で子供と遊んだと思った次の瞬間に海で溺れていてもおかしいとは思わないように。

 しかし、当の彼女の反応は予想外で。


「普通そうよねぇ……」


 彼女はそそくさと立ち上がり。

 なんと、バッグを背負って背を向け金を取り出した。間違いない。完全に帰る体勢に入ろうとしている。ここからどんなトークが始まるのかと思いきや……夢の話は一体何だったのか。


「もうおかえりですか?」

「ごめん、それじゃ」


 軽く手を降って、お代をおいてさっさと帰ってしまった。

 独特なテンポの人だ……まぁ、気にはならない。

 お得意様を悪く思う店主などそういないのだ。



 静かだった路地裏を抜けて喧しい雑踏に踏み入るとスーツの男が近づいてきた。


「きりか、どうだった?」

「睨んだ通り。あの3人組、クスリの取引してた」

「確かか?」

「まず間違いなく。そういう素振りだったのはしっかりこの目で見た。出てきたトコをとっちめてポケット裏返してみ。何か出てくるから」

「よし。後は張り込むだけだな……」

「だけだなって……お上がこんなコレ知ったら大目玉ですよ。私も時間外労働ですし。第一、部署違うし」


 私、切通きりかは警察官だった。主に事務作業の人間で目の前の男のようなエリート街道を歩んでいるわけではないが。

 今回は先輩たっての頼みということで仕方なく引き受けたのだが……。


「全く、なんで私なんですかねぇ」

「俺達みたいなむさいのが通い詰めたら警戒されるだろ」

「女がいいなら他にいるでしょって話です」

「女性を危険な目に似合わせられんし、お前なら大丈夫だと思ったんだよ」


 直前の発言と矛盾している気がしたが、まぁいい。その罪は何らかの形で贖ってもらおう。


「あの若いオーナーはどうだった?」

「どう見てもシロですね。第一、男性客の出入りがみえてなかったですもの。あれは私の体じろじろみて鼻伸ばしてるだけの助平ですよ」


 曰く、密輸品があのバーで取引されてるとか……オーナーがその元締めだとか……どんな作り話かと思うし、あらぬ嫌疑をかけられた彼が気の毒でならない。

 目の前で麻薬取引が行われているとも知らずに健気に店を切り盛りする純朴な青年を疑ってかかるなんて……。


「偉そうな口を。マイクから貴様が店内で寝ていた事はお見通しだぞ」

「あ、あれは演技ですよ」


 誤魔化しながら踵を返すと、男に背を向けてスタスタと歩き始める。

 もういい、恩知らずめ、話は終わった。この借りは大きいぞ。


「刑事課に戻ってくる気はないのか」

「ありません」


 元気よく別れの挨拶を先輩、もとい上官に告げて去っていく。

 程よくお酒を入れて気分がいいし、このままアパートで風呂に直行してすぐに寝よう。ふざけた任務のことは忘れて。

 鼻歌を歌いながら口元を綻ばせ、夜の街を歩いていく。偶然にもアパートは現在地から近いところにある。このまま繁華街を眺めながら歩いて帰れるほどに。

 気怠げなキャッチや仲睦まじそうなカップル、顔を赤らめて笑うサラリーマン達。自分とは世界の違う人間達を興味深く観察するのは結構面白い。

 今の作り笑いだなとか、胃の中のブツを口から戻すまで後3秒だなとか、注意深く見ていれば色々察せられるものだ。


 _____そのときだ。

 群衆を眺めていると、大きな変化に直面した。何かが、いや全てが止まっている。


「あれ」


 疲れているのか、右手で目をこすって再度開く。異常な光景は変わらない。


「あれれ」


 これは現実か。

 景色の全てが止まって見える。

 みちのく人々は皆停止しており、電光は霧がかったように色が淡くなる。

 まるで、時間が止まってしまったかのように……。


「…………」


 開いた口が塞がらないまま、しばらく呆然としていたが、無情にも光景に何ら変化はない。

 なるほど、これは異常事態だと脳が認識するまで、十分は要したかもしれない。

だが異変はそれだけで終わらなかった。

 突風に吹き上げられるようにして、体全体が浮き上がり、瞬間的に停止して重力を振り切らんとする打ち上げロケットのように体は急上昇を始めた。


(ええええええええええええ)


視界に映る町や人々が見る見る遠ざかり、小さな粒になっていく。


「……!!!………!!」


 愕然として声にならない、顔を青褪めながら事態の異常さから目を背けんときりかは自然と体を丸めて耐え忍んでいた。

 ……しばらくして、ある地点で上昇が終わった。

 恐る恐る顔を上げると、自分の現在地がよくわかった。

 白みがかった青いアーチとそれを包む満天の星空。いわゆる成層圏界面。

 星々が煌々と光を放つ別世界であった。


(嘘……でしょ)


 落ち着こう。まずは深呼吸だ。いや宇宙空間で深呼吸などできるはずもないが。


「すぅー……はぁー」


 できた。

 手足を軽く動かしてみる。宇宙に床や地面などあるはずもないが二本足で何かを踏みしめているという実感。腕を振るうと空気もないはずなのに軽く抵抗を感じる。


(たしか圧力の関係で目玉が飛び出るんだっけ……)


 恐ろしい懸念だったが、目玉も無事でそのまま顔に収まってくれている。

 街を歩いているときと変わらない。

 結論、これは白昼夢なのだろう……そうでなければ、説明がつかない。

 先のマスターとの会話の通り、自分が何故ここにいるのか説明できるのが現実、説明できないのが夢とするならば、まさにこの状況は説明がつかない。高度250万キロの世界に謎の力で飛んできたなどと、理由にならないだろう。

 それが一般論なのだが、広大な海と包み込むような白い大気の渦を見下ろしていると妙に不安を感じる。頭の中でどんな理屈を並べようとも目の前の現実がそれを粉砕してくるようだ。

 どうしたものか……と、腰に手を当てて考え込んでいると頭上に突如、謎の物体が出現した。

 銀色っぽいカラーの円錐型ボデーの何か。

 どこからどうみてもアレだった。興味深く視線を送っているとやがてアレからハッチが開き、宇宙服らしきものを纏った六本足の、これまたアレっぽいのが姿を表した。もういい、見たままをいえば宇宙人が姿を表した。

 銀色の缶詰のような物体から多関節のアームが伸びていた。


『計器の故障じゃないの?ワープの直後はどれも駄目になるだろ』

『正常化してから測っただろ。高エネルギー反応を検知したのは間違いない。ここに、何かがいる』

『早くしろ。時間切れで夢界鏡面にブチ込まれるのは御免だからな』


 カンヅメ型の宇宙人がこちらに近付いてくる。

 一連の異常はこの宇宙人の仕業か?

 オカルト番組でかじった程度だが自分は今キャトルシュミレーションなるものに遭遇しているのではないか。ともあれ、きりかは眼前のカンヅメ型宇宙人に対して強い警戒心を抱いていた。


『居るな。ここだ……位相がずれている』

『了解。波長を解析する』


 覗き込んでくる球状の物体。カメラのようなレンズを幾つも覗かせている。

 銀色の球状の表面を無数に走る繊維状の小さな光がチカチカ輝いている。


『ほい、結果き……逃げろっ!レムセルだ!』

『何っ!なんでこんなところに?!』

『知るか。だが、ここはもうあいつらの領域だ。何が起こってもおかしくない』


 宇宙人は踵を返して、立ち去ろうとしてきた。きりかはとっさに手を伸ばした。この異常事態が単なる白昼夢でないのなら、彼らの存在が解決の糸口となる。ここで無視するという選択肢はないだろう。


『うおっ掴んできた。ポルコ、助けて』

『カエシ、こちらの装備じゃどうすることもできん』


 カンヅメ宇宙人を掴んだ瞬間、景色が暗転する。満天の星空は暗黒へと変わり、次の瞬間には、見知った景色


「学校?」


 一般的な小中学生が通うような廊下。当然、横には教室が並んでいる。だが異常な点がひとつあった。窓を覗くと中庭が見下ろせたが空が見えない。校舎を結ぶ渡り廊下が延々と積み重なって、今いるここが超高層の建物であることが伺えた。

 まるで閉鎖的な、コンクリートジャングルであった。

 何が起きているのか検討もつかない。

 一新された景色。そこには先程遭遇したカンヅメ型の宇宙人もいた。

 きりかから距離を取ろうとアームでかしゃかしゃと廊下の角を曲がろうとする。宇宙用のアームは重力下での運用を想定されていないようだ。非常にたどたどしい足取りで移動は続いていた。警戒されていることは確かだったが、あの宇宙人に事の真相を確かめねばならないだろう。追いかけねば、と駆け出したところで宇宙人の悲鳴のような声が聞こえてきた。


「変な声」 


 後を追って慎重に角を覗き込む。どうやら何者かに襲われている。慎重に襲撃者を確認するとそこにはカマキリのような怪物が。


「エンプーサだぁ!だ、ポルコ!ポルコ聞こえるか!」


 宇宙人の声が聞こえる。聞き間違えようがない。日本語の発音だった。


「声、聞こえる?大丈夫?」

「レムセル!?まぁ、いいか助けてくれ」


 助けてと確かに聞き取れた。日本語でそう乞われた切歌は警察官としての本分に立ち返る事にする。見知らぬ住民の安全を守るために。

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