2

 祝福の儀式以外で使われることのない祝福の神殿の扉は、常に固く閉ざされている。


 城に隣接するようにして建てられている神殿の鍵を持っているのは国王のみだ。


 息子が瀕死と聞いて慌ててやってきた国王は、息をするのがやっとという様子のクライヴを見て、愕然と息を呑んだ。


「陛下、お願いします! 鍵を――」


「あ、ああ……」


 よほど動揺しているのか、震える手で、国王はエレノアに鍵を渡す。


 エレノアは神殿の扉を開くと、クライヴの体を急いで奥へを運んでもらった。


「エレノア……、これはいったい――」


「大丈夫です。殿下はきっと助かります。サーシャ様が、きっと助けてくれます!」


「サーシャ様……?」


 国王は戸惑っているようだったが、エレノアのあとを追って神殿の奥へと急ぐ。


 はじめて足を踏み入れた、静謐な空気をまとう神殿の中はひんやりとしていた。


 エレノアたちが奥へ向かうと、祭壇の奥に一人の男がたたずんでいる。長い銀色の髪の背の高い男だ。彼の姿を見た途端、エレノアはぽろぽろと泣きだしてしまった。


「サーシャ様!」


 おいで、と手を広げられて、エレノアは迷わず彼の胸に飛び込む。


 よくがんばったなとエレノアの頭を撫でながら、サーシャロッドはぐったりと意識を失っているクライヴに視線を落とした。


「……月の、神……?」


 国王が、茫然とつぶやく。


 サーシャロッドはちらりとそちらを見て、それからエレノアを腕に抱いたまま、ゆっくりとクライヴに歩み寄った。


「これはひどいな」


 エレノアから手を放し、クライヴのそばに膝を折る。


「サーシャ様……」


「大丈夫だ」


 サーシャロッドはクライヴの胸のあたりに手をかざす。彼の手から淡い銀色の光が溢れたかと思えば、クライヴの全身を包み込んだ。


「お前を守ろうとした男を見殺しにするのは、さすがにな。それがたとえ、一度お前を傷つけた男であっても」


 クライヴの傷が、徐々に塞がっていく。兵士や侍医、そして国王が固唾を飲む中、すべての傷が塞がってしばらくして、クライヴがゆっくりと瞼をあげた。


「クライヴ!」


 国王が息子に駆け寄ると、クライヴは首を巡らせて国王を見て、それからエレノアと、その隣に立っているサーシャロッドを見つけて目を見開いた。


「……あなた、は」


「儀式以来か、サランシェスの第一王子」


 サーシャロッドがエレノアの腰を抱いて、小さく笑う。


 安心したようにサーシャロッドに体を預けているエレノアを見て、――クライヴは、ああ、と小さく息を吐きだした。






 サーシャロッドに腰を抱かれているエレノアを見て、クライヴの中で埋まっていなかったパズルのピースが、ぴったりとはまったような気がした。


(そうか、お前の大切な男は……)


 祝福の儀式で、エレノアの名前を口にした月の神。


 今までどこにいたのか、決して口を割ろうとしなかったエレノア。


 月の神の腕の中で微笑むエレノアは、今まで見たどんな彼女よりも美しかった。


 クライヴは自分の体を見下ろして、完全に塞がった傷のあった場所を手のひらで押さえる。


 礼を言おうとしたら、月の神が嫌な顔をしたからクライヴは口を閉ざす。


 祝福の儀式での、彼の冷たい双眸をクライヴは覚えていた。


(エレノアのために、助けてくれたのか……)


 月の神にとって、クライヴが生きようとも死のうとも、どうでもいいことなのだろう。それでも助けてくれたのは、おそらくエレノアの心のためだ。


 結局、エレノアを守るどころかあっけなくやられてしまった自分に自嘲する。エレノアはクライヴが死ねば自分のせいだと己を責めるだろう。だから、月の神はクライヴを生かした。たぶん、ただそれだけのこと。


 クライヴはエレノアに視線を向ける。


 エレノアもクライヴを見て、視線が絡むと、そのアクアマリンのような瞳が戸惑ったように揺れた。


 最後だな、とクライヴは悟る。


 彼女をこの目で見ることができるのも、おそらくこれが最後だろう。


 ここで別れたら、もう二度と会えない。そんな気がする。


「エレノア」


 呼びかけると、エレノアが泣きそうな顔をした。そこにあるのは、クライヴに怪我をさせたことによる、罪悪感。


 どうせ最後なら――、と気持ちを伝えかけたクライヴの言葉が喉で凍る。


 ここでそれを言ったら、彼女を困らせるだけだ。もっと彼女の心を重くするだろう。一生忘れられないほどの重みを彼女の心に刻むのは妙に高揚するが――、自己満足で、彼女の心に負担をかけたくない。


 だから――


「エレノア、幸せにな」


 愛しているのかわりに、そうささやいた。

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