3

 月の宮に戻ったエレノアを見て、リーファが悲鳴を上げた。


 エレノアの着ていたドレスはクライヴの血で赤黒く染まっていて、それを見て驚いたのだろう。


 髪の先にも血がこびりついているし、自分の姿を鏡では見ていないが、ラーファオとユアンも凍りついたような表情をしていたから、おそらくなかなかな格好なのだと思う。


 結果、エレノアは「ただいま」を言う前にサーシャロッドの手によって風呂場まで連行されてしまった。


 裸にひん剥かれて、湯をかけて体についた血を洗い流すと、泡の浮かんだ浴槽にとぽんと沈められる。


 当り前のようにサーシャロッドも一緒に入ってきて慌てたが、背後から抱きしめられるように腕を回されると、安心して体の力が抜けてくたりとしてしまった。


「よくがんばったな」


 抱きしめられてささやかれると、緊張の糸が切れたかのように、エレノアの目に涙が盛り上がった。


 しゃくりあげると、湯の中で横抱きの体勢に抱えなおされて、ぎゅっとサーシャロッドの胸に頭を押しつけられた。


 怖かった。


 目の前で人がたくさん血を出して倒れたし、クライヴは血に染まって動かなくなったし、シンシアに剣を向けられて、本当に怖かった。


 怖くて怖くて、泣き叫びたいのに、あの惨状を引き起こした原因が自分なのだと思うとそれすらできなくて、必死に耐えたけれど――、サーシャロッドの腕の中で甘やかされたら、もうだめだ。


 エレノアはぎゅーっとサーシャロッドに抱きついた。泣きじゃくるエレノアの背中を、サーシャロッドが優しく撫でる。


「怖かった……、怖かったんです……!」


「ああ」


「殿下の血は止まらないし、シンシアは剣を向けてきて、もうだめかと思っ……」


 エレノアの涙をサーシャロッドの唇が掬い取る。目尻、頬、額、鼻先――顔中にキスをされて、最後に唇が塞がれた。


 ぬるりと口の中に侵入してきた舌が、エレノアの舌を絡めて吸い上げる。


 角度を変えて、のぼせるほどに長いキスを繰り返し、ようやく唇を離したサーシャロッドは、真っ赤な顔で肩で息をするエレノアに微笑みかけた。


「おかえり、エレノア」


 おかえりとサーシャロッドに言われた瞬間――、エレノアは、ああ本当に帰ってきたのだとようやく実感して、またぼろぼろと泣いてしまった。






 頭のてっぺんから足の先までサーシャロッドに洗い上げられて、エレノアが着替えて姿を見せると、リーファにぎゅーっと抱きしめられた。


 リーファたちのほかに、フレイディーベルグとリリアローズもいて、みんなに心配をかけてしまったのだと、エレノアはしゅんとする。


 サーシャロッドとフレイディーベルグの二人に何があったのかと訊かれて、シンシアの様子を伝えると、二人そろって難しい顔をしてしまった。


 エレノアもシンシアの様子が気になったけれど、説明し終えると、リリアローズに待っていましたとばかりに手を引かれて、別室へと連れて行かれる。


 リーファもついてきて、連れて行かれた別室には、ばあやとお針子の妖精たちも待機しており、エレノアが首を傾げている間にせっかく着替えたワンピースを頭からすっぽり脱がされてしまった、


「え? え?」


 慌てている間に、あれよあれよと着替えさせられて、リリアローズに化粧され、リーファに髪を結いあげられて、キラキラと光るティアラと純白のベールをかぶせられる。


 ドレスも真っ白で、レースがふんだんに使われていて、大きく開いたデコルテには、キラキラと輝くパウダーをはたかれた。


 まるで花嫁のような装いに、エレノアが目を白黒させていると、「準備はできたか」とサーシャロッドがやってきて息を呑んだ。


 サーシャロッドは、真っ白いタキシードの身を包んでいた。タイはエレノアの瞳と同じ、柔らかいアクアマリンの色。何が何だかわからないうちに、サーシャロッドに手を引かれて連れてこられたのは、月の宮の中庭で――、花籠を持った妖精たちが、エレノアに向かって花びらのシャワーを浴びせかけてきて、もう言葉もない。


 中庭には、カモミールの姫やヤマユリの王子、翁、雪の妖精の女王や青の洞窟の魔女などたくさんの妖精たちがいて、ラーファオとユアンのほかに、ポールやカイルまで集まっていた。


「わたしには遠く及ばないけど、なかなか綺麗じゃないの!」


 カモミールの姫がそう言って笑うけれど、エレノアの頭の中は真っ白で、でも目の奥があつくなって、エレノアは隣に立つサーシャロッドの顔を仰ぎ見た。


「本当は一緒に準備をするつもりだったが、悪いな、もう待てない」


「サーシャ様……、これ……」


「きちんと式を挙げていなかっただろう?」


「―――っ」


 エレノアの見開いた瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちる。


(これ……、結婚式だ……)


 十八歳の誕生日の翌日、サーシャロッドに助けられて妻になった。それだけで充分幸せだったのに、まさか結婚式をしてもらえるとは思っていなかった。


 口元をおさえてはらはらと涙をこぼすエレノアの目尻を、サーシャロッドの指の腹が優しくこする。


「今日はよく泣くな」


 揶揄するように言われるが、響きはとても甘い。


 司祭役の翁のそばまで、手をつないで進んでいけば、翁がもったいぶったように「えへんえへん」と咳ばらいをした。


「えー、本日は――」


 長々しく口上を述べはじめた翁に、ばあやが「早くせんか!」と一括して、翁は言おうとしていたことをすべて忘れたらしい。誤魔化すようにもう一度咳ばらいをすると、サーシャロッドに向きなおった。


「サーシャロッド様。あなた様はそこにいるエレノアを愛し、敬い、慈しみ、永遠に大切にすることを誓いますか?」


 なんだかちょっぴり言い回しが変なような気もするが、相手が神様だから仕方がない。


 サーシャロッドがエレノアの頬をひと撫でして「誓う。永遠に」と答えると、エレノアの顔に熱が集まった。


「それでは、エレノア。汝はそこにいるサーシャロッド様を愛し、敬い、慈しみ、永遠に大切にすることを誓いますか?」


「はい、誓います……!」


 翁が、それでは誓いの口づけを――、と言い終わる前に、サーシャロッドに唇を奪われる。


 唇を離して、まだ涙が止まらないエレノアを見て、サーシャロッドは笑った。


「これで改めて、お前は永遠に私のものだ」

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