6

 クライヴは七日で戻って来た。


 離宮から王都まで片道三日かかるので、王城に行ってほとんどとんぼ返りで戻って来た計算になる。


 戻って来たクライヴは苛立っているようだった。ちょっぴり怖くて、エレノアはあまり近づきたくなかったが、話があると言われたので、居間で彼と顔を突き合わせていた。


 紅茶を煎れさせたあと使用人を居間から追い出したクライヴは、紅茶の中に角砂糖を五つも落としてかき混ぜて、一口飲んで顔をしかめた。普段は無糖か、角砂糖を一つしか紅茶にいれないクライヴにしたら珍しいと思ったが、どうやらイライラしながら無意識のうちに砂糖を投入していたようだ。


 クライヴは紅茶をテーブルの隅まで押しのけて、はーっと大きく息をついた。


 そして、自分の膝の上を指先で叩いては、髪をかきむしる。


(どうしたのかしら……?)


 婚約していたとき、クライヴがエレノアに苛立ちを見せることはあったが、せいぜい顔を見て舌打ちされる程度だった。こんなクライヴははじめて見る。


 使用人がいないので、エレノアは立ち上がって、クライヴのために新しい紅茶を煎れた。差し出すと、彼は「ああ」と言って受け取って、今度は砂糖を入れずに口をつけた。


 エレノアは自分の紅茶に角砂糖を一つと、ミルクを入れて、スプーンでくるくるとかき混ぜる。


「俺がいない間、変わりなかったか?」


「はい、特には」


 エレノアの日課に、トカゲの口を介しておしゃべりしに来るリリアローズとの温室でのティータイムが追加されたが、クライヴに言えるはずもない。


 何をしていたのかと問われて、エレノアは温室や図書室ですごしていたと答えた。


「外には出ていないんだな?」


 外出したければ使用人と一緒になら出かけていいと彼は言っていたが、本当は外出したらダメだったのだろうか。違和感を覚えつつも、この一週間、エレノアは離宮の敷地から出ていないので、どこにも出かけていないと答えると、彼は安心したように息をついた。


「そうか。ならいい」


「あの……、何かあったんですか?」


 クライヴは迷うように視線を彷徨わせてから、深呼吸をするように大きく息を吸い込んで、吐き出した。


「――シンシアが、姿を消した」






 エレノアは息を呑んだ。


「シンシア、が……?」


 クライヴは紅茶を一気に飲み干すと、ガチャンと音を立ててそれをテーブルの上においた。


「俺が王都に戻ったのは、ラマリエル前公爵とその家族の移送の日取りが決まったからだ。お前のことも含め、ラマリエル公爵家の今回の醜聞については、俺にも責任が問われている。彼らの移送が完了するまで俺がすべてを取り仕切ることになったいた。だから一度、移送のために城へ戻る必要があったんだ」


 クライヴが空になったティーカップをちらりと見たので、エレノアは紅茶のお代わりを入れはじめた。


 エレノアが新しく紅茶を煎れている間にも、彼の話は続く。


「移送馬車には見張りのために何名もの兵士がつく。俺は前公爵たちが馬車に乗せられて王都を出発するまで見届け、あとは領地の、お前の叔父が用意した彼らを幽閉するための邸に収容したのち、俺のところまで完了報告が来て、俺の役目は終わるはずだった。だが――」


 エレノアが紅茶を差し出すと、クライヴは礼を言って受け取った。


 疲れているのか、クライヴは二杯目の紅茶に一つ角砂糖を落とした。


「移送馬車が出発して王都を出て少し行ったあたりで、突然馬車が横転したと連絡が入った」


 馬車が横転したと連絡が入ったのは、クライヴが離宮へ戻ろうとしていたときだった。


 王都を離れて間もないところだと言うので、クライヴは馬に乗って、兵士たちとともにその場所まで駆けて行った。そして、そこで見たのは――


「馬は泡を吹いて倒れていて、なぜか周りの兵士たちも気を失ったいた。横転した馬車をあければ、そこには事切れた前公爵と夫人がいたよ。全身血だらけで、ナイフで切られたような傷が体中に走っていた。シンシアは、そこの中にはいなかった」


 エレノアはヒュッと息を呑んで、両手で口元をおさえた。


「お父様たちが……」


 エレノアを虐待し続けていた父と継母だが、さすがに死んだと聞けばショックだった。


 小さく肩を震わせたエレノアを見て、クライヴは立ち上がると彼女の隣に移動した。そっと腕を回して、なだめるように背中を撫でる。


「聞いていて気持ちのいい話ではないな。すまない」


「い、いえ……、大丈夫です。その、それで、シンシアは……」


 シンシアが姿を消したとクライヴは言った。まるで暴漢や物取りにでも襲われたような状況だ。それならば、馬車の中にいなかったというシンシアは、加害者に連れて行かれてしまったのだろうか。


 姉妹らしい関係ではなかったが、さすがに気になる。


 クライヴは眉間に皺を刻んだ。


「兵士たちは意識を失っていただけだった。目を覚ました兵士たちは、シンシアがやったと言っていた。突然御者を襲い、馬を切りつけてパニックに陥れた、と。シンシアを取り押さえようとした兵士たちは、訳もわからないままに昏倒したそうだ。そのあと、連絡をもらって俺が駆けつけたのだが――、兵士たちの証言に間違いがないのならば、公爵と夫人も、シンシアが襲ったと考えるのが筋だろう」


「で、でも……」


「わかっている。俺も信じているわけではない。御者を襲って馬車を横転させ、兵士たちを気絶させるなど、大の男一人でも相当な手練れでないと無理だ。女の細腕でできるはずがない。ましてや両親を殺害など、ありえないだろう」


 エレノアは頷いた。シンシアと父、継母はとても仲が良かった。万が一シンシアが馬車を横転させたからと言って、彼女が両親を殺害するとは思えない。


「だが、兵士たちが嘘を言っているようにも見えなかった。真実はシンシアを見つけて聞き出すしかないが――、もしもだ。兵士たちの言う通りシンシアが何らかの方法でそれをやってのけたとすれば――、次に狙われるのは?」


 エレノアはゾクリとした。


 クライヴはそっとエレノアの肩を抱き寄せた。


「シンシアがお前のことを知っているはずがない。お前が生きていることを知っているのは俺と、父上と、それからここの使用人だけだ。そう思うが、もしお前が生きていることが知られたらと思うと気が気ではなかった」


 クライヴがエレノアが外出していなくて安心したのは、エレノアが外出して万が一にもシンシアに生きていることが知られたら――、と警戒したかららしい。


「もちろん、にわかには信じがたい。だが、用心に越したことはないだろう」


 シンシアのことは、城の兵士たちが探しているらしい。離宮の警護も厳重になるそうだ。


「安心しろ。お前のことは、何があっても俺が守るから」


 クライヴの腕に力がこもる。


 クライヴに抱きしめられながら、エレノアは、ただただ茫然としていた。

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