5

 エレノアが目を覚ましたとき、隣にサーシャロッドの姿はなく、かわりに外したはずの指輪がチェーンに通されて首にかけられていた。


 エレノアは淋しくなって、指輪の握りしめると、サーシャロッドのぬくもりを探してシーツの上に手のひらを滑らせてみたが、すでに冷たくなっていた。


 ベッドサイドのテーブルの上の香壺にも蓋がしてある。


 エレノアはのろのろと起き上がると、使用人たちが部屋に来る前に自分で服を着替えた。サーシャロッドが触れた肌を、誰かに触られたくないと思ったからだ。


 クライヴがいないので一人きりの朝食をとって、なんとなく庭にある温室に向かってみる。


 温室の中には色とりどりの花が咲いていて、中央にはベンチと丸いテーブルがあった。


 クライヴが雇った離宮の使用人たちは、エレノアに干渉して来ようとしない。温室まで付き添ってくれたが、テーブルの上にお茶とお菓子を用意すると、ご用意があればお呼びくださいとベルをおいて温室を出て行った。


 エレノアはベンチに腰かけて、用意された紅茶に口をつける。


 朝食を食べたばかりなので、お菓子に手をつける気にはなれず、ぼんやりと温室の中を眺めた。


 さすが王家の離宮の温室だ。エレノアが見たこともない花がたくさんある。


『エレノアちゃん』


 突然、足元から声が聞こえて、エレノアは飛び上がりそうなほどに驚いた。


 見れば、木の肌のような色をした手のひらサイズのトカゲがこちらを見上げている。クリッとした目がどこか可愛らしいが、爬虫類が少々怖いエレノアは「ひ!」と小さな悲鳴を上げる。


『ああ! 怖がらないで! あたくしよ!』


 トカゲが焦ったような声をあげてテーブルの足を伝って登ってくると、エレノアは信じられないような目でトカゲを見た。


「り、リリー、様?」


 声は、太陽の神であるフレイディーベルグの妻、リリアローズのものだった。驚いていると、トカゲが長い舌を出し入れしながら、くすくすと笑う。――正直言って、ちょっぴり気持ち悪い。


『驚かせちゃってごめんなさいね』


「い、いえ……。でもどうして、トカゲさん……。龍ってトカゲさん?」


『ああ! 違うわ! これは眷属たちの口を借りているだけで、あたくしがトカゲなわけじゃないのよ!』


 エレノアはちょっとホッとした。危うく、フレイディーベルグと目の前のトカゲとのロマンスを想像するところだった。シュールすぎる。


「でも、どうしてリリー様が……?」


『ふふ。サーシャ様がね、きっとエレノアが落ち込んでいるだろうから話し相手になってやれって。あたくしなら、眷属たちの体を借りてお喋りできるから』


「サーシャ様が……」


 確かに、月の宮に帰れなくて、朝起きたらサーシャロッドもいなくて落ち込んでいた。妖精たちと話すのは楽しいが、彼らに落ち込んだ姿を見せるとすごく心配させてしまうから、話し相手としてリリアローズが来てくれたのはすごく嬉しい。


『早く旦那様のところに帰りたいわよね。わかるわ』


「はい……。でも、仕方のないことだから、わかっているんです」


 サーシャロッドが難しいと言うのだから、どうすることもできない。もとはと言えばエレノアが空間の亀裂に触れてしまったからいけないのだ。我儘を言ってサーシャロッドを困らせるわけにはいかないのだ。そう言って俯くと、リリアローズに笑われた。


『我儘くらい、いいじゃないの。言っちゃいなさいよ。サーシャ様はそんなことで怒らないと思うし、むしろ言われたいんだと思うわよー?』


「でも……」


『大丈夫よ。ちょっとくらいの我儘は可愛いものだわ。我儘すぎると呆れられるでしょうけど、このあたりはうまく使ってこそ夫婦ってものよ。まあ、我儘を言いすぎて叱られるのもそれはそれで快感なんだけど……』


 うっとりと、トカゲ――いや、トカゲの口を借りたリリアローズから、最後の方に危ない言葉が出てきたのでエレノアは聞かなかったことにする。エレノアはまだ、首輪につながれた鎖をフレイディーベルグに引っ張られて嬉しそうに頬を染めるリリアローズの姿を鮮明に覚えている。彼女の言葉をすべて鵜呑みにすると、なんだか怖いことになりそうな気がする。


『エレノアちゃんは我慢しすぎると思うのよね。ちょっとくらい可愛くおねだりしたって許されるわ』


 我儘からおねだりに変わった。


 リリアローズは楽しそうに、


『もっとキスしてーとか、もっと抱きしめてーとか、気持ちよくしてーとか。――あらでもエレノアちゃんの可愛い口からそんな言葉が飛び出したら、サーシャ様感極まって襲っちゃうかしら……?』


「おそ……っ」


『あらでも襲われて荒々しく奪われるのもなかなか――、あら? エレノアちゃーん? ちょっとやだ、顔真っ赤よー!』


 リリアローズの言葉も恥ずかしかったが、どうしてか昨夜のことを思い出してしまって、エレノアは熟れたリンゴのように真っ赤になった。


 リリアローズはテーブルの上に並んでいたお菓子の中からクッキーを一枚、器用に前足二本を使って取り上げると、小さな口でもぐもぐと食べはじめる。


 エレノアは赤くなった頬をおさえながら、神様の妻の先輩であるリリアローズに訊ねてみた。


「眠るときにサーシャ様がいないのは淋しいですって言っても、困らせたりしませんか……?」


 帰りたい、という我儘よりはまだ困らせないかもしれないとエレノアは思ったのだが。


『もちろんよー! きっと朝まで愛撫しまくって、声がかれるほどに泣かせてくれるわー!』


 ――先輩の発言は、エレノアの許容量をはるかに超える過激さだった。

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