密会

1

 城から離宮へは、馬車で三日ほどかかる。


 離宮へ向かうと告げられた二日後、エレノアはクライヴとともに王家の離宮へ出立した。


 王家がいくつか保有している離宮のうち、今から向かう離宮は、二代前の王妃のために建てられた優美な外観の離宮だそうだ。


 体の弱かった二代前の王妃――クライヴの曾祖母が静養できるようにと建てられた離宮は、町の喧騒から外れた森の近くにあり、離宮の窓から見える湖には白鳥が飛んでくるらしい。


 クライヴは道中、離宮がいかに美しいかを語ったが、エレノアの心は晴れなかった。


 クライヴの目的がわからない。


 体調が悪かったエレノアを部屋で休ませてくれたのは、彼の善意かもしれない。最初は信じられなかったが、エレノアの体調を気遣う彼に嘘はないように見えた。


 だが、エレノアはもう歩ける。体調もほとんど回復した。エレノアの姿を見られるのがまずいのなら、こっそりと城から出せばいい。クライヴがいつまでもエレノアを手元におく理由はないはずだ。


 ましてや、一緒に離宮など――


 エレノア一人が閉じ込められるのならばまだわからなくもないが、クライヴが一緒に来るのは理解できない。捨てた婚約者にかまっていられるほど、彼は暇ではないはずだ。


 それに――、どうして優しくしてくれるのだろう、


 罪悪感、だろうか。婚約が破棄されたことによって、エレノアは山に捨てられたから。彼なりに、申し訳ないと思って――?


 にわかには信じがたいが、ほかに理由を思いつかない。


 彼に婚約を破棄されたときは確かにつらかったけれど、償ってほしいと思ったことは一度もない。


 だって、サーシャロッドに出会えて、エレノアは結果的に幸せだった。だからもういいのだ。恨んでもいない。誰かを「好き」になるということを知った今、クライヴと結婚していたら悲しいだけだったことは理解できる。クライヴはエレノアのことを好きではないし、エレノアもクライヴを好きだと思ったことは一度もない。ただ「婚約者」という事実だけがそこにあった。


 それでも、エレノアは彼の「婚約者」であったことに後悔はしていない。


 クライヴの婚約者であったから、エレノアは生かされていた。そうでなければ、もっと幼いころに捨てられていてもおかしくない。彼の婚約者であったから、家族は暴力を振るいつつも手加減していた。婚約者でなかれば、もっとひどい結末が待っていたかもしれないのだ。


 あの日――、婚約破棄を言い渡されたあの日まで、クライヴはエレノアに不満があっても耐えていてくれたのだ。彼の立場なら、こんな女はいらないと、いつでも言うことができたはずなのに。


 もちろん、そこに感謝するほどエレノアはお人よしではない。


 でも、結果を見れば、それでよかったのだと、今なら思える。


 だから、彼がそこに罪悪感を持っているのならば、忘れていい。すべては終わったことだから。


「離宮についたら、散歩でもするか? 少し体を動かした方がいいだろう?」


 どこか楽しそうにクライヴが言う。


 エレノアは小さく頷きながら、少しずつ遠ざかっていく王都に――祝福の神殿に、不安を覚えて目を伏せた。






 離宮についたのは夜だった。


 予定では昼前には着くはずだったが、エレノアの体調を心配したクライヴが道中の休憩を多めにとったので、予定よりも遅い時間になってしまった。


 城と違って、離宮の中は好きに歩き回っていいらしい。すでに、クライヴにとって手配された数人の使用人が、エレノアたちを歓迎した。


 使用人に部屋を案内されて、エレノアはクライヴと同室でないことに安堵する。


 同じ部屋で生活するのは、気を張ってしまってとても疲れるからだ。


 エレノアに与えられた部屋は二階の東にある部屋だが、食事は一階の居間でクライヴと一緒にとるように言われた。


 浴室は部屋についておらず、これも一階にあるそうだ。


 ほかに、サロンや、図書室、庭に温室もあって、敷地内から勝手に出なければ、あとは好きにしていいらしい。


 クライヴと一緒に夕食を取って、入浴をすませると、エレノアは与えられた部屋に戻ってベッドに横になった。


 王城にいたときはクライヴと同じベッドで緊張してなかなか寝付けなかったが、これからはその心配からは解放される。


 ごろんと寝返りを打って、エレノアは隣には誰もいないシーツの上をそっと撫でた。


 隣にクライヴがいないのは嬉しいが、考えてみれば一人きりで眠るのは八か月半ぶりだ。月の宮では、いつもサーシャロッドが隣にいた。抱きしめられて、心地いい腕の中で眠りについていた。


 エレノアは急に淋しくなって、枕をぎゅっと抱きしめる。


 クライヴが隣にいたときは緊張してそれどころではなかったが、こうして一人きりの夜になると、否が応でもサーシャロッドのぬくもりを思い出す。


「サーシャ様……」


 ぽつんとつぶやいた時だった。


 ――エレノア?


 ふと、懐かしい声が聞こえた気がして、エレノアはぱちっと目を開けた。


 今、サーシャロッドの声がしなかっただろうか?


 空耳だろうか。少しうとうとしていたから、夢でも見たのだろうか。きょろきょろと暗い室内を見渡すが、もちろんどこにも誰もいない。


「サーシャ様?」


 それでもあきらめきれなくて、エレノアがそっとつぶやくと、微かに胸が熱くなった。驚いて胸元を見れば、首から下げている指輪が淡く光っている。


 もしかして――、エレノアは首のチェーンを外すと、手のひらに指輪を乗せた。


「……サーシャ、さま?」


 すると、指輪から「エレノア」と声がする。


 ――エレノア、今一人なのか?


 エレノアはサーシャロッドの声に泣きそうになった。「はい」と返事をすると、「ようやく一人になったか」とサーシャロッドが嘆息したのが聞こえた。


 サーシャロッドのすることだ。不思議なことが起こってもおかしくない。だが、指輪をもらってから今まで、何の反応もなかったのにどうして今頃、と思えば少し怒ったような口調で返された。


 ――その指輪が使えるのは月が出ているときだけだ。夜、お前はいつもクライヴと一緒だっただろう。だから声を聞かせるわけにはいかなかった。


 エレノアはぎくりとした。クライヴと一緒のベッドで眠っていたことをサーシャロッドは知っていたのだ。エレノアがすすんでクライヴと一緒のベッドで眠っていたわけではないが、どうしてだろう、ひどく後ろめたい。


 ――私以外の男に触れたらだめだと言っただろう。こちらに帰ってきたら全身消毒してやるから覚悟しておけよ。


 以前、サーシャロッドに強制的に風呂に入れられて洗い上げられたことを思い出してエレノアは赤くなったが、ほとんどお仕置きのようなその行為も待ち遠しいと思ってしまうのはどうしてだろう。


「サーシャ様……、会いたいです」


 エレノアがつぶやけば、「方法を考えるからもう少し我慢していてくれ」と言われる。


 もう少しはどのくらいだろう。エレノアは訊きたくなったが、困らせるだけなのはわかっているので素直に「はい」と頷いた。


 その夜、エレノアはサーシャロッドとの他愛ない会話をしながら、まるで隣でサーシャロッドに寝かしつけられているような心地よさに、そっと瞼を閉ざしたのだった。

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