7
クライヴの部屋で生活するようになって一週間がすぎた日のことだった。
エレノアの体調はかなり回復して、頭の痛みもすっかり引いた。
この一週間、クライヴはほとんど部屋にいたし、この部屋には誰も立ち入らない。
第一王子で、クライヴはそれなりに忙しかったはずだし、普段の身の回りの世話は侍女が行っていたはずなのに、誰も不審に思わないのだろうか。
エレノアはソファに座って、退屈だろうとクライヴが用意してくれた本を手に取る。
クライヴは今、用があると言って部屋を留守にしている。
「いつになったら帰れるのかな……」
もう二度とサーシャロッドのそばには戻れないのだろうか――、不安に思っていたとき、妖精たちがサーシャロッドの指輪を持って来た。
妖精たちが現れたことには驚いたが、どうやらエレノア以外の人間で彼らの姿を見ることができるものはほぼいないそうだ。それ以来、妖精たちはエレノアが一人になったとき、たまに姿を見せてくれる。
エレノアは鎖に通して首から下げている指輪に触れる。不安に押しつぶされそうだったが、これのおかげで冷静になれた。サーシャロッドがきっと迎えに来てくれる。会いたくて仕方がないけれど、きっと事情があるのだろう。それまで我慢だ。
本を開いたけれど、内容が頭に入ってこなくて、エレノアは立ち上がった。
部屋続きの浴室に入り、クライヴに頼んで用意してもらった掃除用の布を取ってくる。彼は無頓着だが、一週間誰も出入りしないということは掃除もできないということだ。そのため、暇を見てはエレノアが部屋の掃除をしていた。クライヴはそんなことはしなくていいと言っていたが、体調不良で寝てばかりいたので、軽いリハビリのようなものになってちょうどいいと言えば、それ以上エレノアの行動を止めようとはしなかった。
(わたし、殿下と普通に話せている……のよね)
婚約中だったころ、彼とは会話らしい会話はしなかったし、目を合わすこともなかった。それなのに、普通に話せている自分に驚くが、それはおそらく、彼の冷ややかさがなくなっているからかもしれない。
軽く湿らせた布で、せっせとテーブルを磨いていく。
(わたしがここにいて、殿下は咎められないのかしら)
二人分の食事やエレノアの着替えが用意されているのだから、ここにいるのがエレノアだと特定されていなくとも、誰かいるのはばれているはずだ。
シンシアとの婚約は解消されたそうだが、婚約者がいなくても、一国の王子であるクライヴが女を連れ込んでいるのはまずいのではないだろうか。
「えれのあー!」
声が聞こえて、エレノアは顔をあげた。
そっと小さく窓を開けば、そこからわらわらと妖精たちが部屋の中になだれ込んできた。
「えれのあー、げんきだったー?」
「だいじょうぶー?」
「ひどいことされてないー?」
「いじめられたら、ぼくたちがしかえししてあげるからねー!」
「りんりんのおなかのあかちゃんはげんきだってー」
「さいきん、おやつがなくてつまんなーい」
「はやくかえってきてー!」
妖精たちに囲まれて、エレノアの肩から自然と力が抜ける。
「妖精さんたち……、ありがとう」
妖精たちは月の宮の様子を語ってくれる。サーシャロッドの様子、リーファの様子――、サーシャロッドがエレノアがいなくてイライラしてフレイディーベルグに当たっていると聞いたときは、少し笑ってしまった。
「あ、あいつがもどってきたー!」
「えれのあ、またねー!」
どうやらクライヴが戻ってくる足音がしたらしい。
妖精たちが窓の外へと消えると、エレノアは窓を閉めた。
「また掃除か」
部屋に入ってきたクライヴが、エレノアの手の中の布を見て微苦笑を浮かべた。
「少しは体を動かさないといけないので。……その、おかえりなさい」
「あ、ああ。ただいま」
エレノアがおかえりなさいと告げると、クライヴが狼狽える。心なしか頬が赤いような気がして、エレノアは首を傾げた。
「顔が赤いです。熱があるんじゃないですか?」
休んだ方がいいと言うエレノアに、クライヴが首を振る。
「なんでもない。そんなことより、お前に話がある」
改めて話とは何だろうと、エレノアは掃除用の布を片付けてから、クライヴのそばに戻った。座るように言われたので、ソファの端にちょこんと腰かける。
「そんな隅の方に座らなくとも……」
「え?」
「いや、なんでもない」
何やらぼそぼそ言われて聞き取れなかったので訊ね返すが、なんでもないと言われたので、そうですかと頷いた。
(やっぱり、熱がありそうなんだけど……)
クライヴの頬はまだ赤い。一国の王子が体調を崩すと大変なので、安静にしてほしいのだが、横になる気はなさそうだ。
「回りくどいのは好きではないから単刀直入に言う。お前がここにいることが、父上にばれた」
「――え?」
エレノアは目を見開いた。
「もともと俺がここに女を連れ込んでいるのには気づかれていたんだ。適当に誤魔化し続けていたが、その、祝福の儀式のときのこともあって、俺が自暴自棄にでもなって女を監禁していると思われたらしい。あのせいで、俺はすっかり信用をなくしたからな。兵を突入されて無理やり奪われたくなければきちんと手順を踏めと言われた。だから、説明するよりほかになかった。悪いな」
「それは……、あの、陛下はなんと……?」
「お前が生きていたことを喜んでいたよ。会わせろと言い出したから断っておいた。それから、お前がここにいることはまだ内密にしてもらっているから、父上しか――、まあ父上が母上には喋るだろうから母上も知るだろうが――、とにかく、外に漏れることはない。そこは安心してくれ」
「は、い……」
外部に漏れないのはいいが、国王にばれてよかったのだろうか? エレノアはクライヴの元婚約者だ。元婚約者と同じ部屋で生活していると知られて、国王はどう思ったのだろう。
「だが、ここからが少し問題だ。父上は、お前との関係性をはっきりさせろと言われた」
「関係性……?」
「だから――」
クライヴはエレノアから視線をそらすと、言葉を練るように口ごもる。
「だから……、つまり、だ。お前と俺が、また婚約関係に戻るのかどうか、と」
エレノアは息を呑んだ。
その様子をみて、クライヴは慌てたようにつけ加えた。
「わ、わかっている。父上には、お前の体調が悪かったから保護しただけだと伝えておいた」
エレノアはホッとした。エレノアはサーシャロッドの妻だ。クライヴの婚約者には戻れないし、戻る気もない。
しかし、ホッとしたエレノアに向かって、クライヴはさらに問題発言をした。
「父上は一応理解してくれたようだが、そのかわりに条件を出された」
「条件、とは?」
「婚約関係でもない女を、王子の部屋でいつまでも生活させることはできない。ましてや、お前は元婚約者で――、もしも情報が漏れたときに、外聞が悪すぎる。城は人の出入りも多いからな。だから――、お前は俺と、離宮に行くことになった」
そこでなら口の堅いものを厳選して使用人をおけるし、今よりも快適になるはずだ――、クライヴがそう続けているが、エレノアの耳には入らない。
(サーシャ様……)
離宮は、王都から少し離れた場所にある。
妖精たちが、エレノアの体調がもっとよくなったら、隙を見て祝福の神殿へ行くと言っていた。リリアローズの眷属が手引きすると。そこでなら、サーシャロッドが迎えに来られる、と。
でも、城から離れたら、祝福の神殿は遠くなる。
簡単には、向かえない。
エレノアは、首から下げている指輪を、ぎゅうっと握りしめた。
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