チューロンとリーファの過去
1
ユアンとエレノアが息を呑んだのは、ほとんど同時だった。
「リーファがユアンさんの姉?」
「姉上が生きているのですか!?」
思わず立ち上がったユアンにエレノアは視線を向けた。
リーファの弟と聞かされても、あまりピンとこない。どこか似ているなとは思ったけれど、年齢はユアンの方が上に見えるからかもしれない。月の宮では年は取らないと聞いたころがあるから、ここで十年暮らすリーファと彼女の弟の外見年齢が入れ替わっていてもおかしくないのかもしれないが、やはり違和感があった。
「リーファって……チューロンの皇女様だったんですか?」
「確か第四皇女だな。私も詳しくは知らないが」
「じゃ、じゃあ……、駆け落ちって」
つまりラーファオは、一国の皇女と駆け落ちしたことになる。追ってもすごかっただろうに、よく逃げ切れたものだ。いや――、逃げ切れなかったから心中しようとしたのか。
(よかった、死ななくって……)
皇女をかどわかして連れだしたのなら、ラーファオは捕まっていれば死罪だったはずだ。捕まらなくて、そしてともに心中しなくて、本当によかったと思う。
「リーファはこの世界で生活している。ラーファオも一緒だ」
サーシャロッドが告げると、ユアンは両手で顔を覆った。そのまま動かなくなってしまったユアンが心配になったが、サーシャロッドがそっとしておけと言うのでエレノアは何も言わずにユアンを見つめる。肩が小さく震えているところを見ると、まるで泣くのを我慢しているようだった。
「……よかった」
やがて、ユアンは絞り出すように言った。
「二人して海に飛び込んだと聞いたから、てっきり、死んだとばかり……」
ユアンはそのまままた黙り込んでしまう。
しばらくして、コンコンと音がしてカイルが扉を開けると、ポールがひょっこりと顔をのぞかせた。
「気がついたって聞いたんだけど……。ああ、よかった。ちょっと、ここに来たときのことを詳しく訊きたいんだけどいいかなぁ」
のほほんとそんなことを言うポールに、カイルはあきれたようにつぶやいた。
「父上って、ほんっとに空気が読めませんよね……」
ポールがユアンから詳細を聞きたいというので、サーシャロッドとエレノアはさらに二泊ほど雪の妖精の女王の城に滞在したあとで、月の宮殿に帰ることにした。
もちろん、ユアンも一緒である。
ユアンははじめて見る飛翼馬車に驚いていたが、環境への順応能力が高いのか、すぐに慣れたようだった。
「へえ、じゃあエレノア様はサランシェス出身なのか」
皇子に「エレノア様」と呼ばれるのは気が引けるのだが、サーシャロッドの妻を呼び捨てにはできないというので呼び方については諦めることにする。
「はい。七か月半前にここに。サーシャ様に拾っていただきました」
「拾った、のではなく見初めたんだ。間違えるな」
サーシャロッドに言われて、エレノアは赤くなる。
「……み、見初めていただきました」
恥ずかしそうに訂正するエレノアに満足したのか、サーシャロッドが頭を撫でてくれた。
サーシャロッドの右手は今、しっかりとエレノアの細い腰に回されている。まるで見せつけるかのようにぴったりとくっついて座っているので、エレノアは恥ずかしくて仕方ない。
ユアンが、「仲いいなぁ」と温かい目を向けてくるので、なおのこといたたまれない。
「そ、そんなことより! リーファのことが、知りたいです。皇女様って……」
エレノアは話題を変えようと必死だった。
ユアンは昔を思い出すように虚空を見つめて、そうですね、とつぶやく。
「姉上がラーファオとともに宮城から逃げ出したのは、俺が十二のときです。そのとき姉上は二十歳でした。わが国では皇族の女性の結婚は遅いものなのですが、そろそろ姉の嫁ぎ先を決めるという話が出ていたような気がします」
ラーファオは武官だったそうだ。基本、後宮は男子禁制。しかし、警護に当たる武官は、例外としてある一定区域までの立ち入りは認められていた。
ラーファオはリーファよりも八歳年上で、リーファが子供のころの護衛としてそばにいたそうだ。
皇族の女性は、十三になると後宮の奥の方へと居を移すことになるが、居を移した後も、幼いことから護衛としてそばにいたラーファオはリーファの部屋の近くまでの出入りを認められていたらしい。
年が離れているし、身分も高くなく、優秀だが野心のないラーファオが、リーファと恋仲になるとは思ってもいなかったのだろう、とユアンは言った。
「ラーファオのことを好きになったのは、最初は姉上の方なんです。俺は姉上と仲が良かったから、何かにつけてラーファオを呼びつける姉上を見ていて、なんとなく『そう』なんだろうなとは思っていました。でも、二人が結ばれることは決してあり得なかったから、せめて今のうちだけはそっとしておこうと思っていた。まさか駆け落ちまでするとは思いませんでしたよ」
ユアンは小さく笑った。
「今の姉上がどうかはわかりませんが、昔の姉上は、なかなか我儘で、駄々っ子で、ラーファオはいつも『俺は暇じゃない』と怒っていました。今思えば、少しでもそばにいたくて我儘を言っていただけなんでしょうけど。でも、ラーファオは文句を言いつつも姉上のそばにいて、俺はそんな二人が大好きでしたよ。さすがに、姉が死んだと聞いたときはラーファオを恨みましたが――、生きているなら、本当によかった」
いつも泰然としているリーファが「わがまま」とか「駄々っ子」だったというのはにわかに信じがたかったが、リーファのことを語るユアンの表情が優しかったので、仲のいい姉弟だったのだろうなとエレノアは嬉しくなる。
リーファの昔話が楽しくてユアンと話し込んでいるうちに、飛翼馬車が月の宮殿に到着した。
エレノアたちを出迎えたリーファは、飛翼馬車から降りてきたユアンを見て目を丸くする。
ユアンは苦笑した。
「ひどいな。弟の顔を忘れたの?」
「……嘘」
「嘘じゃないし。まあ、十二歳の子供が二十二歳の姿で現れたら、普通わからないか。でも、姉上は逆に変わらなさすぎ。全然老けてなくて、幽霊かと思ったよ」
「ユアン……?」
見開いたリーファの瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちる。
ユアンはゆっくりとリーファに近づいて、その華奢な体を抱きしめた。
「生きてるとは思わなかった。……よかった」
十年ぶりの再会を喜ぶ姉弟の様子に感動していると、サーシャロッドに手を引かれた。
「しばらくそっとしておいてやれ」
エレノアはちらりとリーファを振り返り、そして大きく頷くと、妖精たちに「ただいま」を言いにサーシャロッドとともに中庭へと向かった。
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