6
男が目を覚ましたと連絡が入ったのは、サーシャロッドの腕の中で、エレノアがうとうととしはじめたころだった。
眠いなら寝ていろとサーシャロッドに言われたが、エレノアも彼のことは気になっていたので、サーシャロッドとともに部屋へと向かう。
男は服を着替えて、暖かいお茶を飲んでいた。サーシャロッドが部屋に入ると、立ち上がって深く頭を下げる。
「大変ご迷惑をおかけいたしました。月の神」
サーシャロッドはおや、と目を軽く見張った。
「私が月の神だとどうしてわかった? そこにいるカイルにでも聞いたか?」
部屋の中にはカイルしかいなかった。ポールは雪の女王のところにいるのだろう。青の女王は男のために軽食を取りに行ったそうだ。
エレノアは先ほどサーシャロッドを怒らせてしまったにもかかわらず、男をジーっと見つめてしまった。やはりどこかリーファに似ている。黒髪に黒い瞳はもちろんのこと、目の形などの顔の造形が、なんとなく。年は、二十歳をいくらかすぎたほどだろうか。顔立ちは整っていて、品があった。
「エレノア」
サーシャロッドに小さく名前を呼ばれて、エレノアはハッとして男から視線を逸らす。サーシャロッドを見上げるとにっこり微笑んでいたのでヒヤッとした。
(ま、またヤキモチ……?)
このあとまたいじめられそうな予感がして、エレノアがぎゅーっとサーシャロッドの手を握りしめると、仕方がないなという風に肩をすくめられる。
「確かに僕が話しましたけど、僕が伝える前にこの人はこの世界が月の宮だと気づいていましたよ」
カイルが伝えると、サーシャロッドは怪訝そうな顔をした。
月の宮に行き来することができない人が、どうしてここがそうであるとわかったのだろうか――、やや警戒をにじませたサーシャロッドの目を見て、男が答えた。
「俺はユアンと言います。チューロンの、第六皇子です」
チューロン、という国の名前をエレノアは知っていた。エレノアが生まれ育った国サランシェス国と海を隔てた大陸に存在する国だ。城で花嫁修業を行っていた時に教養として教えられたので、覚えている。
「チューロンか……」
サーシャロッドは考え込むように顎を撫でた。
「今、荒れているようだな」
今度はユアンが驚いたように目を見張った。
「ご存知でしたか」
「人間界の情勢は把握している。第三皇子がクーデターを起こしたらしいな。皇帝は今――」
「死にました」
ユアンは視線を落とした。
「つい先日のことです。父――皇帝は、都を離れて身を隠していましたが、兄が率いる反乱軍に見つかり、その場で首を切り落とされたと聞きます。第一皇子も。第四皇子と第五皇子は国外に逃亡。体の弱い第二皇子と、まだ幼い第七皇子、それから姉や妹たちは宮城中に幽閉されているようです。俺の母や、それから兄弟姉妹たちの母は、第三皇子の支持者の家を除き処刑されました」
あまりの凄惨さに、エレノアは息を呑んだ。
サーシャロッドとつないでいた手が震えたのに気がついたのか、サーシャロッドが抱きしめて背中を撫でてくれる。
ユアンは茶を一口飲み、感情を落ち着かせるように大きく深呼吸をした。
「俺は、反乱軍たちから逃れて、祝福の神殿に。……賭け、でした。あなたに――、声が届くのではないかと。そして向かった神殿で、祈りを捧げようとした瞬間、足元にぽっかりと穴があいたのです。そのままその穴に吸い込まれて、気がついたら雪の中に倒れていました」
「太陽の神ではなく私にすがろうとしたのは?」
「チューロンは、もともと月の神を信仰していますから」
「そういえば、そうだったな」
サーシャロッドは頷いて、エレノアを抱えてソファに腰を下ろした。
「それで、ここにきて、どうするつもりだ。私に何を願いに来た。お前の兄を、反乱軍を根絶やしにしろと、そう願うつもりか?」
サーシャロッドの声が幾分か低くなった。エレノアが見上げたサーシャロッドの目はとても冷ややかな色をしていた。エレノアの前で彼がこんな冷たい顔をすることがないので、一瞬怖くなって体を強張らせたが、ずっと背中を撫でてくれている手は優しいままだったので、ほっと息をつく。
ユアンは瞳を揺らして、何度か瞬きをくり返した。
「……わかりません」
「わからない?」
ユアンは、こと、とティーカップをおいた。
「はい。兄を恨んでいるかと訊かれたら、もちろん恨んでいます。もともと母の違う俺たち兄弟は、それほど兄弟仲はよくありませんでしたが、反乱を起こして家族を殺されれば、誰だって恨みます。でも、月の神に復讐を願いたかったわけではありません。ただ、……どうしていいのかわからなくて。兄のせいで、民たちも苦しんでいます。田畑を焼かれて、父が逃げ込んだ州の町は焼き払われ多くが犠牲になりました。第三皇子に従わない州も、ひどいことになっているようです。でも、……俺には何の力もない。母の身分も低く、皇位継承権の序列も下の俺に、ついてきてくれる臣下などもいません。どうすることもできない俺は、ただどうしていいのかもわからずに神にすがろうとした、愚か者です」
サーシャロッドはじっとユアンを見つめていたが、やがて大きく息を吐きだした。
「私は人の世の諍いには手を貸さない」
「……存じ上げております」
「ただ、しばらくこの世界にいることは許そう。お前が通ってきた空間の亀裂も気になることだしな。ただ、いずれはお前が考えて決着をつけるべきだ。ここへの滞在を認めるのはその間だけだと思え」
ユアンは大きく目を見開いた。
「よろしいのですか!?」
「お前には少し考える時間が必要だろう。それに――、お前をこのまま戦火の中に追い返したりしたら、私はお前の姉に一生恨まれそうだ」
はあ、とため息をつきながらサーシャロッドが告げた言葉に、ユアンが首をひねった。
「姉……?」
サーシャロッドは少し意地悪な笑みを浮かべて、言った。
「リーファだ。まさか忘れては、いないだろう?」
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