雪の女王からの招待状
1
サランシェス国、王城――
クライヴは夜の闇に覆われた自室の天井を睨みつける。
今が夜ではなく日差しの下であれば、彼の目の下に濃い隈がくっきりと浮かんでいるのがわかるだろう。
祝福の儀式から一月半――、クライヴは、ほとんど眠れていなかった。
それもこれも、あの日、クライヴへの祝福を拒否した月の神のせいだ。
長い銀色の髪に、氷のように冷たい青い瞳。
突然現れた美貌の月の神によって、本来輝かしいものであったはずのクライヴの未来は、奈落へと叩き落された。
王位を剥奪されるまでには至らなかったが、実際のところ、剥奪されたに等しいだろう。
クライヴがこの国の王になる未来はあの日あの瞬間に潰えた。
あの時月の神が発したひとことで、婚約者であるシンシアと、その家族であるラマリエル公爵家は、貴族の査問会にかけられている。
(まさか、ラマリエル公爵家がエレノアを捨てたなんて……)
クライヴは、知らなかった。
捕えられたラマリエル公爵家の使用人が口を割ったせいで、ラマリエル公爵家は窮地に立たされている。
名門公爵家だ。公爵家自体が取り潰しになることはないだろうが――、娘を、それも正式に婚約破棄がなされる前の、つまり、王子の婚約者出会ったエレノアを、身一つで山奥に捨てたとなれば、現公爵とその家族が爵位を追われるのは時間の問題だ。
サランシェス国は、私刑を禁じている国である。
その国の筆頭公爵家の一つであるラマリエル公爵家が実の娘を山奥に捨てたなど、あってはならないことだ。
彼らをかばうものはどこにもいないだろうし、エレノアとの婚約を破棄して妹であるシンシアと婚約関係にあったクライヴも、共謀が疑われていて、婚約者をかばうことはできない。まあ、もしもかばえるだけの権力が自分に残されていたとしても、おそらく彼女たちをかばうことはないだろうが。
エレノアのことは忌々しく思っていた。
どうして自分の婚約者が、こんなにもパッとしなくて平凡でガリガリで、いつも俯いているような女なのだと、ずっと不満だった。
だからと言って、死んでほしいとまでに憎んでいたわけではない。
「……俺のせいか」
クライヴがエレノアとの婚約を破棄したから、彼女は山に捨てられた。
エレノアが捨てられた山には狼が出て、近隣の村や町にも被害が出ているような場所である。
身一つで捨てられたか弱い女が、生き延びられるとは思えない。
「俺のせいだ……」
エレノアのことなど愛してはいない。ただ、王位を得るための後ろ盾として都合のいい家柄だっただけだ。エレノアがどうなろうと自分には関係ない。――そう自分に言い訳すればするほど、最後に見たエレノアの顔が脳裏をちらついて離れない。
クライヴが次期王位から遠ざかったのは、エレノアのせい。
エレノアが山奥に捨てられたのは、クライヴのせい。
せめてもの罪滅ぼしにと、父王に頼んでエレノアが捨てられたという山を捜索させたが、彼女の姿はどこにもなかった。
当り前だ。山の中で、半年以上も女がたった一人で生き延びられるはずもない。
(もしもあの時……、エレノアに婚約破棄など突きつけなければ……、シンシアの甘い言葉に惑わされなければ……)
クライヴは今頃、戴冠式を終えて、次期国王となっていたはずだった。
クライヴは両手で顔を覆う。
そして、そこでふと気がついた。
どうして月の神は、エレノアのことを知っていたのだろう。
――私は、そなたたちを許さない。エレノアを蔑み、ゴミのように扱ったそなたたちを、決して、な。
月の神は確かに、そう言った。
神がどうして、ただの人間であるエレノアを、知っていたのだろう。
クライヴはゆっくりとベッドの上に上体を起こした。もしかして――
「……エレノアは、生きている?」
そして、何らかの形で月の神と関わり合いになっていたのだとしたら。
月の神からの祝福が得られなかったのはエレノアのせいだ。では、エレノアを手に入れることができれば、どうだ。
エレノアを手に入れて、今度こそ彼女を大切にすれば、月の神は自分に祝福を授けるだろうか。
エレノアへのこの言いようのない罪悪感も、それで消えるかもしれない。
クライヴは、出口の見えないこの闇の中に、微かな光明を見出したような気がした。
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