2

 エレノアはゆっくりと目を開けて――、徐々にその目を大きく見開いた。


(ここ……、どこ?)


 見たことのない部屋だ。


 青色の壁や天井の丸い部屋。エレノアが眠っていたらしいベッドは、大きな貝の形をしていた。


 エレノアは立ち上がって、何気なく窓の外を見て息を呑む。窓の外には魚たちが泳いでいたからだ。


(わたし――)


 カモミールの姫の結婚式に参加して、そしてそう、泉の中に引きずり込まれた。そこまでは覚えているのだが、そこから先の記憶がない。どうやら途中で気を失ったらしかった。


「お目覚めですか?」


 突然声をかけられて、エレノアはビクリとした。


 恐る恐る振り返れば、腰から下が魚の尾ひれの形をした妖精が、ふよふよとこちらに泳ぐように近づいてきた。


 濃い青の波打つ髪をした、可愛らしい妖精だ。


「突然こちらへお連れするような形になり、申し訳ございません。わたくしはこの泉の妖精たちを束ねる女王です。このたびは、泉の妖精が大変失礼をいたしました」


 深々と頭を下げる泉の妖精の女王につられて、エレノアもぺこりと頭を下げる。


「あの、どうしてわたしをここへ……?」


「それについては、お茶を飲みながらお話しいたしましょう。どうぞこちらへ。ああ、そうそう、念のため申し上げておきますが、我が城の敷地の外にはお出になりませんように。城の敷地内は水がなく呼吸ができますが、外は水の中。エレノア様では呼吸ができないでしょうから」


 エレノアはその言葉でなんとなく合点した。


 窓の外で魚が泳いでいたのは、ここが泉の中だからだろう。エレノアが呼吸ができるのは、泉の城の敷地の中には水がないため。不思議な感じがするが、ここは月の神であるサーシャロッドが暮らす世界だ。人の世界の物差しでは測れない。


 女王について行けば、大きな広間に案内された。広間の中央には机がおかれ、その上に何種類もの美味しそうなお菓子が並んでいる。


 エレノアが席に着くと、女王も腰を下ろした。そのとき――


「なんなのよあんた―――! こっちにこないで―――!」


 カモミールの姫の叫び声が聞こえて、エレノアはびっくりして周囲を見渡した。すると、カモミールの姫がすごい勢いでこちらへ飛んできて、エレノアの前で急停止すると、いい隠れ場所を見つけたとばかりにエレノアの髪の中にすぽっと入り込む。


 そのあとを追ってきたのは、水色の肌をした妖精だった。手足の生えた金魚のような姿の妖精だ。


(ちょっと、かわいい、かも……?)


 人の手足が生えた金魚というのも違和感が拭い去れないが、クリンと丸い目をした金魚は愛嬌があって可愛らしくもある。


 金魚の姿をした妖精は、ぐるぐるとエレノアの周りをまわりはじめた。


「カモミールの姫、私と結婚してください」


 いきなりの求婚にエレノアがびっくりしていると、すぽっとエレノアの髪の中から頭だけ出したカモミールの姫が、べーっと舌をつきだした。


「いやよ! ぜーったいにいや! わたしは今日、ヤマユリの王子と結婚したのよ!」


「そんなの、私よりも早くにヤマユリの王子と出会ったというだけでしょう。私のことをもっと知っていただければ――」


 金魚の妖精がカモミールの姫に近づこうとすれば、彼女は再びエレノアの髪の中に姿を消す。


「およしなさい。カモミールの姫も迷惑しているでしょう」


 エレノアがポカンとしていると、大きくため息をついた女王がそう言った。


 金魚の妖精は女王を見て、しゅんと肩を落とした――ように見えた。


「母上……、しかし私は――」


(母上!?)


 エレノアは驚愕した。


 水色の金魚の姿をした妖精と、半分人で腰から下が魚の形をした女王が、親子。


(……似てない)


 妖精って不思議だ。エレノアが頓珍漢なところで感心していると、女王がエレノアと彼女の髪の中に姿を隠しているカモミールの姫に向きなおる。


「愚息が大変失礼いたしました。あなたたちをここに無理にお連れするような形になってしまったのも、こちらの愚息と、それから泉の妖精たちの仕業です。もうおわかりでしょうが、愚息はそちらのカモミールの姫に恋をしているようでして……。花占いの結果を操作するくらいで会いにも行けないような子ですから、ご迷惑はおかけしないと放っておいたのですが、このようなことに……」


「占いの結果を操作ですって!?」


 ずぼっとカモミールがエレノアの髪の中から頭を出した。そして、キッと金魚の妖精――もとい、泉の妖精の王子を睨みつける。


「わたしの花占いの結果が全部『嫌い』で終わっていたのは、あんたのせいだって言うの!?」


 噛みつかんばかりに叫ぶカモミールの姫に、王子はさらにシュンとしてしまった。なかなか気の弱そうな王子だ。


 さすがに可哀そうになってきて、エレノアはカモミールの姫をなだめると、女王に視線を戻した。


「泉の妖精たちの仕業って、どういうことですか?」


「はい。愚息がカモミールの姫の結婚式に嘆く様子を見た妖精たちが、無理やりカモミールの姫を泉の底へと引きずりこんでしまったのです。そのときそばにいらしたエレノア様も、結果的に道連れに……」


 なるほど、そのせいでカモミールの姫とエレノアは泉の底にある、泉の妖精の城へと連れてこられたのか。


「帰してくれるんでしょうね?」


 むすっとした顔でカモミールの姫が問う。幸せな結婚式を台無しにされて怒っているのだろう。


「もちろんです。ただ、今日はもう……。陸に住む妖精たちや人であるエレノア様を泉の底に連れてくるには力を使います。妖精たちはすでに力を使い果たしてしまっているので、明日、改めて陸へお連れいたします。陸にいらっしゃるサーシャロッド様とヤマユリの王子には伝言を向かわせましょう。ですからどうか、本日はこちらでお過ごしくださいませ」

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