7

 花嫁修業一日目を終えたころには、エレノアはすっかり疲れてしまった。


 だが、嫌な疲労感ではない。新しいことをたくさん頭に詰め込んで、その情報を処理するために体のエネルギーをすべて使ってしまったような感じだ。


 だからか、夕食の時間の間、ずっとぼんやりしてしまって、サーシャロッドを心配させてしまった。


 そしてそれは、夕食を終えたあと風呂に入っている最中もで、寝室と続きになっている浴室の、エレノアが大の字に横になってもまだ余る広い湯船の中で、ぷかぷかと湯に浮かぶ花を見つめながら呆けたようにぼーっとしている。


 髪はリーファに洗ってもらったが、エレノアが湯につかっているときは、リーファはエレノアがリラックスできるようにと浴室から退出する。


 風呂から上がったら体に香油を塗ってくれて、髪を丁寧に乾かしてくれるのだが、今はエレノア一人きりだ。


 動くたびに湯が揺れる音を聞いたり、宙にふわふわと浮かんでいる薄い青紫色の花が照らす淡い光を見ていたりすると、だんだんと眠気が襲ってくる。


 湯船の淵に両腕をついてその上に顎を乗せて、エレノアがうとうとしはじめたときだった。


「風呂場で寝るな。溺れるだろう」


 あきれた声が聞こえたかと思うと、睡魔に負けそうになっていた霞む視界に、サーシャロッドの美貌がぬっと入り込んだ。


「……さーしゃ、さま?」


 ふわふわとした思考で喋るので、エレノアの呂律はうまく回らない。


 眠気の中でサーシャの顔を見つけて、エレノアはここがベッドの中だと勘違いした。


(眠い……、あったかい)


 サーシャロッドがそばにいるから、寝ても大丈夫。サーシャロッドのそばは安心だ。彼の腕は温かくて、いつも優しくエレノアを寝かしつけてくれる。


(おやすみなさい……)


 そのまますーっと夢の世界の中に入り込もうとしたエレノアだったが、突然むにっと両頬がつねられて、ぱちくりと目を覚ました。


「い、いひゃい」


「起きろ。ここでは寝るなと言っただろ?」


 むにむにと頬をつねられて、その痛みで脳が覚醒していく。


 自分が入浴していたことを思い出して、どうしてここにサーシャがいるのだろうと考え――ハッとした。


「わ、あ、きゃ!」


 そう。今は入浴中。つまり――全裸だ。


 エレノアは顔を真っ赤にして浴槽の縁に体を押しつけて小さくなる。


 肉付きチェックで、いつも半裸に剥かれているが、さすがに何も着ていないのとはわけが違う。


 しかし、サーシャロッドはまったく気にならないようだ。


「食事中も眠そうだったからな。まさかとは思って見に来たが、まったく」


「り、リーファ、は……?」


「あとは私がするからいいと言って、リーファは部屋に返した」


 なんてことだ。


 あとは私がするということは――、リーファがするように、全身に香油を塗られたり、着替えを手伝われたりするのだろうか。


(む、むりむりむりっ)


 そんなことになれば、何も身に着けていない全身をサーシャロッドにさらすことになる。


「ほら、もう風呂からあがりなさい。眠いのならきちんとベッドで寝るように」


 浴槽の淵に張り付いたままのエレノアを引き上げようとサーシャロッドが腕を伸ばしてきて、エレノアは慌てて浴槽の奥に逃げようとした。


 しかし、普段からとろいエレノアだ。ましてや湯の中で、サーシャロッドから逃げられるはずもない。


 あっさりわきの下に手を入れられて浴槽の中から持ち上げられ、エレノアは口から魂を飛ばしそうになった。


「―――――――!」


 ぴきっと硬直してしまったエレノアを抱えて、サーシャロッドはご機嫌で浴室を出て行く。


「まず髪を乾かそうか」


 そのあとエレノアは、全身に香油を塗りたくられるのだけは必死に回避して、もう二度と風呂場でうとうとしないと心に誓いながら、サーシャロッドの腕の中で眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る